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月影始末人 黒川宗十郎  作者: レモンティー


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16/21

第十六話 届かなかった手紙

朝。

薬種店の前に、一人の男が座り込んでいた。

宗十郎が戸を開けると、男は顔を上げた。

三十代半ば。

疲れ切った顔をしている。

「薬屋さん……ですか?」

「ああ」

「人を探しているんです」

「人探しなら、ここでは――」

男は懐から一枚の手紙を出した。

「妹を探してください」

宗十郎は手紙を見る。

封は開いている。

紙は古い。

何度も折り畳まれた跡があった。

「妹の名前は?」

「お初です」

「最後に会ったのは?」

男は俯いた。

「十五年前です」

佐吉が驚く。

「十五年……」

「妹が十歳の時でした」

男は手紙を握った。

「俺が悪かったんです」

「何が?」

「喧嘩をしたんです」

男の声が震えた。

「父親が死んだ後、家のことで揉めました」

「それで?」

「俺は家を出ました」

「妹は?」

「母親と一緒に残りました」

男は苦笑した。

「それから、一度も会っていません」

宗十郎は尋ねた。

「なぜ今になって?」

男は手紙を差し出した。

「三日前、これが届いたんです」

宗十郎は読む。

――兄さんへ。

――ずっと待っています。

――一度だけでいいから、会いに来てください。

最後に。

――お初。

「妹からの手紙か」

「はい」

「住所は?」

「書いてありません」

「差出人は?」

「ありません」

宗十郎は手紙を裏返す。

消印もない。

「これだけか?」

「もう一つあります」

男は懐から、小さな布袋を取り出した。

中には古い鈴が入っていた。

「これは?」

「子供の頃、妹と二人で作ったものです」

鈴には、小さな傷があった。

「妹はいつも、これを持っていました」

男の目が赤くなる。

「だから、生きていると思ったんです」

宗十郎は手紙を畳んだ。

「探そう」

男は顔を上げた。

「本当に?」

「ああ」

その日の昼。

宗十郎と佐吉は、お初の行方を追った。

まず、十五年前に住んでいた長屋へ向かう。

しかし。

そこにはもう誰もいなかった。

隣の老婆に尋ねる。

「お初という娘を覚えているか?」

老婆はしばらく考えた。

「……ああ」

「今、どこに?」

「知らないねえ」

「母親は?」

「病気で亡くなったよ」

佐吉が尋ねる。

「お初さんは一人になったんですか?」

「そうだね」

老婆はため息をついた。

「でも、あの子は強かった」

「何か知っている?」

「奉公に出たはずだよ」

「どこへ?」

「確か……呉服屋だった」

宗十郎は店の名を聞いた。

しかしその呉服屋もすでに廃業していた。

手掛かりは消えていた。

夕方。

宗十郎は、手紙に使われている紙に目を付けた。

「この紙……」

「何です?」

「普通の紙ではない」

紙の端に、薄い印がある。

「寺の紙だ」

二人は近くの寺を回った。

そして三軒目の寺で、住職が言った。

「この紙なら、うちで使っています」

「誰が持っていった?」

住職は帳面を見る。

「お初という女が、時々取りに来ていました」

宗十郎の目が鋭くなる。

「今も来るのか?」

「ええ」

「どこに住んでいる?」

住職は答えた。

「寺の裏にある長屋です」

宗十郎たちは急いだ。

しかし。

長屋には誰もいなかった。

隣人に聞く。

「お初さんなら、昼間に出ていったよ」

「どこへ?」

「川です」

「何をしに?」

「分からない」

宗十郎は走った。

川沿い。

夕暮れ。

橋のたもとに。

一人の女が立っていた。

三十歳ほど。

細い体。

手には、小さな鈴。

「お初か?」

女が振り返る。

その瞬間目に涙が浮かんだ。

「……兄さん?」

男が後ろから駆けてくる。

「お初!」

女は動かなかった。

男も立ち止まった。

十五年。

二人の間に十五年という時間が流れていた。

「……大きくなったな」

男が言った。

お初は泣きながら笑った。

「兄さんは、変わらないね」

「嘘つけ」

「本当だよ」

二人はしばらく見つめ合った。

男が一歩近づく。

「なぜ手紙を?」

お初は答えた。

「ずっと書いてた」

「え?」

「十五年間」

「……」

「何十通も書いた」

お初は笑った。

「でも、出せなかった」

「どうして?」

「兄さんに嫌われていると思っていたから」

男の顔が歪む。

「違う」

「え?」

「俺が……怖かったんだ」

「何が?」

「帰ったら、怒られると思ってた」

お初は涙を拭った。

「私も」

二人は笑った。

泣きながら。

「じゃあ、どうして今?」

お初は鈴を見た。

「この鈴を見つけたから」

「鈴?」

「昔、兄さんと作ったでしょう?」

「ああ」

「ずっと持ってた」

お初は鈴を鳴らした。

小さな音が。

夕暮れの川辺に響く。

「この音を聞いたら……」

お初は涙を流した。

「兄さんに会いたくなった」

男は俯いた。

「……ごめんな」

「私も、ごめん」

「お前は悪くない」

「兄さんも悪くないよ」

二人は十五年ぶりに抱き合った。

少し離れたところで佐吉は鼻をすすっていた。

「……」

宗十郎が見る。

「泣いているのか?」

「泣いてません」

「鼻が赤い」

「寒いだけです」

「そうか」

宗十郎は笑った。

その夜。

薬種店に戻ると兄妹が店の前に立っていた。

「宗十郎さん」

男が頭を下げる。

「ありがとうございました」

「俺は探しただけだ」

「それでもです」

お初も頭を下げる。

「ありがとうございました」

宗十郎は頷いた。

「もう、離れるな」

「はい」

二人が去っていく。

佐吉が言った。

「よかったですね」

「ああ」

「十五年ですよ」

「長いな」

「でも、会えた」

宗十郎は月を見上げた。

「会いたいと思っているなら」

「はい」

「生きているうちに会った方がいい」

佐吉は少し黙った。

「宗十郎さんにも、会いたい人がいるんですか?」

宗十郎は答えなかった。

店の奥へ入る。

そして。

古い箱を開けた。

そこには。

母の簪(かんざし)があった。

宗十郎はそれを手に取る。

「……いる」

佐吉は何も言わなかった。

「だが、もう会えない」

「……」

「俺が子供の頃に死んだ」

宗十郎は簪(かんざし)を見つめる。

「だから、今でも覚えている」

「何を?」

宗十郎は少し笑った。

「母親の手だ」

「手?」

「ああ」

「小さい頃、熱を出した時にな」

宗十郎は簪(かんざし)を握った。

「ずっと俺の額を撫でていた」

佐吉は黙って聞いている。

「朝になっても、手を離さなかった」

「……」

「俺が目を覚ました時も、そこにいた」

宗十郎は目を伏せた。

「それだけのことだ」

「それだけじゃないですよ」

佐吉が言った。

宗十郎は顔を上げる。

「十五年会えなくても、会いたいと思えるんです」

「……」

「だったら、宗十郎さんも、ずっと覚えていていいと思います」

宗十郎は何も言わなかった。

しばらくして

「そうだな」

小さく答えた。

その夜。

宗十郎は一人で店の戸を閉めた。

月明かりが差し込む。

彼は古い簪(かんざし)を取り出した。

そして初めて

その簪(かんざし)を髪に当てるような仕草をした。

「……母さん」

声は小さかった。

「俺は、元気だ」

返事はない。

当然だった。

それでも。

宗十郎は少し笑った。

「佐吉という、うるさい奴もいる」

店の奥から「聞こえてますよ!」

佐吉の声が飛んできた。

宗十郎は笑った。

「そうか」

「全部聞こえてます!」

「なら、寝ろ」

「宗十郎さんもですよ!」

「俺はもう少しここにいる」

「……はい」

静かになった店の中。

宗十郎は簪(かんざし)を箱へ戻した。

そして月を見上げた。

人は失った者には会えない。

過ぎた時間も戻せない。

それでも誰かを想った時間だけは決して消えない。

その夜の月はいつもより少しだけ優しく見えた。

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