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異世界温泉宿 ~使えないスキルと言われた俺、秘境の谷で温泉を作ったら人も魔物も通う場所になった~  作者: 堺久遠


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追放した者たちの訪問

還らずの谷へ続く道を、三人の冒険者が歩いていた。


先頭を歩いているのは、大柄な戦士のガレス。その少し後ろには魔法使いのセシルが続き、最後尾を僧侶のフィアが歩いている。


三人とも、見るからに疲れていた。


遠方で受けていた依頼をようやく終えたばかりで、本来ならこのまま王都へ戻るところだったのだが、そこまでの道のりだけでも数日はかかる。長い移動と戦闘の疲れは身体のあちこちに残っており、ガレスに至っては肩を回すたびに、鎧の下で凝り固まった筋肉が悲鳴を上げていた。


「……本当にこっちで合ってるんだろうな」


歩きながら地図を確認していたガレスが、不安そうに眉を寄せる。


セシルは杖を肩へ担いだまま、特に表情を変えずに答えた。


「道は合ってるわ。少なくとも地図ではね」


「その最後の一言が余計に不安になるんだが」


「還らずの谷へ向かってるのよ。最初から安心できる名前じゃないでしょう」


「それもそうか」


ガレスは納得しかけたものの、やはり複雑そうな顔で地図を折り畳んだ。


昔なら、こんな不吉な名前の場所へ疲れ切った状態で向かうなど考えもしなかっただろう。


還らずの谷。


かつては一度足を踏み入れれば無事では戻れないとまで言われ、冒険者たちから恐れられていた場所である。


ところが最近では、その評判もすっかり変わっていた。


今では世界中から人が訪れ、その目的は危険な魔物でも希少な素材でもない。


温泉だった。


傷だらけだった冒険者が元気になった。


長年蓄積した疲れが嘘のように取れた。


人間と魔族が同じ湯船へ入っている。


王族すら足を運ぶらしい。


噂を耳にするたびに話の規模が大きくなっていくため、ガレスも最初は半分ほどしか信じていなかった。


ところが今回の依頼先で立ち寄った町でも、まるで当然のことのように勧められた。


『やわらぎの湯には、一度行っておいた方がいい』


そう言った者は一人や二人ではない。


商人も、冒険者も、傭兵も、果てはたまたま町に立ち寄っていた魔族まで、ほとんど同じことを口にしていた。


そこまで言われれば、さすがに無視することもできなかった。


「秘湯って話だったんだけどな」


ガレスがぼやくと、セシルが前を見たまま答える。


「最近は、もう秘湯と呼べる規模ではないらしいわよ」


「そんなに広がってるのか?」


「噂が本当ならね」


「またその言い方かよ」


二人がいつもの調子で話している間も、フィアだけは少し後ろを歩いたまま、ほとんど口を開かなかった。


それに気づいたガレスが足を緩めて振り返る。


「フィア、大丈夫か?」


「え?」


「疲れてるなら休むぞ。ここまで来て無理することもないだろ」


「ううん、大丈夫」


フィアは小さく笑って首を振った。


けれど、その表情はどこか硬い。


ガレスにもセシルにも、その理由は分かっていた。


谷へ近づけば近づくほど、三人とも思い出さずにはいられない名前があったからだ。


ユウ。


かつて、同じパーティーにいた少年。


戦闘では役に立たないと判断され、三人のもとを離れた。


いや、そんな曖昧な言い方ではない。


自分たちが追放した。


ガレスは、その時のことを今でも鮮明に覚えている。


『お前は悪くない。だが、この先へ連れて行けば死ぬ。』


あの時、ユウへそう告げたのはガレスだった。


嘘をついたつもりはない。


ユウが持っていたのは【水質変化】という、当時の自分たちには戦闘ではほとんど役に立たないように思えた能力だった。


敵を倒せるわけでもなく、仲間を守れるわけでもない。


傷を直接治せるわけでもなく、依頼が危険になればなるほど、ユウ自身を守るために誰かが動かなければならなくなる。


だからこそ、これ以上危険な依頼へ同行させるべきではないと判断した。


パーティーのためでもあり、ユウのためでもある。


少なくとも、あの時のガレスは本気でそう考えていた。


今でも、その判断そのものが完全に間違っていたとは思っていない。


ただ、だからといって何も感じないわけではなかった。


「……なあ」


しばらく無言で歩いたあと、ガレスがぽつりと口を開く。


「本当に、ここにいると思うか?」


セシルが横目で見る。


「誰が?」


「分かってるだろ」


少しだけ間が空いた。


やがてセシルが小さく息を吐く。


「ユウのことなら、噂は聞いてるわ。この谷で温泉を管理している人物の名前もユウ。しかも能力も水に関係しているらしい」


「同じ名前の別人って可能性は?」


「なくはないわね」


「お前、こういう時だけ必ず逃げ道を残すよな」


「確定していないことを確定したとは言わないだけよ」


ガレスは大きくため息を吐いた。


すると、それまで黙っていたフィアが小さく口を開く。


「……たぶん、ユウだと思う」


二人が振り返った。


フィアは胸の前で両手を握りながら、少し俯いている。


「噂を聞いた時から、ずっとそう思ってた。名前だけなら偶然かもしれないけど、水に関係する力を使って温泉を作ってるって聞いた時……きっとユウなんだろうなって」


その声は、ほんの少し震えていた。


ガレスは返す言葉を見つけられず、セシルも黙って視線を前へ戻した。


それからしばらく、三人はユウの話をしなかった。


ただ、足取りだけが少しずつ重くなっていく。


疲労のせいだけではないことは、誰も口にしなくても分かっていた。


やがて森の木々が途切れ、視界が一気に開けた。


その瞬間、先頭を歩いていたガレスが足を止める。


「……は?」


間の抜けた声が漏れた。


谷の向こうには、いくつもの建物が並んでいた。


一軒や二軒ではない。


宿があり、食堂があり、露店が並び、そのさらに奥には大きな浴場らしき建物まで見える。


通りには大勢の人々が行き交い、あちこちから楽しそうな声が聞こえていた。


しかも歩いているのは人間だけではない。


獣人が大きな荷物を運び、ドワーフが建物の修理をしている。エルフが露店で薬草茶を売り、その横を角の生えた魔族が何事もないように歩いていく。


子供たちは種族など関係なく一緒になって走り回り、近くの休憩所では冒険者たちが笑いながら飲み物を飲んでいる。


さらに奥からは食堂の賑やかな声が聞こえ、あちこちから立ち上る温泉の湯気が谷の空気を柔らかく包んでいた。


ガレスはしばらく言葉を失ったあと、ようやく呟く。


「……秘湯?」


隣に立ったセシルも、さすがに目を細めながら谷全体を見渡した。


「訂正するわ」


「何を?」


「これはもう、どう見ても秘湯じゃない」


「だよな」


そんな三人の前を、大きな荷物を抱えた獣人の男が通り過ぎようとして、ふと足を止めた。


「見ない顔だな。初めて来たのか?」


突然声をかけられ、ガレスは反射的に少し身構えた。


「あ、ああ」


「なら、先に受付へ行った方がいいぞ。今日は結構混んでるからな」


「混んでる?」


「大浴場も前よりずっと広くなったんだけど、それ以上に客が増えてるんだ。昼過ぎになるともっと人が来るぞ」


獣人の男はそう言って気さくに笑うと、そのまま荷物を抱えて歩いていった。


ガレスはしばらくその背中を眺める。


「……普通だな」


セシルが首を傾げる。


「何が?」


「いや、魔族も獣人も普通にいるのに、誰も気にしてねぇだろ。今の奴も俺たちが人間だからって特に何も言わなかったし」


「そうね」


セシルも改めて周囲を見渡した。


少なくとも、この谷にいる者たちにとっては、それがもう当たり前の光景になっているらしい。


フィアは何も言わず、谷のさらに奥を見つめていた。


やがて三人は、人通りの多い中央の道ではなく、その端を歩き始める。


堂々と歩いたところで、何か問題があるわけではない。


誰かに追われているわけでもなければ、後ろめたい依頼を受けてきたわけでもない。


それなのに、ユウに会うかもしれないと思った途端、正面から歩いていく気にはなれなかった。


「おい」


少し進んだところで、ガレスが小声で言う。


「俺たち、別に悪いことしに来たわけじゃないんだぞ」


「だったら堂々と真ん中を歩けばいいでしょう」


セシルが平然と答える。


ガレスはすぐに横を見る。


「お前も端を歩いてるじゃねぇか」


「人が多いからよ」


「絶対違うだろ」


「何が違うの?」


「その顔でとぼけんな」


二人のやり取りを聞いていたフィアが、ほんの少しだけ笑った。


張り詰めていた空気がわずかに緩み、ガレスもつられるように口元を緩める。


その時だった。


「やわらぎ鍋、追加お願いします!」


食堂の方から大きな声が聞こえた。


すぐに厨房から何人もの返事が返ってくる。


「はい!」


三人が思わずそちらへ目を向けた。


拡張されたらしい食堂には大勢の客が入り、厨房では人間だけではなく、獣人やエルフ、魔族まで一緒になって忙しそうに働いている。


大きな鍋を運ぶドワーフの横で、人間の料理人が皿を並べ、その後ろでは魔族の女性が火を調整しながら料理を仕上げていた。


ガレスが目を丸くする。


「なんだ、あれ」


「食堂でしょう」


「それくらい見れば分かる」


「なら聞かないで」


「そういう意味じゃねぇよ!」


ほんの少しだけ、昔パーティーを組んでいた頃のようなやり取りが戻る。


ガレスが呆れ、セシルが涼しい顔で受け流し、フィアがその横で小さく笑う。


けれど、その笑みは長くは続かなかった。


フィアが突然、足を止めたからだ。


「……あ」


小さな声だった。


ガレスとセシルも、フィアの視線を追う。


食堂の横から温泉へ続く道。


そこに、一人の青年が立っていた。


獣人の子供が何か大きな荷物を抱えており、その青年は困ったように笑いながら、荷物の一部を受け取ってやっている。


少し背が伸びていた。


以前より身体つきもしっかりしている。


表情も、三人と一緒にいた頃よりどこか穏やかに見えた。


けれど、その横顔を見間違えるはずがなかった。


何度も一緒に依頼へ向かい、同じ焚き火を囲み、同じ道を歩いた相手なのだから。


「……ユウ」


ガレスの声が掠れた。


フィアは小さく息を呑み、セシルも何も言えないまま青年を見つめている。


ずっと噂だけだった。


本当に同じ人物なのかと疑いながら、ここまで来た。


けれど、もう疑う余地はなかった。


間違いなく、かつて自分たちが追放したユウだった。


三人は、その場から動けなくなる。


一方のユウは獣人の子供から荷物を受け取りながら、何かを話して笑っていた。


その周囲を通る者たちは自然にユウへ声をかけ、ユウもそれに笑顔で答えている。


その光景は、ガレスたちが知っていた頃のユウとはあまりにも違って見えた。


そして遠くにいるユウは、まだ三人が来ていることに気づいていなかった。


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