極秘のサウナ協定
「……暑い」
「サウナだからな」
「分かってる」
「じゃあ言うなよ」
夕方。
新しく拡張された大浴場の一角。
木の香りがまだ残る小さな部屋で、ダンは額の汗を拭っていた。
部屋の中央には熱せられた石。
壁際には段差のついた木製の椅子。
大浴場の増築に合わせて、ユウが試しに作った新しい設備だった。
『サウナ』
熱した石に水をかけ、蒸気で身体を温める。
ユウが昔聞いた知識を話したところ、ドグランが興味を示し、あっという間に形にしてしまった。
「しかしよ」
ダンが熱気に顔をしかめる。
「温泉に入る場所で、わざわざ汗だくになる意味あるのか?」
「このあと水風呂に入ると気持ちいいらしいよ」
「らしい?」
「僕も試してるところ」
「実験に俺を巻き込むな」
ユウは笑いながら熱した石へ水を落とした。
じゅうっ。
白い蒸気が一気に広がる。
「熱っ!」
「いい感じだね」
「お前、意外と平気そうだな……」
その時。
外から足音が聞こえた。
やけに慎重な足音だった。
そっと近づき。
扉の前で止まる。
少しだけ扉が開いた。
「……誰もおらんな?」
顔を覗かせたのは、地味な旅装姿の男だった。
帽子を深くかぶっているが。
ユウにはすぐ分かった。
「あ、エルグランさん」
「しっ!」
男が慌てて口元へ指を立てる。
アストリア王国国王。
エルグラン本人だった。
ダンが顔を引きつらせる。
「何してるんですか、陛下」
「今日は陛下ではない」
「じゃあ何なんです」
「ただの客だ」
「その変装で?」
「分からなかったであろう」
「ユウに一発でバレてましたよ」
エルグランは咳払いすると、何事もなかったように中へ入った。
「最近、城から出ようとすると護衛がついてくるのでな」
「当たり前でしょう」
「たまには一人で静かに湯へ入りたいのだ」
そう言いながら椅子へ腰掛ける。
しばらくすると。
「……ほう」
エルグランの顔が緩んだ。
「これは悪くない」
「まだ試験中ですけどね」
「城にも一つ欲しいな」
「持って帰ろうとするなよ」
ダンが呆れる。
すると。
再び外から足音。
またしても。
妙に慎重だった。
ダンが嫌そうな顔をする。
「今度は何なんだ……」
扉が開く。
今度は黒い外套をまとった大柄な男。
顔を隠すようにフードをかぶっていた。
「誰もおらぬな?」
「いるぞ」
ダンが答えた。
男が固まる。
そしてゆっくり顔を上げた。
「あ」
ユウが声を上げる。
「ゼルヴァディスさん」
「……む」
魔王ゼルヴァディス。
魔族領を統べる王だった。
そして。
その姿を見たエルグランも固まる。
「……ゼルヴァディス」
「……エルグラン」
二人の視線がぶつかった。
部屋の空気が一瞬だけ張り詰める。
ダンが頭を抱えた。
「なんで国王と魔王が揃って忍び込んでくるんだよ……」
「我は視察だ」
「余もだ」
「視察なら堂々と来てくださいよ」
二人とも黙る。
ユウだけは気にした様子もない。
「せっかくだから入っていきます?」
「……うむ」
「そうするとしよう」
二人の王は少し距離を空けて座った。
ユウが石へ水をかける。
じゅうううっ。
一気に蒸気が広がった。
「ぬお……」
「これは……」
エルグランもゼルヴァディスも最初こそ驚いたが。
しばらくすると。
誰もしゃべらなくなった。
ただ静かに汗を流す。
やがて。
エルグランがぽつりと言った。
「最近、国境が騒がしい」
ゼルヴァディスが目を閉じたまま答える。
「そちらが砦を増やしているからだ」
「魔族側も兵を増やしているではないか」
「そちらが先だ」
「いや、そちらが……」
そこで二人とも黙った。
普段ならそのまま言い争いになるところだろう。
だが。
暑い。
とにかく暑い。
怒鳴る気力が続かない。
「……双方、少し兵を下げるか」
エルグランが言う。
ゼルヴァディスが目を開けた。
「同時になら構わぬ」
「砦の増築も一度止めよう」
「ならば我らも増兵を止める」
ダンが二人を見る。
「え?」
あまりにもあっさり話が進んだ。
「今、結構重要な話してません?」
「暑いから細かい話は後だ」
「いや、そういう問題ですかね?」
ユウが時計代わりの砂を確認する。
「そろそろ出ましょう」
外へ出た二人は、そのまま水風呂へ向かった。
エルグランが足を入れる。
「冷たっ!」
ゼルヴァディスも続く。
「ぬおっ!」
ダンが吹き出した。
「魔王でもそんな声出すんだな」
「黙れ」
二人は肩まで水に浸かった。
そして。
外気浴用の長椅子へ並んで座る。
涼しい風が吹いた。
葉が揺れる。
遠くから食堂の賑やかな声が聞こえてくる。
エルグランが空を見上げた。
「……悪くないな」
「認めよう」
ゼルヴァディスも頷く。
「頭が妙にすっきりする」
「先ほどの国境の件」
「うむ」
「正式に話してみるか」
「異議はない」
二人はそこで立ち上がった。
エルグランが手を差し出す。
ゼルヴァディスは一瞬だけ見つめ。
その手を握った。
「今日ここで会ったことは」
「極秘だな」
「当然だ」
ダンがため息を吐く。
「なんでサウナで秘密協定ができてるんだよ……」
その後。
二人は来た時と同じように、別々の道からこっそり帰っていった。
ユウはその背中を見送る。
「気に入ってもらえたみたいだね」
「そこだけ見ればな」
「また来るかな?」
「今度は普通に来てくれ」
そして翌朝。
やわらぎの湯へ使者がやってきた。
一人はアストリア王国。
もう一人は魔王領。
それぞれが一通ずつ書状を持っている。
「ユウ殿へ、正式な依頼です」
「我が魔王陛下からも同様の書状を預かっている」
ユウが二通を受け取る。
内容を読んで。
首を傾げた。
「次の会談を、ここで開きたいって」
「……は?」
ダンが固まる。
ユウは続きを読む。
「国境問題について、両国の正式な会談をやわらぎの湯で行いたいそうだよ」
「なんで温泉宿で国家会談やるんだよ!」
「場所も指定されてる」
「嫌な予感しかしねぇ」
ユウが書状を見る。
「サウナ」
「やっぱりか!」
ダンの声が宿中に響いた。
しかも会談後は。
水風呂。
さらに外気浴をしながら最終調整を行いたい。
二通の書状には、ほとんど同じことが書かれていた。
「じゃあ、少し椅子を増やした方がいいかな」
「お前も普通に受け入れるな!」
こうして、王城でも、魔王城でもなく。
やわらぎの湯の小さなサウナで。
人間の王と魔族の王による。
前代未聞の正式会談が開かれることになった。
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