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月影始末人 黒川宗十郎  作者: レモンティー


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第五話 盗まれた仏像

その依頼が届いた翌朝。

神田の薬種屋に、ひとりの僧侶が訪れた。

年は六十ほど。

質素な黒衣を着ている。

顔には深い疲れが浮かんでいた。

「黒川殿ですか」

「そうだ」

僧侶は深々と頭を下げた。

「お願いしたいことがございます」

「仏像か」

僧侶が驚いた顔をする。

「なぜそれを?」

宗十郎は机の上の依頼書を指差した。

「書いてある」

「ああ……」

僧侶は苦笑した。

「これは失礼を」

「何が盗まれた?」

「阿弥陀如来像です」

「いつ?」

「昨夜」

「寺は?」

「浅草の安養寺という小さな寺です」

宗十郎は茶を飲んだ。

「奉行所には?」

「届けました」

「どうなった」

僧侶の顔が曇る。

「仏像一体くらいで騒ぐな、と」

「それだけか」

「はい」

宗十郎は少し考えた。

「その仏像に何か特別なものがあるのか?」

僧侶は黙った。

「……ございます」

「何だ」

「仏像の中に、古い巻物が隠されています」

宗十郎の目が細くなった。

「何が書いてある?」

「分かりません」

「見たことがないのか?」

「ありません」

僧侶は首を振った。

「先代の住職から、決して開けてはならぬと言われておりました」

「ならば、なぜ盗まれたと分かった?」

「仏像を動かした際、底の蓋が外れているのを見つけました」

宗十郎は立ち上がった。

「案内しろ」

浅草。

安養寺は町外れの小さな寺だった。

本堂へ入ると、仏像が置かれていた台座だけが残っている。

宗十郎は周囲を調べた。

「鍵は?」

「かかっていました」

「破られた跡は?」

「ありません」

「ならば、盗人はどうやって入った?」

僧侶は黙った。

宗十郎は天井を見上げた。

「屋根から入った形跡もない」

「では……」

「中にいた者が手引きした」

僧侶の顔が強張った。

「寺の者を疑うのですか?」

「疑うのではない。可能性を調べる」

宗十郎は床を見る。

埃の上に、かすかな足跡。

小さな草履。

そして、別の大きな足跡。

二人分。

「昨夜、寺にいたのは?」

「私と、小僧が一人」

「呼べ」

しばらくすると、十二歳ほどの少年が現れた。

少年は怯えている。

「何か見たか?」

「……見てません」

「本当に?」

「はい」

宗十郎は少年の手を見る。

右手に擦り傷がある。

「手を見せろ」

少年が隠す。

「怪我をしたのか」

「……転びました」

宗十郎はそれ以上聞かなかった。

寺を出る。

「先生、あの子が犯人なんでしょうか?」

佐吉が尋ねる。

「違う」

「どうして?」

「嘘をついているが、盗んだ人間の嘘ではない」

「では何を隠しているんです?」

「それを調べる」

宗十郎は浅草の町へ向かった。

仏像を盗んだなら、どこかへ運ぶ必要がある。

大きな仏像なら、隠す場所も限られる。

宗十郎は仏具屋を回った。

すると、一軒の古い店で話を聞くことができた。

「昨夜、大きな仏像を運んでいる男を見た?」

店主は考え込む。

「そういえば……」

「どこへ?」

「隅田川の方へ向かっていた」

「人数は?」

「二人です」

「顔は?」

「一人は分からない」

「もう一人は?」

店主は宗十郎を見た。

「寺の小僧に似ていた」

宗十郎は店を出た。

「やはり、あの少年か」

佐吉が言う。

「いや」

「でも――」

「少年が運ぶには重すぎる」

宗十郎は隅田川へ向かった。

川岸には、小さな舟が一艘。

船頭に話を聞く。

「昨夜、ここから舟を出した者は?」

「いたよ」

「どんな奴だ?」

「男二人」

「どこへ?」

「向こう岸だ」

「何を運んでいた?」

船頭は少し迷った。

「……仏像だ」

宗十郎は船に乗った。

向こう岸へ着く。

そこには古い倉庫が並んでいた。

一番奥の倉庫から、話し声が聞こえる。

「巻物は?」

「まだだ」

「寺の坊主は何も知らないと言っている」

「なら小僧から聞き出せ」

宗十郎の顔が険しくなる。

「やはりな」

倉庫へ入る。

男たちが振り返った。

中央には、盗まれた阿弥陀如来像。

その横に――

寺の小僧が縛られていた。

「先生!」

少年が叫ぶ。

男の一人が刀を抜いた。

「何者だ!」

宗十郎は答えない。

男が斬りかかる。

宗十郎は横へ避け、刀の柄で男の腕を打った。

刀が落ちる。

もう一人が襲いかかる。

宗十郎は懐から小さな薬包を取り出した。

「眠れ」

粉が舞う。

男が咳き込む。

「げほっ……!」

その隙に宗十郎が足を払う。

二人とも床に倒れた。

佐吉が少年を助ける。

「大丈夫か?」

少年は頷いた。

宗十郎は仏像を見る。

そして底を調べる。

蓋が外されている。

中には――

一枚の古い巻物。

宗十郎が広げる。

そこには、驚くべき記録が書かれていた。

三十年前。

この寺に多額の金が寄進された。

だが、その金は寺のものではない。

江戸の大商人たちが、罪を隠すために寺へ預けた裏金だった。

名前が並んでいる。

商人。

役人。

そして当時の奉行所の高官。

「なるほど」

宗十郎は呟いた。

「仏像そのものが目的じゃなかった」

男たちは、この巻物を狙っていた。

宗十郎は少年を見る。

「お前は何を知っている?」

少年は俯いた。

「……昨日、盗人が来る前に、和尚様から言われました」

「何を?」

「仏像を守れ、と」

「それだけか?」

少年は首を振った。

「和尚様は言いました」

少年の声が震える。

「もし仏像が盗まれたら……誰にも知られないように、盗人を追え、と」

宗十郎は僧侶の顔を思い浮かべた。

「そういうことか」

僧侶は最初から知っていた。

巻物の存在を。

そして少年にも秘密裏に命じていた。

「では、なぜ奉行所に届けなかった?」

少年は答えた。

「和尚様は、奉行所にも関係する人がいると言っていました」

宗十郎は巻物を丸めた。

「正しい判断だ」

その日の夕方。

盗人二人は奉行所へ引き渡された。

そして巻物も――

奉行所には渡さなかった。

宗十郎は僧侶へ返した。

「これは寺で燃やせ」

僧侶が驚く。

「しかし――」

「三十年前の罪を暴くことで、今を生きている者まで巻き込まれる」

「では、悪事を見逃すのですか?」

宗十郎は首を横に振った。

「違う」

宗十郎は巻物を見る。

「ここに書かれている人間は、もうほとんど死んでいる」

「……」

「ならば、今を生きる者を裁くための証拠にはならん」

僧侶は静かに頷いた。

その夜。

寺の裏で、巻物は炎の中へ消えた。

少年がそれを見つめている。

「先生」

「なんだ」

「仏様は、怒らないでしょうか」

宗十郎は炎を見る。

「どうだろうな」

少し考えてから言った。

「だが、仏様が本当に見ているなら、盗まれた仏像より、助けられた人間の方を喜ぶだろう」

少年は笑った。

翌朝。

阿弥陀如来像は安養寺へ戻された。

和尚は何度も頭を下げた。

宗十郎は何も言わず、寺を後にした。

神田へ戻る途中。

佐吉が尋ねた。

「先生」

「なんだ」

「今回も人を殺しませんでしたね」

「殺す必要がなかった」

「月影って、悪人を必ず殺す仕事じゃないんですか?」

宗十郎は足を止めた。

「違う」

「では?」

宗十郎は江戸の町を見渡した。

「悪を止める仕事だ」

佐吉は黙った。

その日の夕方。

薬種屋の戸が開いた。

一人の老女が入ってくる。

「黒川先生……」

「依頼か」

老女は震える手で一枚の紙を差し出した。

宗十郎が開く。

そこには――

「私の息子は、殺されることになっています」

と書かれていた。

宗十郎は紙を畳んだ。

「話を聞こう」

外では、また雨が降り始めていた。

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