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捨てられ貴族と山暮らしの少年  作者: 花鶏
§ エピローグ §
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39/39

黒曜石の君へ


 あれから、あっという間に二年半の月日が流れた。


 五月の空が、高く青く澄んでいた。


 その青色を切り取る若葉の緑がさやさやと風に揺れている。


 土の上に仰向けに倒れたカイルは、根拠のない自信でひとりで山に入り、迷子になっていた。

 朝から何も食べていない腹をさする。


(……腹減ったなぁ〜〜……)


 今日はおそらく焼きキノコを食べて野宿だ。


 木漏れ日がきらきらと煌めき、遠くから鳥の囀りが聞こえた。


 土を踏む足音に、寝転がったまま顔を向ける。


「――なにやってんだ、おまえ」


 懐かしい声が耳に届いて、カイルは自然と笑みをこぼす。


 色黒の、髪も目も真っ黒の青年。

 三年前と変わらず山の民のいでたちのラタが、呆れたようにカイルを見下ろしていた。


 記憶より髪が伸び、顔立ちも大人びている。

 そろそろ二十歳くらいなんだろうか。


「最近この辺は狼が出るぞ」

「うげ。まじか」

「まあ、食べられたら、骨は埋めといてやる」

「そんな意地悪言わないで、拾ってよ。……春なんだから」


 平和な鳥の囀りの中で、カイルは軽口を叩く。

 ラタは黒曜石のような目を瞬いてから、ふはっと笑った。


「助けてほしいのか?」

「ラタ君の愛情料理が恋しい」

「なんだそれ」


 褐色の手が、カイルの差し出した右手を引いて起こしてくれる。

 そのままふたりは連れだって獣道を進む。


 カイルはラタの後ろ姿を見ながら、三年前にここで過ごした日々を思い出していた。


 倒れているところを拾ってくれたこと。

 火を消してしまって呆れられたこと。

 茶色くて苦い貴重な塩を、カイルのために使ってくれたこと。

 にっがい薬草を飲まされたこと。

 一緒に鹿を引き上げたこと。


 その全てが、少し前のことのようにも、大昔のことのようにも感じられた。


 ラタが肩越しにこちらを振り返る。


「あんなところで、なにしてたんだ」

「ラタに会いにきたに決まってるだろ。最近どう?」

「別に。春だから、毎日狩をして、薪を割って、たまに炭焼いてる」


「生活は何か変わった?」

「なんか塩が安くなって、冬越えが楽になった」


 その言葉に、カイルはにまりと笑って、ばしばしとラタの背中を叩いた。


「なんだよ。おまえはどうしてたんだ」

「俺は」


 カイルの二年半は、ラタと出会ったおかげで、随分と刺激的で面白かった。


 その全てを、ひと言で言うなら。


「俺は――ちょっとだけ、世界を変えてきたよ」


 ラタは、よく分からない、というように少し首を傾げたが、カイルはそれで十分だと思った。



 三年前に誘拐されて、カイルは公式には死亡扱いとなった。

 その代償に父親から、別の身分と商会の海運の権利をもらった。


 自分に何ができるか考えて、山での生活に足りなかったものを数えてみた。

 何もかもは、できない。

 だから、『塩』を選んだ。

 ――それが一番早く、ラタの命に届くと思ったから。


 塩が高いのは、塩税と輸送と仲介料のせいだ。


 カイルは商会の平常業務をこなしながら精製塩の輸入を始め、その製法ごと各地に広めた。

 そして輸入ルートも精製方法も公に開放し、希望する商人や職人をどんどん参入させた。


 その合間に、塩を大量消費する水産加工や皮革産業を営む商人や貴族たちと、片っ端から顔を繋ぐ。

 彼らは国を突き上げ、見事に税率の引き下げを勝ち取ってくれた。


 市場に白い塩が流れ始めれば、粗塩は『贅沢品』から『常備品』へとその地位を下げていく。

 多くの人が、命を削らなくてもそこへ手が届くようになった。



 まだ肌に冷たい風の中、ふたりは山道を登る。

 岩肌の陰に、思い出のままの小屋が見える。扉を潜りながら、カイルは小さく「ただいま」と呟いた。


 暖炉に火を入れたラタが、黄金色のスープをかき混ぜる。


「じゃあ、おまえ、これから村に住むのか」

「うん。商売頑張りすぎて身体壊しちゃったからさぁ」


 海運長の業務の合間を縫って、塩を追いかけてしゃかりきに走ってきた。そして気づけば塩の周りに別の商いが育っていた。

 そちらの儲けは度外視していたせいか、やたらと人に恵まれ、いつの間にかひと財産になっていた。


 まだまだやれることがある、と事業拡大を兄に相談していた矢先に、カイルは突然倒れた。

 以来、根をつめて仕事をすると、目眩や耳鳴りがして立っていられない。


 配当だけで食うに困らない富を得ていたカイルは、早すぎる引退を決めた。


「麓に家を買ったんだ。

 せっかくなら、ラタに会える場所がいいなと思って。

 他の友達は手紙くれたりするけど、ラタは絶対そんなのくれないじゃん?

 しばらく代筆とか翻訳しながら、ゆっくりするつもり」

「相変わらず、難しそうなことやってるんだな」


 スープを木椀に注いで席に着くラタの後ろに、三年前に文字の練習をした石板が立てかけられている。


「ラタは、もう文字には興味ない?

 よかったらまた教えるけど」

「要らない。

 じいちゃんの書き付けはまだ読めるし、自分の名前と、おまえの名前は書ける。十分だろ」


 カイルは言葉に詰まる。


「……感動で泣きそう。

 ラタ君、ハンカチ三十枚くらい持ってきて」

「そんなもの、ここにあるわけないだろ」


 ラタの差し出すスープに口をつける。

 かつての薄い、素材だけの味でも、えぐみの酷い乾燥肉の味でもない。

 仄かな、ちょうど良い塩味が美味しい。


 ラタの生きるこの山は、今も山道は不便だし、冬には峻烈な寒さが襲うのだろう。

 世界は変わらず、時に慈悲深く、時に残酷なままだ。


 ただ、カイルが奔走した二年半が、ラタの作るスープの味を少しだけ変えた。


 開け放たれた窓から心地良い風が入る。

 山の澄んだ空気に、ほころぶ花たちの匂いが混じっている。


 カイルはその風を頬に感じながら、しばらくの間、冬の名残を残した稜線を黙って眺めた。




完結です。


長い話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

ブクマ、感想、評価などで応援くださった方、更新の励みでした、ありがとうございました!


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― 新着の感想 ―
大好きなアルマの作者さんから辿り着き、感想を寄せたいばかりにユーザー登録をしました。 カイルが海運事業を始めた時は、物語がどちらへ進むのか戸惑いましたが、塩に行き着き納得! 先々の幸せも予感できる心が…
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