効能特化湯の誕生
「……三つ?」
朝のやわらぎの湯。
新しく作られた三つの小さな露天風呂を前にして、ダンは怪訝そうに眉を寄せていた。
どの浴槽からも同じように白い湯気が立ち上っていて、見た目だけなら大きな違いはない。
「また増やしたのか?」
「うん。ちょっと試したいことがあって」
ユウが答えると、その横ではカヤがすでに興味津々といった様子で浴槽を覗き込んでいた。
「何が違うの?」
「効き方かな」
「効き方?」
ユウは三つの浴槽を順番に見ながら説明する。
「こっちは肌や毛並みを整えることを意識して調整した湯。真ん中は身体の疲れが取れやすいようにしてあるから、冒険者とか身体をよく動かす人向けかな」
「毛並み!」
そこまで聞いたところで、カヤの猫耳がぴんと立った。
ダンが横目で見る。
「お前、そこにしか反応してないだろ」
「だって大事でしょ!」
「まあ、獣人には大事なのかもしれんけどな……」
ユウは少し笑いながら、最後の浴槽へ目を向ける。
「それで、こっちは魔力の巡りを整えるための湯。魔法を使いすぎて疲れた時には、一番合うと思う」
ダンは三つの浴槽を見比べてから、ゆっくりとユウを見る。
「……待て」
「うん?」
「全部、同じ源泉から引いてるんだよな?」
「そうだよ」
「なのに効果が違うのか?」
「途中で水の状態を少しずつ変えてるから」
「少しで済む話か、それ」
ダンが額へ手を当てる。
その横でリーフェが魔力用の浴槽へ手を入れ、しばらく目を閉じた。
やがて、少し驚いたように目を開く。
「……本当に違うわね」
「分かるのか?」
「ええ。この湯は魔力が馴染みやすいわ。直接回復させているというより、乱れた流れを整えている感じね」
「そんな感じ」
ユウが頷く。
ダンはさらに眉を寄せた。
「いつ思いついた?」
「昨日」
「昨日?」
「昨日来てた冒険者たちを見てたら、疲れ方って人によって違うなと思って」
前日、ダンが連れてきた新人冒険者たちは、温泉へ入り、食事をして、久しぶりにゆっくり眠っていた。
同じように疲れているように見えても、その中身は少しずつ違っていた。
長い戦いで腕や脚を酷使している者もいれば、魔法を使いすぎて魔力の巡りが乱れている者もいる。
それなら、その人の疲れ方に合った湯があってもいいのではないか。
ユウはそう考えたらしい。
「なるほどな」
ダンは一度頷き、それからすぐに首を振った。
「いや、納得しかけたけど、昨日思いついて今朝には三つ完成してるのがおかしいんだよ!」
「そう?」
「そうだよ」
迷いのない即答だった。
そんな二人のやり取りを気にする様子もなく、ミナは真ん中の浴槽をじっと見つめていた。
「入る」
「早いな」
「試す」
「まあ、作った以上は誰かが試さないとな」
ダンがため息を吐く。
するとカヤも元気よく手を挙げた。
「あたしはこっち!」
「毛並みの湯か?」
「当然!」
「目的が分かりやすいな」
「ふわふわになるなら入りたいでしょ!」
そう言い残し、カヤは嬉しそうに肌と毛並み用の湯へ向かっていった。
しばらくして。
ダンは身体の疲れを取るために調整された湯へ肩まで浸かり、静かに右肩を回していた。
温度は熱すぎず、普段のやわらぎの湯と大きく変わらないように感じる。
だが、しばらく浸かっているうちに違いが分かってきた。
「……軽いな」
長年、大剣を振ってきたせいで固まりやすい肩や背中が、いつもより早くほぐれていく。
数日前から残っていた脚の重さも、少しずつ抜けているようだった。
もちろん、一瞬で疲れが消えるわけではない。
それでも身体が楽になっているのは確かだった。
「筋肉が休みやすいように、水温と水の流れを調整してるんだ」
浴槽の外からユウが説明する。
「それだけか?」
「あと、身体に馴染みやすいように少しだけ」
「その『少しだけ』が毎回怪しいんだよな……」
ダンが呟いた、その時だった。
「ダン! 見て!」
少し離れた場所からカヤの声が飛んでくる。
振り向くと、湯から上がったカヤが満面の笑みを浮かべながら、自分の尻尾を持ち上げていた。
「どう?」
尻尾はいつも以上に柔らかく膨らみ、見るからにふわふわしている。
ダンは思わず目を見開いた。
「……すげぇな」
「でしょ!」
ミナも近づき、カヤの尻尾へ手を伸ばす。
「触っていい?」
「いいよ!」
ミナがそっと撫でる。
「ふわふわ」
「もっと触っていいよ!」
「触る」
二人で楽しそうに尻尾を撫で始める。
ダンはその光景を眺めてから、ユウへ顔を向けた。
「肌を整える湯じゃなかったのか?」
「毛並みにも合ってたみたいだね」
「獣人にはそっちの方が人気出そうだな」
「かもしれない」
そんな話をしている間も、魔力用の浴槽だけは妙に静かだった。
ダンがそちらを見る。
リーフェは肩まで湯へ浸かり、岩へ背中を預けたまま目を閉じている。
「……リーフェ?」
返事がない。
カヤが首を傾げる。
「寝た?」
少ししてから、小さな声が返ってきた。
「……出たくない」
ダンが呆れたように見る。
「起きてんじゃねぇか」
リーフェはゆっくり目を開き、心底名残惜しそうに湯を見た。
「これは危険ね」
「何がだ?」
「魔法使いが入り浸るわ」
「危険の意味が違うだろ」
「だって、本当に楽なのよ」
リーフェは再び岩へ身体を預ける。
普段の冷静な雰囲気はすっかり薄れていた。
「魔力の流れが自然に整っていく感じがするわ。無理に回復させられている感じもないし、身体への負担も少ない」
「正確には魔力そのものを回復させてるわけじゃないよ」
ユウが説明する。
「乱れた流れを整えて、休んだ時に回復しやすい状態にしてるだけ。入ったからって魔力が一気に戻るわけじゃない」
「じゃあ、普通に休む必要はあるのか?」
「うん。ちゃんと食べて、寝る方が大事」
それを聞いたダンは少し笑った。
「そこはいつもの温泉と一緒なんだな」
「無理に治す場所じゃないからね」
疲れを消すわけではない。
傷を一瞬で治すわけでも、使った魔力をすぐに満たすわけでもない。
ただ疲れた身体をほぐし、乱れたものを整え、少しだけ休みやすくする。
やわらぎの湯は最初から、そんな場所だった。
ダンは改めて三つの浴槽を見る。
「それで、名前は?」
「名前?」
ユウが首を傾げる。
「まさか決めてないのか?」
「まだ」
「作る前に考えとけよ!」
すると、待ってましたと言わんばかりにカヤが手を挙げた。
「はい! ふわふわの湯!」
「お前専用みたいになるだろ」
ミナも続く。
「もふもふの湯」
「似たようなの増やすな」
「じゃあ、美人の湯!」
「男が入りづらいだろ!」
浴槽の中から、リーフェが目を閉じたまま呟く。
「魔力の湯でいいんじゃない?」
ダンがそちらを見る。
「急に普通になったな」
「分かりやすい方がいいでしょう?」
「それはそうだけどな」
ユウはそんなやり取りを聞きながら、小さく笑った。
三つの浴槽から立ち上る白い湯気。
身体を使って疲れた者も、魔法を使いすぎた者も、肌や毛並みを気にする者も、それぞれ自分に合った形で休むことができる。
この日、やわらぎの谷に三種類の効能特化湯が新しく加わった。
そして数日後。
「ユウ!」
露店街の方から、カヤが勢いよく走ってきた。
「どうしたの?」
「身体を整える湯、二時間待ち!」
「え?」
「魔力の湯も一時間待ち!」
少し離れたところで聞いていたダンが、嫌な予感を覚えながら口を開く。
「……毛並みのやつは?」
カヤが満面の笑みを浮かべた。
「三時間!」
「一番人気じゃねぇか!」
今日もやわらぎの谷には、朝から元気な声が響いていた。
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