かつての仲間達と再会
「……ユウ」
ガレスの声は、自分でも驚くほど小さかった。
少し離れた場所にいる青年は、まだ三人の存在に気づいていない。
獣人の子供が大きな荷物を抱えて困っているらしく、ユウはその前へしゃがみ込み、何かを聞きながら困ったように笑っていた。
やがて荷物の半分を受け取ると、そのまま子供と並んで食堂の方へ歩いていく。
「ありがとう、ユウ兄ちゃん!」
「今度から一人で無理して持たないようにね。重かったら誰かに頼めばいいんだから」
「はーい!」
荷物を届け終えた子供は、元気よく返事をすると、そのまま勢いよく駆け出した。
「走ると危ないよ!」
「はーい!」
返事だけは素直だったが、足はまったく止まらない。
ユウは遠ざかっていく子供の背中を見ながら、仕方なさそうに苦笑した。
その様子を、ガレスたちは少し離れた場所からじっと見ていた。
「……変わってない」
フィアがぽつりと呟く。
セシルが横目で見る。
「何が?」
「笑い方」
フィアはそれだけ言うと、再びユウへ視線を戻した。
言われてみれば確かにそうだった。
背は以前より少し伸び、身体つきもしっかりしている。着ている服も冒険者だった頃とは違い、この谷で働く者らしい動きやすいものへ変わっていた。
それでも、誰かが困っていれば放っておけず、頼られれば困ったように笑いながら手を貸すところは、昔から何も変わっていない。
「でも……」
ガレスは呟きながら周囲を見渡した。
ユウ自身には変わっていない部分がある。
けれど、そのユウを取り巻いているものは、あまりにも大きく変わっていた。
「ユウさーん!」
今度は食堂の方から声が飛んできた。
一人の女性が厨房から顔を出し、大きな鍋を指差している。
「レインさんが、やわらぎ鍋用の温泉水をもう少し欲しいって!」
「分かった。すぐ持っていくよ」
ユウがそちらへ向かおうとしたところで、今度は反対側から別の声が聞こえた。
「ユウ!」
獣人の少女が駆けてくる。
その後ろから歩いてきたのは、少女より何倍も大きな黒い魔獣だった。
「グーちゃんが、また露天風呂に入りたがってる」
「今日は掃除したばかりだから、夕方まで待ってもらって」
「分かった」
「わふ」
「グーちゃんも我慢してね」
「わふ……」
巨大な魔獣はあからさまに残念そうに耳を伏せた。
その光景を見たガレスが、何度か目を瞬く。
「……あの魔物、何だ?」
セシルが少し目を細める。
「グレートヘルウルフじゃない?」
「いや、それは見れば分かる。なんでグレートヘルウルフが普通に温泉へ入りたがってるんだ?」
「私に聞かないでよ」
「しかも名前までついてるぞ」
「グーちゃんらしいわね」
「そこじゃねぇよ」
ガレスが混乱している間にも、ユウの周囲には次々と人が集まってくる。
「ユウ!」
今度はドグランが大浴場の方からやってきた。
「大浴場の配管だが、昨日話していた調整が終わったぞ」
「ありがとう、ドグラン。あとで確認するよ」
「サウナの方も蒸気量を調整しておいた。今度は問題ないはずだ」
その言葉を聞いたユウの表情が少し明るくなる。
「本当?」
「ああ」
「今度は熱した石に水を一気に全部かけないでね」
「分かっている」
「前もそう言ってたよね?」
「今回は本当に分かっている」
「そこ、ちょっと心配だなあ……」
二人の会話を聞きながら、ガレスの眉間には少しずつ皺が寄っていった。
「……大浴場?」
「聞こえたわ」
「サウナって何だ?」
「それは私も知らない」
自分たちの知らない言葉まで次々に出てくる。
けれど、ガレスが本当に驚いていたのはそこではなかった。
ユウの周囲には、絶えず誰かがいる。
何かを頼みに来る者がいれば、相談を持ちかける者もいる。通りがかっただけなのにわざわざ声をかけていく者もいれば、笑顔で挨拶だけして去っていく者もいた。
しかも、その誰もが人間とは限らない。
獣人もいれば、ドワーフもいる。
エルフもいる。
そして魔族までが、何のためらいもなくユウの名を呼んでいた。
「……どうなってるんだ」
ガレスは思わず呟いた。
彼の知っているユウは、いつもパーティーの後ろを歩く少年だった。
戦闘になれば前へ出すことはできず、強敵を相手にする時には守らなければならない。
できることといえば、旅の途中で飲み水を整えたり、野営で使う水を確保したり、汚れた水を使える状態に変えたりすることだった。
役に立っていなかったわけではない。
そんなことは、今のガレスなら分かる。
むしろ長い旅を続ける冒険者にとって、安全な水をいつでも用意できるというのは、決して小さな力ではなかった。
それでも当時の自分たちは、もっと危険な依頼へ進もうとしていた。
敵はどんどん強くなり、戦闘能力が必要になる場面も増えていた。
だからガレスは、このままユウを連れていけば、いつか本当に死なせてしまうと思った。
そして最後には告げたのだ。
『お前の能力じゃ、もうついてこられない』
ガレスは無意識に拳を握った。
「……使えない」
小さく漏れた言葉に、フィアが反応する。
「ガレス?」
「俺、あいつに言ったんだよ」
ガレスは苦い表情を浮かべた。
「使えないって。これ以上は一緒にやれないって」
セシルは何も言わず、ガレスを見ている。
「あの時は、本当にそう思ってた。敵を倒せないし、盾にもなれない。治癒魔法だって使えない。だから冒険者としてもっと上へ行くなら、ユウを連れてはいけないって……そう判断した」
間違っていたのかと聞かれれば、今でも簡単には答えられない。
当時の状況だけを考えれば、危険な依頼へユウを連れて行かないという判断には理由があった。
それでも、目の前の光景を見れば思わずにはいられなかった。
「何なんだよ、これ……」
ユウが剣を振るっているわけではない。
強大な攻撃魔法を使っているわけでもなければ、魔物を倒して喝采を浴びているわけでもない。
温泉の状態を確かめ、困っている者の話を聞き、食堂へ必要な水を届け、子供へ声をかける。何か相談されれば足を止め、頼まれれば自然に応えている。
やっていることだけを一つずつ見れば、昔と同じように地味なことばかりだった。
それなのに、その小さな仕事の一つ一つが谷全体へつながっている。
まるで、この場所そのものがユウを中心に少しずつ広がってきたように見えた。
その時だった。
「ユウー!」
聞き覚えのある大声が響き、紙の束を抱えたダンが向こうから歩いてきた。
「今度は何?」
ユウが振り返る。
「何じゃねぇ! 大浴場の利用人数の記録だ! 昨日、また想定人数を超えてるぞ!」
「そんなに?」
「そんなにだ! せっかく広げたばかりなのに、もうこれだぞ!」
「でも、みんな入れたんでしょ?」
「入れたから余計に怖いんだよ! この記録をドグランに見せたら、また『もう一つ広げるか』とか言い出すぞ!」
すると、少し離れた場所からドグランの声が飛んできた。
「悪くない案だな!」
「ほら言った!」
ダンが頭を抱える。
ユウは思わず笑った。
「じゃあ、あとでみんなで相談しよう」
「その軽い感じで大浴場が増えていくんだよなぁ……」
そんな二人のやり取りを見て、フィアがほんの少しだけ笑った。
「楽しそう」
「……ああ」
ガレスも、それは認めるしかなかった。
ユウは本当に楽しそうだった。
あんなふうに、肩の力を抜いて自然に笑う顔を、自分たちと一緒にいた頃のユウはしていただろうか。
そう考えた瞬間、ガレスの胸の奥に小さな痛みが走った。
思い返せば、野営の準備も、水の確保も、道具の手入れも、細かな雑用の多くをユウへ任せていた。
ユウはほとんど文句を言わなかった。
だからこそ、いつの間にかそれが当たり前になっていた。
やってくれていることを見るのではなく、できないことばかりを見るようになっていた。
剣で敵を倒せない。
強力な攻撃魔法が使えない。
戦闘の中心では活躍できない。
そんな部分だけを見て、その一方でユウが自分たちの旅をどれだけ支えていたのかを、考えなくなっていた。
「……俺たち」
ガレスが力なく呟く。
「何を見てたんだろうな」
セシルがわずかに目を伏せた。
「今さらね」
「分かってるよ」
いつもなら言い返していただろう。
だが今のガレスには、そんな勢いはなかった。
三人の前を、冒険者の一団が楽しそうに話しながら通り過ぎていく。
「今日は筋力回復の湯にするか?」
「俺は魔力回復だな。昨日使いすぎた」
「その前に飯だろ。やわらぎ鍋食おうぜ」
「サウナも空いてるらしいぞ」
「またサウナかよ」
ガレスが思わず呟いたが、彼らは気づかないまま歩いていった。
その後ろを今度は魔族の親子が通り過ぎる。
子供は両手に温泉まんじゅうを持ち、母親らしい魔族に何かを嬉しそうに話していた。
さらに反対側からは、人間の商人と獣人の男が肩を並べ、商売の話をしながら歩いてくる。
誰も争っていない。
互いを警戒している様子すらない。
ここがかつて冒険者たちから恐れられた還らずの谷だったということすら、しばらくいるだけで忘れてしまいそうだった。
「この場所……」
フィアがゆっくりと周囲を見渡す。
「全部、ユウが作ったのかな」
「さすがに全部一人で作ったわけじゃないでしょうね」
セシルが答える。
実際、周囲を見れば大勢の者たちが働いている。
建物を造る者もいれば、料理を作る者もいる。客を案内する者もいれば、露店で品物を売る者もいた。
それでもフィアは、ユウから目を離さなかった。
「でも……始まりはユウだったんだよね、きっと」
セシルもしばらくユウを見つめ、やがて静かに頷く。
「そうなんでしょうね」
また誰かがユウへ声をかける。
ユウはそれに自然に答え、そのまま話の輪へ加わっていく。
特別偉そうにしているわけではない。
誰かへ命令しているわけでもない。
それなのに、誰もが当たり前のようにユウを頼り、ユウもそれを当たり前のこととして受け入れていた。
ガレスは何も言えなかった。
自分が使えないと判断した少年。
守らなければ生き残れないと思っていた少年。
その少年が今では、人間も魔族も関係なく、これほど大勢の者たちに頼られ、慕われ、笑いかけられている。
世界各地から人が訪れ、王族まで足を運ぶという温泉。
その中心に、ユウはいた。
「……すげぇな」
ようやく口から出たのは、それだけだった。
フィアがガレスを見る。
ガレスは自嘲するように少し笑う。
「もっと何か言えると思ってたんだけどな」
ここへ来る途中には、いろいろなことを考えていた。
もしユウが自分たちより成功していたら、どう思うのか。
もし強くなっていたら、どう感じるのか。
再会したら、まず何を話すのか。
自分たちを恨んでいるのだろうか。
それとも、とっくに忘れているのだろうか。
けれど実際に目の前のユウを見てしまうと、考えていた言葉は何一つ出てこなかった。
嫉妬する気にもなれない。
あまりにも、自分たちが想像していたユウの現在とかけ離れていたからだ。
そして何より、ユウが自分たちの知らない場所で、自分の居場所を作っていたことが分かった。
その時だった。
誰かと話していたユウが、ふと顔を上げた。
何気なく周囲を見渡しただけだったのだろう。
その視線が、こちらへ向く。
ガレスの身体が固まった。
セシルも動きを止め、フィアも息を呑む。
少し距離はある。
それでも、間違いなく目が合った。
ユウの表情から笑みが消えた。
ほんの一瞬、何が起きたのか分からないような顔をしたあと、驚いたように目を見開く。
「……え?」
小さな声だった。
そしてユウは、三人の顔を一人ずつ確かめるように見たあと、信じられないものを見つけたように呟いた。
「ガレス……?」
自分の名前を呼ばれた瞬間、ガレスの頭の中から、ここへ来るまでに考えていた言葉がすべて消えた。
謝るべきなのか。
久しぶりと言えばいいのか。
元気だったかと聞けばいいのか。
何一つ分からない。
ただ、ユウがこちらを見ている。
その事実だけで、喉がひどく乾いていく。
ガレスは口を開きかけたものの、結局何も言葉にできないまま、その場に立ち尽くしていた。
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