番外編/side.イブ
私に主人ができた。その人は他の人間とはどこか違っていて、どこか変な人だ。その人の名前は神峰 慎哉というらしい。
実を言うと、私には記憶がない。あるのはこの世界についてと、主人についてのちょっとした情報だけだった。自分のことについても何も知らない。名前だけを与えられ、この世に生まれた。
自分はなんでこんなところにいるのか? なんでこんなことをするのか?
それらの理由が何1つとして分からない。とりあえず、自分は主人を守らなければならないという使命だけを背負っている。自分の記憶。そんなものがあるか、ないかなんてことは全くと言っていいほど、気にならない。
この世界に来てからすぐにディールに参加させられた。ディールについての情報は頭にすべて入っている。ディールとは主人と一緒に戦うものだと思っていた。なのに…………。私の主人は敵に背を向けて、逃げ出したのだ。味方である私まで、そのあまりにも相手を愚弄するような行動に対して、驚きと怒りを覚えた。最初はなにかの作戦かとも思ったが、やはりその行動には裏はなかった。こんな弱い相手に逃げる必要なんてなかったのに。この時から、主人を敬うことをやめた。
私には好きと言えることが2つある。
1つ目は食事だ。私には食事に関する知識が全くなかった。私には必要のない行為だからだろう。食事とは物を食べる行為のことを言うらしい。しかし私には食べるということも全く理解できなかった。私は見よう見まねで食事を覚えた。私にとっての食事の解釈は物を口に入れて、飲み込むということになる。
この行動をとることで、なんだか幸せな気持ちになった。この感覚を“おいしい”と言うらしい。私はどんな物を食べても、おいしいと思うようになった。
特にオムライス。黄色の殻を破ると、中から白い湯気とともにあふれてくるあの独特の香り。そして中に見えるのは黄色とは全く違った色合いのチキンライス。あのなんとも言えないおいしさは、これまでで1番であった。血のように赤い液体で、黄色のキャンパスに描くという遊び心も盛り込まれている。なんともすばらしい食べ物だ!
もう1つはお風呂というものだ。この行為についても私には情報はなかった。シャワーというものは蛇の頭から水が出てくる装置だ。最初は害があると思っていた。だがこれは機械というもので、生き物ではなく、出てくるのはただの水のようだ。温かい水が蛇の頭から出てくる様はおもしろかった。シャワーから出てくるお湯が肌に絶妙な刺激を与えて、これが気持ちいいのだ。
でもやっぱり温かい水にじっくり浸かるのが1番気持ちいい。これがお風呂の醍醐味だと慎哉も言っていた。お湯が身体の中に浸み込んでくるような感覚で、身体の芯から温まり、とてもいい感じだ。ここのお風呂は足を伸ばせないので、少し窮屈である。しかし温泉という何人もの人が入れるような大きいお風呂があるそうだ。それはお風呂より気持ちいいらしい。ぜひ行ってみたいものだ。
これらの初めてを1日のうちにすべて経験した。とても充実した1日だったと思う。
しかし私には不安がある。それは魔力供給についてだ。最初のころは満タンにチャージされている。魔力は使えば使うほど減っていく。当然のことだ。だからいずれかは底を尽きてしまう。
魔力が0になった悪魔はこの世に存在することができない。そのため悪魔は魔力をどこからか吸収する必要がある。その吸収源となるのが主人──つまり人間だ。しかし人間は魔力を持たない生物だ。ではどこからその魔力を吸収するのか。それは人間の生命力だ。生命力──命は最も魔力へ変換しやすいものらしい。
主人を守らなければならないはずの自分自身が逆に、主人の命を奪っていたなんて……。矛盾していると素直に思った。このシステムを創った存在を恨めしくも思った。
このことはすべての悪魔が知っていると思う。だが誰もそのことを口にしていないだろう。というより、できないだろう。
金命世界で悪魔は常に魔力を放出している状態だ。高位悪魔でさえ、抑えても微量は漏れているものだ。100%遮断できるのは私くらいだろうと自負している。その100%遮断を可能にしているのがカードだ。カードの姿になっている時だけ、魔力を完璧に抑えられる。だがカードの姿に変わる時にも魔力を使ってしまう。それがどれほどのものなのかは1回やったことがあるから分かる。その分は少量ではあったが、できるだけ控えておきたい。
前回のハウレスとの戦いで大量の魔力を消費してしまった。そこで私の魔力は限りなく0に近づいた。身体を回復させるのに初めて慎哉の命を使ってしまった。命は莫大な魔力を生み出すので、すぐになくなるということはないが、このまま負け続ければ危ない。自分が意図していなくとも勝手に魔力を吸収してしまうのが難点である。
これからのディールでは慎哉の命に頼り続けることになるだろう。慎哉を死なせないためにも、これからのディールに勝って勝って、勝たなくてはならない。
1つ話し忘れていたが、悪魔は主人の命令には絶対に逆らえない。私が拒否できるのは慎哉がどっちでもいいと思っているからだ。もっと強い意思を持っていれば、私は服従するしかない。
でもこのことを教えるつもりは毛頭ない。そんなことをしてしまったら、私の自由がなくなるからね。




