責めない主の差し伸べる手
……ごめん。ちょっと忙しいみたい」
ユウが困ったように笑うと、ガレスは思わず吹き出した。
「見りゃ分かるよ」
食堂の方からはカヤの声が聞こえ、大浴場の方からはドグランの声が響いている。さらに遠くでは、グーちゃんを止めようとしているらしいダンの怒鳴り声まで聞こえてきて、先ほどまで張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
フィアも涙を拭きながら笑っている。
セシルはそんな二人を見たあと、改めてユウへ視線を向けた。
「ずいぶん忙しそうね」
「最近、ちょっと人が増えたから」
「ちょっと?」
ガレスが周囲を見回す。
大浴場へ向かう冒険者たちに、食堂へ入っていく旅人たち。温泉まんじゅうを買うために並んでいる人々の中には、人間だけでなく獣人やエルフ、ドワーフ、それに魔族の姿まである。
「これでちょっとなら、王都も田舎扱いになるぞ」
「それは言いすぎだよ」
「いや、割と本気で言ってる」
ガレスは苦笑したものの、その笑みはすぐに消えた。
先ほどフィアはユウへ謝った。
なら、今度は自分の番だ。
そう思っていた。
「あのさ、ユウ」
「うん?」
ガレスは口を開いたものの、そこから先の言葉が続かなかった。
何を言えばいいのか。
ここへ来るまで、ずっと考えていたはずだった。
謝ればいいことは分かっている。
けれど、単純に「悪かった」の一言だけで済ませていいことなのか、それすら分からなくなっていた。
自分はユウを必要ないと判断した。
使えないと言い、そしてパーティーから外した。
今こうして目の前に広がっている光景を見るほど、あのとき口にした言葉の重さが増していくように感じられた。
「俺は……」
ようやく絞り出した、そのときだった。
ユウがふと三人の格好を見る。
ガレスの鎧は傷だらけで、セシルの外套にも土埃が残っている。フィアの靴も泥に汚れており、三人とも明らかに疲れていた。
「そういえば、みんな依頼帰り?」
「え?」
「かなり疲れてるように見えるけど」
ガレスが自分の姿を見る。
「ああ……まあな」
代わりにセシルが答えた。
「遠方の討伐依頼を終えたばかりよ。そのままここまで来たから、まともに休んでないわ」
「そうなんだ」
ユウは少し考えたあと、いつものような穏やかな顔で言った。
「じゃあ、温泉に入っていきなよ」
三人が固まった。
ガレスが聞き返す。
「……は?」
「疲れてるんでしょ?」
「いや、そうだけど」
「大浴場ならもう使えるよ。ちょうど拡張も終わったし」
あまりにも普通だった。
まるで昔の仲間と道端で偶然会い、少し疲れているようだから休んでいけばいいと、その程度のことを言っているような口調だった。
ガレスは眉を寄せる。
「待てよ、ユウ」
「何?」
「俺たちだぞ」
「うん」
「分かってるのか?」
ユウが不思議そうに首を傾げた。
「ガレスとセシルとフィアでしょ?」
「そうじゃなくて!」
思わず声が大きくなり、周囲を歩いていた何人かがこちらを見る。
ガレスは慌てて声を落とした。
「……俺たちは、お前を追放した側だぞ」
それでもユウの表情は変わらなかった。
「うん」
「なのに、普通に温泉入っていけって言うのか?」
「駄目なの?」
「俺が聞いてんだよ!」
思わず昔のように突っ込んでから、ガレスは頭を抱えた。
「そうじゃねぇ……そうじゃねぇんだよ」
フィアが心配そうに見つめ、セシルは黙ったまま様子を見ている。
ユウは少し考えてから口を開いた。
「別に、ここは僕を好きな人しか入れない場所じゃないよ」
ガレスが顔を上げる。
「疲れた人が休むための場所だから。人間でも魔族でも関係ないし、昔何があったかも関係ない」
そう言って、ユウは周囲を見回した。
「ここに来たなら、温泉に入って、ご飯を食べて、少し休んでいけばいいよ」
その言葉を聞いたガレスは、何も言えなくなった。
責められると思っていた。
冷たくされても仕方ないと思っていた。
むしろ、その方が楽だったかもしれない。
怒鳴られて、恨み言を言われて、それから謝ることができれば、少しでも帳尻を合わせられた気がした。
だが、ユウは責めなかった。
「……怒ってないのか?」
ガレスが聞く。
「今さら?」
ユウが少し笑う。
「今さらって……」
「あの時は落ち込んだけどね」
その言葉に、三人の表情が止まった。
それでもユウは穏やかだった。
「自分じゃ役に立てないんだって思ったし、これからどうしようって悩んだ。でも、ずっと怒ってたわけじゃないよ」
「……恨んでもない?」
「ないかな」
「なんでだよ」
思わずガレスの口から出た言葉に、ユウが目を瞬く。
「なんでって?」
「普通、恨むだろ」
「そうかな」
「俺なら恨む」
「そこ自信満々に言うところじゃないでしょ」
セシルが冷静に突っ込み、ガレスは黙り込む。
その横でフィアが小さく笑い、少しずつ昔の空気が戻り始めていた。
そのとき、ユウの後ろからミナが歩いてきた。
「ユウ」
「どうしたの?」
「グーちゃん、サウナ諦めた」
「良かった」
「代わりに露天風呂行った」
「……あとで毛を取らないと」
ミナはそこで三人を見ると、特に警戒する様子もなく少し首を傾げた。
「お客さん?」
「昔の仲間だよ」
「そうなんだ」
それだけ言うと、ミナはガレスたちへ軽く頭を下げた。
「温泉、広くなったよ」
「……そうか」
ガレスがなんとか答えると、ミナは続ける。
「ぬるい湯もある」
その言葉にフィアが少し興味を示した。
「ぬるい湯?」
「疲れてる時、いい」
「それは……ちょっと入りたいかも」
「だよね」
ユウが笑う。
ガレスがフィアを見る。
「お前、切り替え早くないか?」
「だって疲れてるのは本当だもの」
「それはそうだけど」
セシルも自分の肩を回しながら言う。
「私も肩が限界ね」
「お前まで!」
「ここまで来て入らない方が不自然でしょう」
「いや、まあ……」
結局、一番迷っているのはガレスだけだった。
ユウはそんな彼を見る。
「ガレス」
「何だよ」
「無理に話さなくてもいいよ」
その一言で、ガレスの動きが止まる。
「話したいことがあるなら、あとで聞くから。今は先に休んだ方がいいと思う」
その言い方は、まるで昔、依頼帰りに疲れていた仲間へ「今日はもう休もう」と声を掛けていた頃のユウと同じだった。
ガレスは拳を握る。
胸の奥に抱えているものは、まだ消えていない。
後悔も、謝りたいことも、言わなければならないことも山ほどある。
けれど、今すぐ全部を吐き出さなくてもいい。
そう言われた気がした。
「……分かった」
ガレスは小さく息を吐く。
「入ってく」
ユウが笑った。
「うん」
「ただし」
ガレスが指を立てる。
「金は払うぞ」
「普通にお客さんだからね」
「そこは取るのかよ!」
「無料だと思ってたの?」
「いや、そうじゃねぇけど!」
セシルが呆れた顔をする横で、フィアは久しぶりに声を出して笑った。
そこへ遠くからダンが走ってくる。
「ユウ! グーちゃんが露天風呂でまた身体振ったぞ!」
「え」
「床が毛だらけだ!」
「今行く!」
ユウが慌てて走り出し、その途中で振り返った。
「受付で温泉手形をもらってね!」
「分かった!」
ガレスが答える。
走っていくユウの背中を見送りながら、しばらくしてガレスはぽつりと呟いた。
「……変わってねぇな」
フィアが隣で笑う。
「うん」
セシルは谷を見渡した。
「でも、いる場所はずいぶん変わったわね」
ガレスも周囲へ目を向ける。
多くの者が行き交い、あちこちから笑い声が聞こえ、その向こうでは温かな湯気が空へ立ち上っている。
その中心へ向かって、ユウは当然のように走っていった。
「……温泉、か」
ガレスは肩を回した。
身体は重く、頭の中には考えたいことが山ほど残っている。
だからこそ今は、ユウが差し伸べてくれた手に少しだけ甘えることにした。
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