竜たちの熱湯議論
「熱い方がいい」
「いや、少しぬるい方が長く入れる」
「水に近いくらいでも構わん」
「それは風呂ではないだろう」
大浴場の一角で、四大古竜とフェルザードが真剣な顔で言い合っていた。
つい先ほどまで食堂で大量の料理を平らげ、満足した様子で大浴場へやってきたばかりなのだが、今度は湯船を前にして別の問題が発生していた。
それぞれ、好みの湯加減がまったく違ったのである。
「もっと熱くていい!」
最初に声を上げたのは炎天竜ヴァルガスだった。
人型になっているとはいえ、その身体からは元々かなりの熱気が漂っている。そんな彼にとって、普通の人間が熱いと感じる程度の湯では物足りないらしい。
ヴァルガスは主浴槽へ片足を入れたあと、少し不満そうに眉を寄せた。
「ぬるいな」
近くにいたダンが振り返る。
「それ、普通に熱めの湯なんだけど」
「これでか?」
「これでだよ!」
ヴァルガスは肩まで浸かってみたものの、やはり納得していないらしく腕を組んだ。
「もっとこう、身体の芯まで焼けるような熱さが欲しい」
「焼けたら駄目だろ!」
ダンが即座に突っ込む。
ところが、その少し離れた場所では、氷海竜セレナが正反対の顔をしていた。
「こちらは熱すぎるわ」
「え?」
ユウが聞き返す。
セレナはぬるめの浴槽に入っている。
以前、上級氷精霊のために調整した湯よりは少し温かいが、それでも一般的な温泉よりかなり低めの温度だ。
「もう少し下げられないかしら」
「これ以上?」
「ええ。冷たすぎない程度でいいわ」
ダンがヴァルガスとセレナを交互に見る。
「お前ら、同じ風呂に入るの無理じゃねぇか?」
「だから熱くすればよい!」
ヴァルガスが言う。
「あなたに合わせたら、私が茹で上がるわ」
セレナが冷静に返す。
「古竜が茹で上がるか!」
「試してみる?」
「望むところだ!」
「風呂場で戦うな!」
ダンの声が大浴場に響いた。
その一方で、冥星竜レグルスは浴槽の縁に座り、妙に真剣な表情で湯へ指を入れていた。
「私は、この程度が最も良いと思います」
「どの程度?」
ユウが尋ねる。
「長時間入っていても魔力循環へ負担がかからず、なおかつ身体の緊張が解ける温度です」
「普通に気持ちいい温度って言えねぇのか?」
ダンが呆れる。
レグルスは少し考える。
「その表現でも間違いではありません」
「最初からそう言え」
さらに問題なのがガルヴァーンだった。
人型になっても小柄なオーガほどの巨体を持つため、主浴槽ではなく大型種向けの深い浴槽へ入っている。
ガルヴァーンは腕を組んだまま、じっと湯を見つめていた。
「どう?」
ユウが聞く。
「悪くない」
「じゃあ、この温度でいい?」
「もう少し熱くてもいい」
ヴァルガスがすぐに顔を上げる。
「分かっているではないか!」
「だが、お前ほどではない」
「なぜだ!」
「熱すぎる」
「お前まで言うのか!」
フェルザードはというと、主浴槽の縁に背中を預けながら楽しそうに笑っていた。
「我は今のままで構わんぞ」
ダンがじろりと見る。
「お前だけまともだな」
「我は何度も入っているからな。ユウの湯加減を信頼している」
「なんか急に常連みたいなこと言い始めたぞ」
「実際、常連だ」
フェルザードは得意そうだった。
だが、そんな彼をよそに四大古竜の議論はますます激しくなっていく。
「熱い湯こそ風呂だ!」
「長く入れなければ意味がないでしょう」
「温度は魔力循環との均衡で決めるべきです」
「身体が温まればそれでよい」
「ガルヴァーン、お前は雑すぎる!」
「ヴァルガスが細かすぎる」
「何だと!」
今にも立ち上がりそうなヴァルガスを見て、ダンが頭を抱える。
「なんで風呂の温度で世界級の存在が揉めてんだよ……」
ミナも少し離れた場所から眺めていた。
「みんな、好み違う」
「そうみたいだね」
ユウは湯船を見ながら考える。
大浴場を拡張した時点で、ある程度は温度別に浴槽を分けていた。
だが、古竜たちの好みはその想定をさらに超えている。
特にヴァルガスとセレナは極端だった。
このままでは、誰か一人に合わせれば別の誰かが不満を抱える。
そこでユウは浴槽の縁へしゃがみ込んだ。
「じゃあ、分けようか」
ダンが首を傾げる。
「分ける?」
「同じ大浴場でも、場所ごとに温度を変えればいいんじゃない?」
「そんな細かくできるのか?」
「試してみる」
ユウは湯へ手を触れた。
意識するのは、水そのものの状態だった。
これまで【水質変化】を使って、湯の成分や性質を調整することは何度もやってきた。最近では効能別の温泉まで作れるようになっている。
それなら、流れ込む湯の性質を少しずつ変え、熱を保ちやすい場所と逃がしやすい場所を作ることもできるはずだった。
「ヴァルガスさんは、あっち」
ユウが主浴槽の奥を指す。
「おお!」
「セレナさんはこっちの端」
「分かったわ」
「レグルスさんは真ん中くらい。ガルヴァーンさんは大型種用のところを少し熱めにするね」
「頼む」
フェルザードが片手を上げる。
「我は?」
「今のままで」
「扱いが雑ではないか?」
「今のままでいいって言ったでしょ」
「それもそうだ」
ダンが笑う。
ユウは集中しながら【水質変化】を発動した。
浴槽へ流れ込む湯の流れがわずかに変わり、同じ大きな浴槽の中でも場所によって温度差が生まれていく。
ヴァルガスのいる一角はかなり熱めに、セレナのいる場所は低めに保ち、レグルスの辺りはちょうど中間になるよう整える。
大型種用の浴槽も、ガルヴァーンに合わせて少しだけ温度を上げた。
「……どう?」
ユウが聞く。
最初に反応したのはヴァルガスだった。
肩まで沈み、目を見開く。
「おお……!」
さっきまで不満そうだった顔が、一気に緩んだ。
「これだ!」
「熱くない?」
ダンが恐る恐る湯へ指を入れる。
「熱っ!」
すぐに引っ込めた。
「何度だこれ!」
「ちょうどいいぞ!」
「古竜基準で言うな!」
一方のセレナも、ゆっくり肩まで浸かり直した。
「……これはいいわね」
「大丈夫?」
「ええ。冷えすぎず、それでいて熱くない。これなら長く入っていられるわ」
レグルスも目を閉じ、静かに息を吐く。
「興味深いですね。同じ浴槽内で、これほど自然に温度差を維持できるとは」
「気持ちいい?」
ユウが聞く。
「……非常に」
「分析やめるくらい気持ちいいんだな」
ダンが笑った。
ガルヴァーンも大型種用の深い浴槽へ肩まで沈み、しばらく黙っていた。
「どう?」
「良い」
「もう少し熱くする?」
「いや」
ガルヴァーンは目を閉じた。
「これ以上は動きたくなくなる」
「もう十分動いてねぇだろ」
ダンが突っ込む。
さっきまで激論を交わしていた古竜たちは、全員が自分好みの場所を見つけた途端、嘘のように静かになった。
ヴァルガスは熱めの湯に肩まで浸かって満足そうに唸り、セレナはぬるめの場所で長い青髪を湯に浮かべながら目を閉じている。
レグルスは分析を忘れたように浴槽の縁へ寄りかかり、ガルヴァーンは大型種用の湯に巨体を沈めたまま微動だにしない。
フェルザードはそれを見て豪快に笑った。
「どうだ。我が勧めた場所に間違いはなかっただろう」
ヴァルガスが片目を開く。
「それは認める」
セレナも小さく頷く。
「三百年黙っていたことは、まだ許していないけれどね」
「まだ言うのか?」
「当然でしょう」
レグルスも目を閉じたまま加わる。
「少なくとも次回は三百年空けないことを勧めます」
ガルヴァーンが短く言う。
「来年でいい」
ダンが目を丸くした。
「古竜の同窓会、急に頻度上がりすぎだろ!」
ユウはそのやり取りを聞きながら笑った。
少し前まで温度の違いだけで大論争になりかけていたというのに、今では全員が湯船の中で完全に力を抜いている。
ミナがユウの隣へやってきて、静かに呟いた。
「みんな、静かになった」
「好みの湯が見つかったからね」
「温泉、すごい」
「そうかな?」
「うん」
ミナは湯船に並ぶ古竜たちを見る。
一体でも国を震え上がらせる存在が、今は誰一人として争う気配もなく、自分好みの湯加減に満足して目を閉じている。
ダンもその光景を眺めながら、呆れたように笑った。
「世界を滅ぼせる奴らの議論を止めた理由が、湯加減の個別調整ってのもどうなんだろうな」
ユウは首を傾げる。
「みんな気持ちよく入れたなら、それでいいんじゃない?」
「お前は本当にそれで全部済ませるな」
それでも、誰も反論しなかった。
何しろ、古竜たち本人が誰より満足そうな顔をして、それぞれ好みの湯からまったく動こうとしなかったのだから。
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