看板娘と新作名物
効能特化湯ができてから数日後。
朝の露店街を歩いていたダンは、通りの先にできた長い列を見て足を止めた。
まだ日が昇りきっていないというのに、冒険者や商人、獣人に魔族、それに眠そうな顔をした宿泊客までがずらりと並んでいる。
列は通りの端まで続き、全員が同じ小さな露店を目指していた。
「……なんだ、この列」
ダンが目を細める。
その時、列の先から聞き慣れた元気な声が響いた。
「はいはい! 一人三個までだからねー!」
黒い猫耳をぴんと立て、尻尾を忙しそうに揺らしながら客へ包みを渡しているのはカヤだった。
「次の人!」
「二箱くれ!」
「一人三個まで!」
「家族の分なんだ!」
「みんなそう言う!」
朝から元気よく客をさばいている。
ダンはしばらくその光景を眺めたあと、近くにいたユウへ顔を向けた。
「……何売ってるんだ、あいつ」
「温泉まんじゅう」
「温泉まんじゅう?」
「昨日、カヤが新しい名物を作りたいって言い出してね」
「昨日?」
ダンの眉がわずかに動いた。
少し前には、ユウが思いついた効能特化湯があっという間に形になったばかりだ。
最近のやわらぎの谷では、誰かが何かを思いつくたびに、それが数日もしないうちに大騒ぎになる。
「今度はカヤかよ……」
ダンが呟く。
少し離れた場所では、レインが大きな蒸籠から出来上がったまんじゅうを取り出していた。
蓋を開けるたびに白い湯気が立ち上り、それと一緒に甘い香りが朝の露店街へ広がっていく。
その匂いを嗅いだ途端、ダンの腹が小さく鳴った。
「……で、何が新しいんだ?」
「食べてみる?」
ユウが出来たてを一つ渡す。
ダンは受け取ると、少し眺めてから半分に割った。
柔らかな生地の中には、薄い茶色の餡がたっぷりと詰まっている。
「見た目は普通だな」
「まあ食べてみて」
「そうするか」
一口食べた瞬間、ダンの動きが止まった。
「…………」
「どう?」
ユウが笑いながら聞く。
ダンはしばらく黙って咀嚼すると、残った半分もそのまま口へ放り込んだ。
「……もう一個くれ」
「気に入った?」
「その前に説明しろ」
ユウは少し笑いながら、まんじゅうについて説明する。
一番の特徴は生地だった。
普通の水ではなく、やわらぎの谷から湧く温泉水を使って練り上げている。
最初はカヤの思いつきだったらしいが、実際に作るとなると簡単ではなく、レインが温泉水の量を何度も調整したという。
多すぎれば生地がまとまらず、少なすぎれば普通のまんじゅうと変わらない。
試作を重ねた結果、今の配合に落ち着いた。
そのおかげか、生地はしっとりとして柔らかく、噛むとふわりとほどけるような食感になっている。
餡には山で採れる木の実と少量の蜂蜜、それに温泉街の近くで採れる香草が細かく混ぜ込まれていた。
甘さはしっかりあるのに重くなく、木の実の香ばしさと香草の爽やかさが後に残る。
温泉上がりなら、もう一つくらい自然と手が伸びそうな味だった。
ダンは手元のまんじゅうを見る。
「これ、レインが作ったんだろ?」
「生地と餡を仕上げたのはレインだよ」
「じゃあカヤは?」
「温泉水を使おうって言い出したのと、味の方向を考えたのがカヤ」
ダンが露店を見る。
カヤは相変わらず満面の笑みで客へ包みを渡していた。
「ちゃんと考案者ではあるのか」
その瞬間、黒い猫耳がぴくりと動く。
「聞こえてるよ!」
「耳良すぎるだろ」
「ちゃんと考えたんだから!」
カヤは客へまんじゅうを渡しながら、こちらへ顔を向ける。
「温泉に入った後って、甘いもの食べたくなるでしょ?」
「まあ、なるな」
「でも甘すぎると喉が渇くし、重いと何個も食べられないでしょ?」
「何個も食わせる前提なのか」
「大事なところ!」
カヤは胸を張る。
「それで温泉水を使ったら、もっと温泉街らしい名物になるかなって思ったの」
ダンはもう一つ受け取ったまんじゅうを見ながら、少し感心したように頷いた。
「……悔しいけど、ちゃんと考えてるな」
「でしょ!」
カヤの尻尾が嬉しそうに大きく揺れる。
その横ではミナが、いつの間にかまんじゅうを食べていた。
「おいしい」
「ミナ、何個目?」
ユウが聞く。
「五個」
ダンがすぐにそちらを見る。
「一人三個までじゃなかったのか?」
カヤが目を逸らした。
「身内枠」
「そんな枠を勝手に作るな」
「看板娘特権!」
「売ってる側の特権じゃねぇか」
ミナは気にする様子もなく六個目へ手を伸ばした。
だが、その直前でダンが包みを持ち上げる。
「待て」
ミナの耳が少しだけ下がった。
「……食べたい」
「その顔やめろ」
「食べたい」
「分かったから」
結局、ダンはそのまま渡した。
少し離れた場所ではリーフェも一つ食べていて、餡を味わいながら小さく頷いている。
「甘いけれど、確かにしつこくないわね。それに生地が随分柔らかいわ」
「温泉水を使ってるからね!」
カヤが得意そうに答えた。
「あとね、名前も考えた!」
その言葉を聞いた瞬間、ダンの顔に嫌な予感が浮かぶ。
「……何て名前だ?」
カヤは待ってましたと言わんばかりに、露店の横へ置かれた木札を勢いよく指さした。
そこには大きな文字で、
『カヤ特製! ふわふわ温泉まんじゅう』
と書かれていた。
ダンは数秒ほど木札を見つめる。
「……お前の名前、いるか?」
「いる!」
「ふわふわ要素はどこだよ」
「生地! 温泉水を使ってるから、いつもよりふわふわなの!」
ダンは手元のまんじゅうを見る。
確かに、指で押すと柔らかな生地がゆっくり戻ってくる。
「そこはちゃんと温泉まんじゅうしてるのかよ」
「当然!」
カヤは満足そうに胸を張った。
その時だった。
「カヤちゃん! あと何個ある!?」
列の前から大きな声が飛んでくる。
カヤは振り返り、後ろに積まれた箱を確認した。
「残り百二十個!」
「一人三個なら四十人分か!」
その声を聞いて、列の途中にいた客たちがざわつき始める。
「え、俺それより後ろなんだけど!」
「もう少し残ってないのか?」
「朝早く来たのに!」
さっきまで穏やかだった列に、少しずつ焦りが広がっていく。
ダンが顔を引きつらせた。
「おい、なんか殺気立ってきてないか?」
「じゃあ追加で作る!」
カヤが勢いよく振り返る。
だが、蒸籠の前にいたレインが静かに首を横へ振った。
「生地がない」
カヤの動きが止まる。
「え?」
「餡も残ってない」
「そんな……」
さっきまで元気に揺れていた尻尾が、一気にしゅんと下がった。
カヤは恐る恐る列を見る。
まだかなりの人数が並んでいる。
「……逃げる?」
「店主が逃げるな」
「じゃあダン、お願い!」
「何をだよ!」
答える前に、カヤがダンの背中を押して露店の前へ連れていく。
「本日分、あと百二十個でーす!」
「おい!」
列が一斉にざわついた。
何人かが前へ詰めようとする。
それを見たダンは反射的に声を張った。
「押すな! ちゃんと並べ! 一人三個までだ!」
大柄な冒険者の声が響くと、客たちはぴたりと動きを止めた。
やがて列がゆっくり元へ戻っていく。
後ろで見ていたカヤの目が輝く。
「すごい!」
「お前がやれ!」
「ダン、向いてるよ!」
「何にだ!」
ユウはその様子を見ながら苦笑し、レインは何も言わず最後のまんじゅうを蒸籠へ並べていた。
その日の温泉まんじゅうは、昼になる前にすべて売り切れた。
そして翌朝。
露店街へやってきたダンは、昨日以上に長くなった列を見て立ち止まった。
「……増えてないか?」
昨日より明らかに人数が多い。
中にはまだ眠そうな顔で毛布を肩へ掛けながら並んでいる者までいた。
列の先頭では、カヤが朝日を浴びながら元気よく手を振っている。
「おはよー! 今日も一人三個までだからねー!」
すっかり露店街の顔になっていた。
そして、その隣には昨日とは違う新しい木札が置かれている。
大きく書かれているのは、
『やわらぎ名物 特製温泉まんじゅう・極』
という文字。
その下には少し小さく、
『温泉水使用 考案・カヤ』
としっかり書き加えられていた。
ダンはそれを見つめ、静かにため息を吐く。
「結局、名前は残すのかよ……」
「大事だから!」
離れた場所から、すぐにカヤの声が返ってくる。
「だから耳良すぎるだろ!」
朝の露店街には、今日も白い湯気と甘い香り、それに楽しそうな笑い声が広がっていた。
効能の違う温泉が増え、そこへ温泉水を使った新しい名物まで加わった。
やわらぎの谷は今日も少しずつ、訪れる人たちが楽しみにする場所へと変わり続けていた。
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