閑話 食堂拡張と新人たち
「……多くないか?」
朝のやわらぎの湯。その食堂前で、ダンは目の前にできた人の列を見ながら、思わずそんな言葉を漏らした。
並んでいるのは人間だけではない。獣人にドワーフ、エルフ、魔族まで混ざっており、中にはどう見ても旅人や冒険者とは違う、きっちりとした身なりの人間も何人かいる。
ざっと数えただけでも二十人近かった。
「従業員募集って、こんなに集まるもんなのか?」
「僕も驚いたよ。多くても十人くらいかなと思ってた」
隣に立っていたユウも、さすがに予想外だったらしく少し困ったように笑っている。
今回、従業員を募集することになったきっかけは、レインの味覚が完全に戻ったことだった。
味覚を取り戻したレインが感謝を込めて作った特製やわらぎ鍋は、瞬く間にやわらぎの湯の新名物となった。もともと客が増えていたところへ鍋目当ての客まで押し寄せるようになり、それまで何とか回していた食堂が、ついに限界を迎えたのである。
「昨日なんて、昼飯の片付けが終わったと思ったら、もう夕飯の仕込みが始まってたからね」
カヤが遠い目をしながら言う。
「レインさんなんて途中から包丁持ったまま笑ってたよ」
「それ、疲労の限界を越えてるやつじゃねぇか」
さすがのダンも顔を引きつらせた。
そこで食堂そのものを広げ、同時に従業員も増やすことになったのだが、建物の方はすでにドグランが作業へ取りかかっている。
というより、昨日のうちに厨房の壁を一部ぶち抜いていた。
「壁をぶち抜いたって言い方はやめようよ」
ユウが言うと、ダンは厨房の奥を指差した。
「いや、実際ぶち抜いただろ。ドグランが大槌で一発だったぞ」
「必要な解体だ」
いつの間にか近くにいたドグランが真顔で訂正する。
「言い方変えただけじゃねぇか」
ともあれ厨房は広くなった。
残る問題は、そこで働く人間である。
「では、面接を始める」
食堂の前に出てきたレインが腕を組んだ。
味覚が戻ったことで顔色も良くなり、以前よりずっと生き生きしている。ただし料理に対して妥協しないところだけは何も変わっていない。
最初に前へ出たのは、体格のいい獣人の青年だった。
「肉料理が得意です!」
「包丁は使えるか?」
「使えます!」
「火加減は?」
「勘です!」
「不採用」
「早い!」
ダンが横から思わず声を上げる。
獣人の青年も慌てて両手を振った。
「待ってください! ちゃんと分かるんです! 肉なら匂いだけで焼き加減が分かります!」
その言葉を聞いた瞬間、レインの眉がわずかに動いた。
「……やってみろ」
「復活した!」
「うるさいぞ、ダン」
「俺が悪いのかよ」
さっそく厨房から肉が持ってこられ、簡単な実技試験が始まった。
青年は焼いている肉を一度も切らず、香りを嗅いだだけで火から下ろす。
レインが切り分けて断面を確認すると、ちょうどいい焼き加減だった。
「悪くない」
「ありがとうございます!」
「採用はまだだ。次」
「厳しいな!」
次に出てきたのは、小柄なドワーフの女性だった。
「酒場で二十年働いてたよ」
「料理は?」
「煮込みと揚げ物なら任せな。それと酒のつまみなら大抵作れる」
「配膳はできるか?」
「樽を二個同時に運べる」
ダンが首を傾げた。
「配膳の基準、そこなのか?」
すると女性は近くにあった水樽を両脇に抱え、そのまま軽々と持ち上げた。
「これくらいなら階段もいけるよ」
「採用」
「そこ評価するんだ!?」
「混雑時には重要だ」
「まあ、確かにそうだけどよ……」
続いて前へ出たのは、細身のエルフの青年だった。
「野菜料理と薬草料理を専門としております」
レインが少し興味を示す。
「得意料理は?」
「百二十種類の香草を使った森の恵みサラダです」
「百二十種類?」
「はい」
少し離れたところで聞いていたカヤが、ダンへ小声で尋ねる。
「それ、葉っぱ以外に食べるところ残ってるのかな?」
「俺も今まったく同じこと考えてた」
本人に聞こえないように話しているつもりだったが、エルフの青年の耳がぴくりと動いたので、おそらく全部聞こえていた。
その次に前へ出てきたのは、角の生えた大柄な魔族の女性だった。
「火を扱う仕事なら任せろ」
そう言って指を鳴らした瞬間、手のひらの上に炎が灯った。
レインの目つきが変わる。
「その火力、細かく調整できるか?」
「もちろんだ」
「弱火」
小さな炎が灯る。
「中火」
炎が一回り大きくなる。
「強火」
ぼうっ、と勢いよく燃え上がる。
「では最大――」
「待て待て待て!」
ダンが慌てて間に入った。
「ここで最大まで出すな! 厨房ごと吹き飛んだらどうすんだ!」
魔族の女性は不満そうに炎を消した。
「まだ半分ほどだぞ」
「半分でそれなの!?」
レインはしばらく考えたあと、真剣な顔で頷く。
「採用候補だな」
「採るのかよ!」
「大量調理には便利だ」
「便利さと危険度が釣り合ってねぇだろ……」
ダンが呟くと、その横で話を聞いていたドグランが懐から紙を取り出し、何かを書き込んだ。
「厨房に耐火壁を追加する」
「対応が早ぇよ」
面接は次々に進んでいったが、その中でダンが特に気になっていたのは、列の後ろにいる数人だった。
他の応募者とは服装からして違う。
仕立てのいい上着に整えられた髪、立ち姿にも妙な堅さがあり、いかにも都市部で働いていた者という雰囲気が漂っている。
気になったダンが、一人の青年へ尋ねた。
「……あんたら、どこから来た?」
青年はすぐに姿勢を正した。
「王都です」
「やっぱりか」
「宮廷で働いておりました」
「そんなところから、わざわざこの谷まで来たのか?」
「やわらぎの湯で働きたくて来ました」
「いや、それは募集に来てるんだから分かるけどよ。なんでここなんだ?」
すると隣にいた女性が待ってましたと言わんばかりに口を挟んだ。
「今、王都でもものすごく有名なんですよ。やわらぎの湯」
「そんなに?」
ユウが驚く。
「もちろんです。特製温泉まんじゅうに、やわらぎ鍋。それに最近では効能ごとに違う温泉まであるって」
「温泉まんじゅうは食堂じゃないぞ」
「細かいことはいいんです!」
「いや、そこは割と大事だぞ」
さらに別の男が一歩前へ出た。
「私は王都で貴族向けの料理店に勤めておりました」
「そんな店を辞めてきたの?」
ユウが思わず聞き返すと、男は真剣な顔で頷いた。
「はい」
「どうして?」
「以前、休暇を利用してここを訪れた際、やわらぎ鍋をいただきまして」
「うん」
「人生が変わりました」
ダンが思いきり顔をしかめた。
「鍋一杯で人生変えるなよ」
「本気です!」
「声がでかい!」
だがレインは笑わなかった。
王都から来た者たちを順番に見ながら尋ねる。
「給金だけを比べれば、王都の方が上かもしれない。それでもここで働きたいのか?」
すると彼らは顔を見合わせたあと、ほとんど同時に頷いた。
「ここでは人間だけではなく、さまざまな種族の料理を学べると聞きました」
「王都では手に入らない食材も多いです」
「魔族の調味料も使えるんですよね?」
「獣人の燻製技術もあるとか!」
「エルフの薬草料理も学びたいです!」
話しているうちに、だんだんと全員の声が大きくなっていく。
それを聞いていたレインが、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「料理好きばかりか」
「お前、ちょっと嬉しそうだな」
ダンが言う。
「当然だ。料理を学びたいという者を嫌う料理人はいない」
「そういうところは分かりやすいな」
その後も面接は続いた。
配膳希望だという獣人の少女は、自信満々に六枚の皿を腕へ載せると、そのまま駆け出そうとしてミナに止められた。
「走っちゃだめ」
「でも、早い方がお客さんも喜ぶよね?」
「料理を落としたら、もっと遅くなる」
「……確かに」
「だから走っちゃだめ」
「はい」
妙に説得力があり、少女は素直に頷いた。
一方、料理人希望だったはずのドワーフの男は、厨房へ入った瞬間に排水設備へ目を奪われた。
「この流し、もう少し傾斜をつけた方が水が溜まらんぞ」
「ほう」
ドグランが反応する。
「それと作業台の高さも全部同じじゃなくていい。ドワーフと人間とオーガじゃ使いやすい高さが違うだろ」
「面白い。続けろ」
「ちょっと待て。いつの間に建築の面接になったんだ」
ダンが止めなければ、そのまま二人で厨房を改装し始めそうな勢いだった。
エルフの女性は食材庫へ入った途端、別の意味で大騒ぎになった。
「この薬草と肉を隣に置いてはいけません!」
突然の大声に全員が振り返る。
「この薬草は香りを吸いやすいんです! それから、この果実は冷暗所へ! 乾燥香草と生の薬草も分けてください!」
言い終わる頃には、すでに袖をまくって食材庫の整理を始めていた。
「……採用でいいんじゃねえか?」
ダンが呟くと、レインも頷く。
「ああ。食材管理を任せたい」
最後には、皿洗いを希望する魔族の青年まで現れた。
「皿洗いなら任せろ!」
自信満々にそう宣言した直後、力を入れすぎたのか、手に持っていた皿がぱきんと真っ二つになった。
全員が黙る。
青年も黙る。
しばらくして、彼は割れた皿を見ながら呟いた。
「……今のは皿が弱かった」
「皿のせいにすんな」
夕方になる頃には、どうにか採用する者も決まった。
厨房を担当する者、配膳を担当する者、仕込み専門、食材管理、洗い場。さらに王都で経験を積んだ者たちは、接客や帳簿の管理まで手伝うことになった。
完成した名簿を見ながら、ユウが感心したように言う。
「結構増えたね」
「人間、獣人、ドワーフ、エルフ、魔族か。本当に見事なくらいバラバラだな」
横から名簿を覗き込んだダンが言うと、カヤが楽しそうに笑った。
「いいじゃない。この谷らしくて」
その言葉にユウも頷いた。
種族が違えば得意なことも違う。だからこそ、それぞれができることを持ち寄ればいい。
問題は、実際に一緒に働いた時にどうなるかだった。
そして、その答えは営業開始からすぐに分かった。
「注文三つ追加!」
「やわらぎ鍋二つ!」
「肉料理四人前!」
「野菜盛り一つお願いします!」
「皿が足りません!」
「ご飯もそろそろなくなります!」
「誰だ、火を強くしたのは!」
「我だ!」
「戻せ! 鍋が燃える!」
初日から大混乱だった。
せっかく拡張した厨房の中を、新しく入った従業員たちが目まぐるしく動き回っている。
王都出身の料理人が魔族の炎を借りて炒め物を作り、獣人の青年は肉の香りを嗅いで次々に焼き上がりを判断していく。エルフたちは大量の野菜と薬草を手際よく切り分け、ドワーフの女性は大鍋を二つ抱えたまま平然と厨房を横切っていた。
その中心で、レインが次々に指示を飛ばす。
「次、やわらぎ鍋五人前! 肉は二番の鍋、野菜は三番から取れ!」
「はい!」
全員の声が一斉に返る。
厨房の入口からその様子を眺めていたダンは、しばらくしてぽつりと呟いた。
「……昨日より騒がしくなってないか?」
隣に立ったユウも厨房を眺める。
「人が増えたからね」
「人手不足を解消するために増やしたんだよな?」
「そうだよ」
「なのに何で忙しさまで増えてんだ?」
「お客さんも増えたからじゃない?」
「意味ねぇじゃねえか」
そんなことを言いながらも、ダンの顔には笑みが浮かんでいた。
食堂から聞こえてくる客たちの声は、以前よりもずっと賑やかで楽しそうだった。料理が出てくるまでの時間も短くなり、これまで作れなかった料理まで少しずつ増え始めている。
何より変わったのは、厨房そのものだった。
王都から来た人間の料理人が魔族から独特の火加減を教わり、獣人がエルフへ肉に合う薬草を尋ねる。その隣ではドワーフが大鍋をかき混ぜながら、人間の若い料理人へ煮込み方を教えていた。
種族の違いなど、料理をしている間は誰も気にしていない。
レインは厨房の中央からそんな光景を見渡すと、満足そうに小さく頷いた。
「悪くないな」
「お前が一番楽しそうじゃねぇか」
ダンが笑う。
「そう見えるか?」
「見えるよ」
ユウも隣で笑った。
食堂は広くなり、働く者も増えた。
料理の種類も増え、これまで知らなかった種族の味まで少しずつ混ざり始めている。
やわらぎの湯の食堂は、ただ客の腹を満たすだけの場所から、さまざまな種族の料理と知恵が集まる場所へと変わり始めていた。
そして翌朝。
食堂の入口には、新しい張り紙が出されていた。
『従業員募集――いったん終了』
昨日の人数を考えれば当然だったが、その下にはいつの間にか別の一文が付け加えられている。
『特に火力担当はもう十分です』
どう見てもレインの字ではない。
ユウが横を見ると、ダンは何食わぬ顔で朝食を食べていた。
そして張り紙を読んだ魔族の女性が、厨房の中から不満そうな声を上げる。
「まだ最大火力を見せていないのだが?」
「見せなくていい! 一生見せなくていいからな!」
朝一番から響いたダンの声に、食堂中から笑い声が上がった。
もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけたら、
ブックマークやページ下部の☆を押して評価をお願い致します!
作者の励みになります!




