二日目 〜やるべきこと〜
[9] 「…何見てるんだ?」
「………アリ」
「…何で見てるんだ?」
「………すごいから」
「…何が?」
「だってね、アリは自分の体の何倍も大きいものを運ぶんだよ」
「…で?」
「人間はどう?無理でしょ」
「そうだけど…。もっと他のもの見ないか?ていうか見るべきだと思う。せっかく動物園来てんだから」
「でもね、例えばアリが人間と同じ大きさになったとしたら、人間よりも遥かに強いと思うの」
「…うん、だけど…」
「繁殖能力も高いから人間なんてすぐ滅びると思うの」
「…そうだけどさ、今は…」
「アリが小さくてほんとによかったよね!んじゃあ次キリンさんいこっか!」
「いや、次も何もアリは…」
「なあに?」
「…はぁ。ほんとにかよっていつでもずれてるよな」
彼はあきれた表情を浮かべる。
でもあたしは知ってる。
ほんとは全然あきれてないの。
だって、とっても優しい声なんだから。
…−ン、ゴーン
「…あー…?」
ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン
「うるさぁい!」
激しい且つしつこい時計の音で目が覚めた。
…げっ!もう12時!?
時計の針を見て焦った。寝なくてもいいはずなのに、しっかり7時間程睡眠をとってしまっていたのだ。
フヨは、マネージャー会議が長引いているのか、まだ帰ってきておらず、机の上には『2時くらいに帰る』と書かれたメモが置いてあった。
「フヨが帰って来るまで勉強しようかな…」
条件を飲んだわけじゃなかったけど、部屋に入れたというのに、何も勉強せず寝てしまったことに負い目を感じ、伝蔵に申し訳ないような気がしてきた。
今までのように冷たい伝蔵だったら、そんな風に思わなかったかもしれない。だけど、あの人間らしい表情を見て、伝蔵が本当にあたしのために言ってくれているような気がしたのだ。
あたしはベッドから起き上がり、机に向かって“死神の基本&応用知識”とにらめっこした。『この本には確かに、君の持つすべての疑問に対する答えがある。でもそれは、答えを導くきっかけがあるだけだ。それに辿り着くのも、その先に答えを見つけるのも、すべては君自身の問題なんだ』と、伝蔵は言っていた。一体どういうことなんだろう?とりあえず、何かの暗号なのかと思ったあたしは、文字を組み合わせたり、アルファベットに直してみたりした。
……だめだ。
結果、やっぱり普通の日本語だということが分かった。
『すべての疑問に対する答え』っていうことは、あたしの記憶のことも、あの声のことも全部ってことよね?
諦めて、一つずつ言葉を理解しようと試みた。
でも、それは『きっかけ』なんだから、そのまま答えが載っているわけではないのね?
だんだん頭が痛くなってきた。
それで、ええと…、『きっかけに辿り着くのも、疑問の答えを見つけるのも、あたしの問題だ』と、そういうことよね、たぶん…。
そして自信も無くなってきた。
っていうか子供のくせに何で暗号みたいな言葉使うの?もっと簡単に言ってよ!本当に賢い人っていうのは、相手に合わせて言葉を選べる人のことを言うんだから!
慣れない国語の勉強(?)をさせられてイライラが募り、一通り逆ギレ文句を言ってから、落ち着いたところでひとまず何か調べてみる事にした。
疑問かぁ…。あ、そういえば、昨日公園で涙が出た時、何で死んでるのに涙が出るのかなって不思議だったんだ。それ調べてみよう。
本の最後にある索引から『な』を探す。
あ、あったあった!34ページっと。
34ページの表題は、『生きてる時と同じ感情表現』となっていた。
なになに…。
“死神に関わらず、すべての魂は、悲しみや喜びで涙を流したり、焦りで汗を出すことはありません。しかし生前の記憶から、状況に合った感情表現の方法を、知らず知らずのうちに選び出し、それを知らず知らずのうちに自分の力でホログラム化することがあります。”
へぇ…。じゃああの涙は自分で表現してたってことか。
“同じように、眠たくなったりお腹が空いたりするのも、記憶から出てくる状態であって、実際に魂がそのような状態になることはありません。”
ああ、昨日伝蔵が言ってたのってこのことなんだ。そういえば、眠たくなる時っていつも考え事してるもんね!頭使うの嫌いだったから、昔っからすぐ眠たくなってたもん。……って!何納得してんの、あたし!?寝る必要ないのに寝るとか馬鹿じゃん!だから伝蔵が馬鹿を露呈したとか何とか言ってたんだ!やっぱあいつむかつく…!
一人ノリ突っこみをしてから、一人でむかついて、そしてもっと他に疑問はないか考えた。 うーん、他に何かあったっけ?
あたしは死神として生活した日々のことを思い出した。(記憶があるのは二日だけだけど…)改めて思い出すと、フヨはとても大変だと思う。記憶を失くしたパートナーに死神の基礎から教えるのだ。さらに、勉強が嫌いだというあたしの我儘に振り回されて、その都度口で説明している。
………。……あ。
そういえば、昨日フヨがなんか言ってたような…?なんか運命の輪がどうとか……。そう、あれはフヨの小さな独り言だった。
『中には、その運命の輪を乱すやっかいな死神もいるんだけどね…』
やっかいな死神?アフターフォローをしない死神の他に、どんなやっかいな死神がいるんだろう…?運命の輪なんていう壮大なものを乱すのだから、相当なやっかいものだ。
えーと、えーと…。
あたしは索引で『運命』を引き、858ページを開いた。
全部で1000ページもあるこの本のうち、140ページ程は索引だったので、858ページはこの本の最後の項目だった。表題は、『死神が決してやってはいけないこと』となっている。内容は大きく二つに分類されていた。
“1、殺した霊は必ず最後まで責任もって引率すること。”
これには、昨日フヨが説明してくれた内容と同じことが書かれていた。途中でほったらかしにすると、じばく霊になり、死神が霊をほったらかしにしてしまう原因の第一位が、成績をあげたいがため、となっていて、たくさんの人を殺して成績をあげようとする死神は、本物の死神ではないと批判している。
責任意識のない死神が増えているという現状を危惧して、もともと殺した時点で成績に加算していたところを、ちゃんと死者の国へ送り終えるまでに変更しようという動きがあるらしい。“最後まで見届けよう人間の最後を!”というキャッチフレーズも記載されていた。
多少キャッチフレーズが気にかかったが、今はそんなことどうでもいいので、とりあえずスルーした。
そして、次の項目が目に入った時、あたしは両目裸眼2.0を疑った。
“2、生き延びないように最後まで職務を遂行すること。”
…え…?
…生き延びる…?
でも…、そうか…そうだよね。運命の輪を乱すってことは、つまりそういうことなんだ。(今気づいたけど、)確かにそれしか方法がない。でも確かフヨは、そんなことができないように、ちゃんと最終確認があると言っていた。ということは、最終確認で引っかからないような、そんな方法があるっていうこと…?
「かよちゃん、そろそろ行こっか」
いよいよ“2”の内容に入ろうとした時、突然フヨの声がした。
『え…!?』振り返ると、ベッドの上にフヨが居て、ニコニコしながらあたしを見ている。
「いつ帰ってきたの!?」
「うーん、一時間くらい前なんだけど、せっかく勉強してるのにもったいないと思ってずっと見てたんだ」
「なんかもったいないってのが気にかかるけど、まあいいや。でも行くって、どこに行くの?」
あたしは本を閉じて、ベッドに向かいながら聞いた。フヨは、手に持っているスケジュールと書かれた小さなメモ帳を見ながら、『もうそろそろ響くんの学校が終わる時間なんだ。念を込めに行こかなくちゃね』と、昨日に続いて、またピクニックにでも行くかのように元気よく言った。
「え!?もうそんな時間なの!?」
慌てて本棚の横の時計を見ると、フヨが嘘を言ってないことがわかった。時計の針はもうすぐ三時を指そうとしていたのだ。自主的に勉強したことがないあたしが、三時間も勉強していたなんて…と、自分に驚いた。
そしてフヨが、あたしの心を読んでいるかのように言った。 「奇跡だよね」
ゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーン!
今は三時。一回余分に鳴った時計の音が何だったのかは、ご想像にお任せしようと思う。
[10]
今日もいつもと同じ風景だった。校舎も太陽も、学生たちも何も変わっていない。まるで同じ日を繰り返しているようだった。人々は毎日大きな変化を求めているわけじゃない。記憶に残るのは大きな出来事なのかもしれない。だけど、将来大人になって、こんな風に平和な日々が積み重ねられた結果、高校の時は楽しかったなとか、あの頃はよかったなとか、思い出すことになる。だから何もない平凡な毎日でも、きっと自分の中に何かを残して、きっと自分の成長に役立っているはずなのだ。 彼らの平和で楽しそうな表情を見ていると、あたしは自分が死んでいるということが急に悲しくなった。あたしもいつもと同じように花壇に腰掛けていたけど、あたしだけは同じようにしていても、決してその輪の中に入ってはいないのだ。
『三日後が楽しみだ』
その言葉が頭から離れない。それがとても重い。響くんは生きている。望んで生きられるわけじゃない。生きたくても生きられない人だって、この世の中には存在するのだ。『死にたい』なんて、その人が聞いたら何て思う?響くんが何で死にたいのかなんて知らないけど、贅沢で傲慢で、考え方がとても子供じみてて、浅はかだと思う。死ぬということが一体何を意味するのか分かっていないのだから。
どんな理由があったにせよ、生きなければいけない。『死にたい』なんて、現実から逃げているただの弱虫ではないか。
そして、その響くんを殺すんだと思うと、あたしはやり切れない気持ちでいっぱいになった。
チラッと、フヨの方を見る。フヨは、学生達の中に響くんがいないか探しているようだった。学校に来る途中で、フヨはまた念の送り方を教えてきた。あたしは、相変わらず右から左へ聞き流していたけど、一つ気になることがあった。
“念を送る”のも、本にあった“2、生き延びないように最後まで慎重に職務を遂行すること”の一つなのだろう。
あたしは念の送り方なんて知らない。
あたしの力が未熟で、念を送れなかったら、響くんは生き延びられるのだろうか?
フヨに確認したかったけど、言えば、良からぬ考えをめぐらしているのがバレるのではないかと思って聞けなかった。
でもやっぱり気になる。聞こうか聞かまいか悩んで、チラチラ見ていると、フヨがその視線に気づいた。そして、『心中察するよ』みたいな顔をし、安心させるように言った。
「響くんみたいな人間は、念なんて送っても送らなくてもあんまり変わらないから、安心していいよ。死にたい人間を殺すのは、かよちゃんみたいに力や知識がなくっても簡単なんだ。でも、まあ、一応ね。やることないし、これからのためにも練習がてら、ね」
完璧に勘違いしていたが、運良くあたしの聞きたい情報が手に入った。でも結局念で生き延びさせるのは不可能だと知って、がっくりきたのだけれど。
「かよ!」
ハッとして顔をあげると、いつのまにか、あたしの前に響くんの優しい笑顔あった。
「いよいよ明日だな」
響くんが優しく笑いかけてくる。あたしはその笑顔を避けて、こくっと頷くのが精一杯だった。
どうしてそんなにうれしそうに笑っていられるんだろう。
心が痛む。
何も言わず、顔をそらし続けるあたしを見て心配したのだろう。あたしの横に腰掛け、どうした?と言うように顔を覗き込んできた。
「なんで…泣いてるんだ?」 …え?
またしても、あたしの頬を涙が伝っていた。
なんで?
どうして?
わからない。わからないけど、胸の奥がすごく熱い。
涙が後から後から流れてくる。泣いている理由が分からないんだから、泣きやむ方法もわからなかった。
「…っごめっ…ごめんなさっ…」
その時だった。それは一瞬の出来事で、あたしは何が起こったのかも分からなかった。あたしはぐいっと強い力で引っ張られたかと思うと、響くんの胸の中に抱き寄せられていたのだ。
「…ひびき…くん?」
「…………」
響くんは何も言わなかった。だけど、まるで返事をするかのように、腕にぎゅっと力が入り、あたしは押しつぶされそうなくらい、強く強く抱きしめられた。
どれくらい抱きしめられていただろう?響くんの腕の中から解放された時、あたしの涙は、もうすっかり渇ききった後だった。
「…公園行かないか?」
何もなかったかのようにそう言うと、響くんはあたしの手を取り、いつものように優しい笑顔を向けた。
その笑顔を見て、あたしの中に強い意志が生まれたのが分かった。
「…ないで…」
「え?」
「死なないで…!」
それだけ言って、あたしは走り出した。
『かかかかかよちゃん!?』という、フヨのまぬけな声を背にして。
ようやく分かった。あたしは、響くんに死んでほしくないんだ。死ぬことが間違ってるから、というだけじゃない。なぜだか分からないけど、響くんだけには、どうしても生きてほしかった。
さっきまでとはうってかわって、あたしの心は晴れ晴れとしていた。自分の迷いが消えたとでも言うのだろうか。原因は皮肉にも、ターゲットである響くんに、抱きしめられたおかげなのだと思う。
今、あたしの目的はただ一つ。
響を助けたい。
それだけだった。




