解けた心の結び目
「ガレス……?」
ユウは思わず足を止め、少し離れた場所に立っている三人を見つめた。
大柄な戦士のガレス、その隣に立つ魔法使いのセシル、そして二人の少し後ろにいる僧侶のフィア。少し疲れた様子ではあるものの、その顔を見間違えるはずがなかった。
一緒に依頼を受け、何度も野営をし、同じ道を歩いてきたかつての仲間たちだった。
けれど三人の顔を見た瞬間、楽しかった頃の記憶だけではなく、最後に顔を合わせた日のことまで鮮明に蘇ってくる。
自分がパーティーを離れることになった、あの日のことを。
「……久しぶりだな」
最初に口を開いたのはガレスだった。
いつものように笑おうとしたのだろうが、どうにも上手くいかなかったらしく、口元にはどこかぎこちない笑みが浮かんでいる。
「うん。久しぶり」
ユウもそう返したものの、それだけで会話は止まってしまった。
周囲では、いつもと変わらないやわらぎの谷の日常が流れている。
大浴場へ向かう冒険者たちが楽しそうに話し、食堂からは料理を運ぶ従業員が何度も出入りしている。
温泉まんじゅうを抱えた子供たちは道の端を走り抜け、その向こうでは露店の店主が元気な声で客を呼び込んでいた。
いつもの賑やかな光景なのに、ユウと三人の周囲だけは、まるでそこだけ時間が止まってしまったようだった。
やがてセシルが小さく息を吐いた。
「……元気そうね」
「セシルも」
「まあね」
以前と変わらない淡々とした口調だったものの、いつものセシルを知っているユウには、その声がほんの少しだけぎこちなく聞こえた。
ガレスも気まずそうに頭を掻く。
「なんつーか、その……」
何かを言おうとしているのは分かるのだが、続く言葉が出てこないらしい。
それはユウも同じだった。
三人に対して怒っているわけではないし、今さら昔のことを責めたいとも思っていない。
ただ、あまりにも久しぶりの再会だったため、何から話せばいいのか分からなかった。
そんな沈黙を破ったのはフィアだった。
「ユウ」
自分の名前を呼ばれ、ユウは彼女へ顔を向ける。
「うん?」
フィアは胸の前で両手を強く握っていた。
表情は固く、何かを必死に堪えているようにも見える。
「私……」
そこまで言ったところで声が途切れた。
一度俯いたフィアは、しばらくそのまま動かなかったが、やがて覚悟を決めたように顔を上げた。
「あの時は、引き留められなくてごめんなさい」
ユウは思わず目を瞬いた。
隣にいるガレスもセシルも何も言わず、フィアを見ている。
「ずっと謝りたかったの」
「フィア……」
「あの時、ガレスがユウをパーティーから外すって言った時、私は何も言えなかった。本当は嫌だったし、ユウを追い出したくなかった。このまま四人で冒険を続けられたらって、そう思ってた」
フィアはそこまで話すと、苦しそうに唇を噛んだ。
あの日のことは、ユウにもよく覚えている。
依頼の難易度が上がり、戦う敵も少しずつ強くなっていた頃だった。
ガレスは戦闘力の足りないユウをこれ以上同行させることは危険だと判断し、パーティーから外すことを決めた。
フィアにも、その理由は理解できていたのだろう。
「ガレスの言ってることが分からなかったわけじゃないの。危険な依頼が増えてたし、私だって戦いながらユウを守れる自信はなかったから」
ユウは何も挟まず、静かに耳を傾けた。
「だから、仕方がないことなんだって思おうとした。でも……違ったの」
フィアの目に、少しずつ涙が浮かぶ。
やがて一粒の涙が頬を伝った。
「私はただ、怖かっただけだった」
「……」
「反対したらガレスやセシルと揉めるかもしれないって思ったし、自分だけ違うことを言うのも怖かった。だから何も言わなかったの」
もう一粒、涙が頬を伝う。
「それなのに、ユウが出ていく時まで……結局、何も言えなかった」
ガレスが俯き、セシルも静かに視線を逸らした。
フィアはそれでもユウから目を逸らさず、震える声で続ける。
「ごめんなさい」
「フィア」
「本当に、ごめんなさい」
ユウはしばらくフィアを見つめたあと、静かに答えた。
「もういいよ」
フィアが顔を上げる。
「……え?」
「もう謝らなくていいよ」
あまりにも普通に返されたためか、フィアはすぐには意味を理解できなかったらしい。涙を浮かべたまま、驚いた顔でユウを見ている。
「でも……」
「僕も、あの頃は何もできなかったから」
ユウが少しだけ笑った。
「ガレスが言ってたことも、全部が間違っていたとは思ってないよ」
その言葉を聞き、今度はガレスが顔を上げた。
「いや、それは……」
「本当にそう思ってるよ」
ユウはガレスの言葉を遮るというより、落ち着かせるように続けた。
「あの頃の僕は戦えなかったし、強い魔物が出てきたらみんなに守ってもらうしかなかった。依頼の難易度が上がるたびについていくので精いっぱいだったから、このまま一緒に行くのは難しいって思われても仕方なかったと思う」
「だからって……」
フィアが何かを言おうとしたが、ユウはゆっくり首を振る。
「それにね」
そう言って、ユウは周囲を見回した。
あちこちから温泉の湯気が立ち上り、遠くの食堂からは忙しく働く者たちの声が聞こえてくる。
道を歩けば人間と獣人が普通に挨拶を交わし、その向こうでは魔族の親子が温泉まんじゅうを分け合っていた。
「ここに来られたのは、あの時パーティーを離れたからだと思うんだ」
フィアが黙る。
「最初は何をすればいいのか全然分からなかったし、この谷へ来た時だって、こんな場所になるなんて思ってなかった。でも温泉を見つけて、いろんな人が来てくれて、少しずつできることを増やしていったら……気づいたらこんなことになってた」
その言葉を聞き、セシルが改めて谷を見回す。
「……ずいぶんすごい場所になってるわね」
「僕もびっくりしてる」
「お前が言うのかよ」
ガレスが思わず突っ込んだ。
久しぶりに聞いたその言い方に、ユウも思わず笑う。
「だって最初は、本当に小さな温泉しかなかったんだよ。こんな大浴場も食堂も露店もなかったし」
「そこからこれかよ……」
ガレスが呆れたように周囲を見渡す。
ほんの少しだけ、昔の空気が戻った。
フィアも目元の涙を拭いながら、小さく笑う。
「やっぱり、変わらないね」
「そう?」
「うん。こういうところ」
フィアは笑おうとしたものの、まだ涙はなかなか止まらなかった。
何度か目元を拭ったあと、少しためらうようにユウを見る。
「私ね、ずっとユウに恨まれてると思ってた」
「どうして?」
ユウが本気で分からない様子で首を傾げると、フィアは困ったような顔になった。
「どうしてって……私たちはユウを追い出した側だよ?」
「でも、それを決めたのはフィアじゃないでしょ」
「止めなかったよ」
「それでも、僕はフィアを恨んでない」
ユウは少し考えたものの、その答えだけは迷わなかった。
フィアの目が大きく開かれる。
「……ほんと?」
「うん」
「怒ってない?」
「怒ってないよ」
「私のこと、嫌いになってない?」
「なってない」
ユウがそう答えた瞬間、フィアの表情が大きく崩れた。
俯いた彼女の口から、小さな声が漏れる。
「……よかった」
それだけ言うと、今まで必死に堪えていたものが一気に溢れたらしく、フィアの肩が震え始めた。
「ずっと……怖かった……」
その声を聞いたユウは、少し困ったように笑った。
こんな時に気の利いた言葉をかける方法など、ユウには分からない。
だから何かを言おうとはせず、ただフィアの前に立って待つことにした。
泣き止むまで急かさず、過去を責めることもせず、静かにそこにいる。
しばらくすると、ようやくフィアの涙も落ち着いてきた。
「……ごめん」
顔を上げたフィアの目元は、すっかり赤くなっている。
「謝りに来たのに、私ばっかり泣いてどうするのよね」
「別にいいんじゃない?」
ユウがそう答えると、横にいたセシルが無言で布を差し出した。
「まず顔を拭きなさい。ひどいことになってるわよ」
「そんなに?」
「かなり」
「セシル!」
フィアが慌てて顔を隠したことで、重かった空気が少しだけ軽くなる。
その様子を見ていたガレスは、しばらく黙ったあと深く息を吐いた。
「……ユウ」
「うん?」
「俺も……」
ガレスが何かを言いかけた、その時だった。
「ユウー!」
食堂の方からカヤの大きな声が飛んでくる。
「レインさんが温泉水足りないってー!」
ユウが振り返るより早く、今度は大浴場の方向から別の声が響いた。
「ユウ!」
今度はドグランだった。
「大浴場の調整が終わったぞ! 時間がある時に確認してくれ!」
「分かった!」
さらにその直後、ミナまでこちらへ歩いてきた。
「ユウ」
「どうしたの?」
「グーちゃんがサウナの前から動かない」
「なんでグーちゃんがサウナに行ってるの?」
「知らない」
すると遠くの方から、元気な鳴き声が聞こえてくる。
「わふ!」
その直後には、ダンの怒鳴り声まで響いた。
「誰かこいつを止めろ! サウナの中が毛だらけになるだろうが!」
「わふ!」
「入ろうとすんな!」
ガレスたちは揃って黙り込んだ。
ユウはあちらこちらから呼ばれている状況に、少し困ったような笑みを浮かべる。
「……ごめん。ちょっと忙しいみたい」
一瞬の沈黙のあと、ガレスが吹き出した。
「見りゃ分かるよ。相変わらずっていうか……前よりずっと忙しそうだな」
セシルもわずかに口元を緩めている。
フィアはもう一度目元を拭い、しばらくユウを見つめた。
それから今度こそ、涙ではなく穏やかな笑顔を浮かべる。
「ユウ」
「うん?」
「会えてよかった」
その一言には、ずっと伝えられなかったものが全部込められているような気がした。
ユウも静かに笑う。
「僕も。久しぶりに会えてよかったよ」
交わした言葉は、それだけだった。
けれどフィアにとっては十分だった。
あの日からずっと胸の奥に残り続け、自分ではどうすることもできなかった後悔も、ユウに恨まれているのではないかという恐れも、すぐに全部消えるわけではない。
それでも、固く絡まり続けていた心の結び目は、ユウの何気ない言葉と変わらない笑顔によって、ようやく少しずつ解け始めていた。




