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月影始末人 黒川宗十郎  作者: レモンティー


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13/21

第十三話 狙われた佐吉

朝の薬種店。

宗十郎は、薬棚をじっと見つめていた。

一つだけ。

薬瓶がない。

「本当に、ここに置いてあったのか?」

「はい」

佐吉が答えた。

「昨日の夕方、棚を整理したときには確かにありました」

「誰かが店に入った形跡は?」

「ありません」

「戸締まりは?」

「いつも通りです」

宗十郎は黙った。

盗まれた薬は、人を深く眠らせる。

大量に使えば、半日近く意識を失わせることもある。

そして昨夜。

店先には、あの書状が置かれていた。

――次は、お前ではない。

――お前の大切な者を狙う。

宗十郎は佐吉を見る。

「今日は店から出るな」

「え?」

「一人で出歩くな」

「でも、薬の仕入れが……」

「俺が行く」

佐吉は少し不満そうな顔をした。

「俺だって役に立ちます」

「分かっている」

「じゃあ――」

「だからこそだ」

宗十郎の声は静かだった。

「狙われているのは、お前かもしれない」

佐吉は黙った。

その日の昼。

宗十郎が仕入れから戻ると、店の前に見知らぬ女が立っていた。

三十代ほど。

身なりは質素だった。

「あの……」

女は宗十郎を見る。

「薬をお願いしたいのですが」

「どんな薬だ?」

「主人が、急に倒れまして」

「医者には?」

「頼む金がありません」

宗十郎は女の顔を見る。

「家は?」

女は住所を告げた。

神田から少し離れた長屋だった。

宗十郎は薬箱を持った。

「案内してくれ」

「はい」

佐吉が声を上げる。

「宗十郎さん、俺も――」

宗十郎は振り返った。

「お前は店にいろ」

「でも……」

「店を守れ」

佐吉は渋々頷いた。

「分かりました」

宗十郎は女とともに歩き出した。

しかし。

しばらく進んだところで、宗十郎は足を止めた。

「おかしいな」

女が振り返る。

「何がでしょう?」

「さっきから、同じ道を三度通っている」

女の顔が強張った。

「……」

「本当に家へ向かっているのか?」

女は答えなかった。

宗十郎は薬箱を地面に置いた。

「誰に頼まれた?」

「……」

「俺を店から連れ出すためか?」

女の顔が青ざめる。

「違います!」

「なら話せ」

女は唇を噛んだ。

「……私は、あなたを狙っているわけではありません」

「では誰を?」

「佐吉さんです」

宗十郎の目が細くなった。

「なぜ佐吉を?」

「私は、佐吉さんを眠らせろと言われました」

「誰に?」

女は震えながら答えた。

「私の娘を人質に取った男です」

宗十郎は黙った。

「娘は昨日から帰ってきません」

「どこで?」

「分かりません」

「男の特徴は?」

「顔は見ていません。ただ……」

女は震える手で懐から紙を出した。

「これを渡されました」

宗十郎が受け取る。

そこには短い文字。

――薬種店の佐吉を眠らせろ。

――失敗すれば娘を殺す。

宗十郎は紙を裏返した。

何もない。

「娘の名前は?」

「お千代です」

「年齢は?」

「十四です」

宗十郎は考えた。

「なぜ佐吉なんだ?」

「分かりません」

「何か心当たりは?」

女は首を振る。

「娘も私も、佐吉さんとは面識がありません」

宗十郎は紙を折った。

「なら、目的は佐吉本人ではない」

「え?」

「佐吉が持っている何かだ」

その頃。

薬種店では。

佐吉が一人で店番をしていた。

戸が開いた。

「こんにちは」

若い男が入ってきた。

「薬を頼みたい」

「はい。どのような薬でしょう?」

「眠れる薬を」

佐吉は棚を見る。

「眠り薬ですか?」

「ああ」

「申し訳ありませんが、今は――」

男は突然、佐吉の顔を布で覆った。

「!」

甘い匂い。

佐吉は男の腕を振りほどこうとする。

だが。

力が入らない。

「……くそ……」

男は佐吉を支えた。

「悪く思うな」

佐吉の意識が遠のいていく。

その時。

店の裏口が開いた。

「そこまでだ」

男が振り返る。

宗十郎だった。

男は佐吉を放り出して刀を抜いた。

「来るのが早かったな」

「お前が遅かっただけだ」

宗十郎も刀を抜く。

男が斬りかかる。

宗十郎は一歩下がり、刀を受け流した。

二撃。

三撃。

男の刀が棚を壊す。

薬瓶が床に落ちた。

「くっ!」

男は逃げようとした。

しかし。

店の入口には、先ほどの女が立っていた。

「娘を返して!」

男が止まる。

その隙に宗十郎が腕を掴んだ。

「終わりだ」

男を床へ押さえつける。

佐吉はまだ意識が朦朧としていた。

「宗十郎……さん……」

「喋るな」

宗十郎は佐吉の呼吸を確認する。

「眠っているだけだ」

女が泣きそうな顔で言った。

「娘は……?」

「こいつに聞く」

宗十郎は男を見た。

「お千代はどこだ?」

男は黙っていた。

宗十郎は男の懐を探る。

そこから一枚の紙が出てきた。

「……これは?」

紙には、子供の名前が何人も書かれていた。

そして、その横に金額。

「一人につき五両……」

女が息を呑む。

「まさか……」

宗十郎は男を見た。

「お前は、人を売っていたのか?」

男は笑った。

「俺は運んでいるだけだ」

「誰に?」

「知らねえ」

「嘘だ」

宗十郎は紙を男の目の前に置いた。

「この名前は、売った相手を書いたものだろう」

男の顔から笑みが消えた。

「……」

「お千代はどこだ?」

「浅草の古い蔵だ」

女が走り出そうとする。

「待て」

宗十郎が止めた。

「一人では危険だ」

「でも娘が!」

「俺が行く」

宗十郎は男を連れて浅草へ向かった。

古い蔵。

中から声が聞こえた。

「お母さん……?」

女が泣きながら叫ぶ。

「お千代!」

扉を開ける。

そこには、お千代を含めて三人の子供がいた。

全員、無事だった。

宗十郎は縄を切った。

「もう大丈夫だ」

お千代は母親に抱きついた。

「怖かった……」

「ごめんね……」

母親は娘を抱きしめた。

その後。

捕らえた男の供述から、子供を買っていた人物も次々に捕まった。

人身売買の一味だった。

そして。

薬種店に戻った頃には、夕方になっていた。

佐吉は布団の上で目を覚ました。

「……ここは?」

「店だ」

宗十郎が答える。

「俺……眠らされたんですか?」

「ああ」

「やっぱり……」

佐吉は起き上がろうとした。

「痛っ……」

「今日は寝ていろ」

「でも、俺が狙われた理由は?」

宗十郎は少し考えた。

「お前自身じゃない」

「じゃあ?」

「お前が店番をしていたことだ」

「……?」

宗十郎は一枚の紙を見せた。

それは、薬の仕入れ先を書いた帳面の切れ端だった。

「お前は昨日、薬の仕入れ先を確認していた」

「はい」

「そのとき、別の客が聞いていた」

佐吉は思い出した。

「あ……」

昨日。

店の前で、見知らぬ男が薬の種類を尋ねていた。

「つまり、俺が一人になる時間を狙っていた」

「そうだ」

宗十郎は頷いた。

「だが、あの書状は別の意味もあった」

「別の?」

「俺の注意を佐吉に向けさせるためだ」

宗十郎は店先に置かれていた紙を見た。

――次は、お前ではない。

「この事件の犯人は、俺たちが月影を警戒していることを知っていた」

佐吉が不安そうに尋ねる。

「じゃあ……やっぱり、月影を狙っている奴が?」

宗十郎は答えなかった。

窓の外を見る。

夜空に月が浮かんでいた。

「今夜は、もう考えるな」

「宗十郎さんは?」

「俺は考える」

「寝ないんですか?」

「眠れない理由がある」

佐吉が苦笑する。

「じゃあ、俺も起きてます」

「お前は寝ろ」

「はい……」

佐吉は布団へ戻った。

宗十郎は一人、店の戸を閉めた。

そして消えた薬瓶を手に取る。

蓋を開ける。

中身は空だった。

だが。

瓶の底に、小さな紙片が貼り付けられている。

宗十郎はそれを剥がした。

そこには一文字だけ。

「月」

宗十郎は紙を握った。

今回の事件は終わった。

子供たちは救われた。

犯人も捕まった。

だがこの一文字だけはまだ、終わっていなかった。

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