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冷たい毒と、確かな熱  作者: karo


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3/6

記憶

部屋に戻ると、扉が閉まる音がやけに重く響いた。


「……」


ベッドに腰を下ろしても、さっきの光景が頭から離れない。

あの完璧な笑顔。

温度のない、高くて柔らかい声。


「……怖い」


もう一度、声に出してみる。

理屈ではない。

体が、本能が、あの少女を拒絶している。


「お疲れになられましたね」


リゼが静かに寄り添う。


「少し、お休みになられますか」

「……うん」


横になり、天井を見上げる。

視界に広がるのは、昨日と同じ、何もない白。

それなのに、ちっとも心は落ち着かなかった。


「……リゼ」

「はい」

「私……あの人に、何かされた?」


問いかけた瞬間、部屋の空気がわずかに、けれど明確に張り詰めた。


「……」


リゼは答えない。

すぐには、言葉を返さなかった。

その一瞬の沈黙が、何よりも雄弁にすべてを物語っている気がした。


「……お嬢様」


やがて、静かな声が降ってくる。


「ご無理に思い出す必要はございません」


それだけだった。

否定もせず、肯定もせず。

彼女のその態度は、深入りを拒む壁のようでもあり、私を守る盾のようでもあった。


「……そう」


それ以上、聞いてはいけない気がした。

重いまぶたを閉じ、視界を暗転させる。


その、瞬間だった。



――ガシャンッ!


鋭い音が脳内を駆け抜けた。

耳の奥を直接爪で引っかくような、不快な音。


「……っ」


息が詰まる。

ガラスが、割れる音だ。

何かが、音を立てて崩れていく。


『やめて……』


誰かの声。

自分の声ではないはずなのに、すぐ近くで聞こえる。


『……っ、やだ……!』


体が勝手に強張り、胸が潰されそうなほど締め付けられる。

苦しい。怖い。逃げたい。


――コツ、コツ、と。

足音が近づいてくる。ゆっくりと、私を追い詰めるように。


『お姉様』


甘い、とろけるような声。耳元で囁かれる。


『だめですわ、お姉様。そんなこと、してはいけません』

『……ちがっ……』


言葉が出ない。肺から空気が抜けていく。


『カイン兄様が、悲しみますもの』


その一言が、楔のように胸に突き刺さった。


――ぐい、と。

腕を掴まれる。痛い。逃げられない。


『わたくしが、正して差し上げますわ』


優しい声。なのに、氷のように冷たい。


『……いや……っ!』


声が掠れたその瞬間、視界が激しく揺れた。

突き飛ばされ、床の硬い衝撃が全身を襲う。

何かが頭にぶつかり、意識が白く弾けた。


「……っ、は……っ!!」


目を見開く。

視界にあるのは、天井。

いつもの、白い天井だ。


肩が激しく上下し、全身が嫌な汗で濡れている。


「お嬢様」


すぐそばで、リゼの声がした。


「大丈夫でございます。ここにいらっしゃいますよ」


背に、そっと手が添えられる。

今度は幻じゃない。

ちゃんと触れている、温かな手。


「……いま……」


声がうまく出ない。

震える唇を必死に動かし、言葉を零す。


「……思い出した」


ほんの一部。

けれど、それだけで十分だった。


「……」


リゼの手が、ほんのわずかに強くなる。


「……どこまで、でございますか」


低い声だった。

いつもより、少しだけ硬く、鋭い響き。


「……あの人が、私を……突き飛ばした」


部屋が、しんと静まり返る。

あらゆる音が消え、ただリゼの気配だけが重く居座った。


「……そう、でございますか」


リゼの声は、あまりにも静かすぎて感情が読めない。


「……でも、理由は……なんでか、わからないの」


そこだけが、真っ黒な空白のまま。


「……」


リゼは、何も言わなかった。

長い、長い沈黙。


「……お嬢様。本日はこれ以上、お考えにならない方がよろしいかと」


落ち着いた声。けれど、それは決して無視できない強制力を孕んでいた。


「……うん」


私は素直に頷いた。

頭が重い。酷く疲弊している。

でも、一つだけ確信したことがあった。


「……あの人。やっぱり、怖い」


小さく呟いた私に、リゼは答えなかった。

ただ、そっとそばにいてくれる。

その無言の距離が、今は一番の救いだった。


――けれど。


扉の向こうの廊下で。

誰かが足を止め、聞き耳を立てていることに。

二人は、まだ気づいていなかった。

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