普通の放課後
放課後の教室。クラスメイトはみな部活に行ったり家に帰ったりで消えた。残っているのは僕と赤沢、青木だけ。なにか目的があって残っているのではない。ただ残っているのだ。
「なー、黄島ぁー」
と、一台の机を挟み僕と向かい合う形で座っている赤沢が言った。
「彼女って、どうやったらできんのかなぁー」
「……またそれ? もうその話、三回目だよ」
「そりゃお前、男同士集まってする話っつったらそれしかねーだろ。じゃあなにか? お前は彼女が欲しくないってのか?」
「それは、……欲しい」
「そうだろう」
「うん。ごめん赤沢。僕、自分を見失ってたよ」
「わかればいいんだ。さあ黄島、教科書を出せ。教科書に載ってる写真の中から、たまにいる可愛い女の子を探すゲームをまたしようじゃないか。どれにする? 俺のおすすめは公民系の科目だが……」
「赤沢」
と僕は机に手を置き、言った。
「そんなガキの遊びみたいなゲームはもうやめよう。僕たちはもう高校二年生だ。もう少しリアルな観点からこの問題に対して向き合っていくべきだと思う」
「な、なんだと……。さっきまで嬉々としてそのゲームに興じていた人間のセリフとは思えんが……、たしかに、お前の言うことにも一理ある。……で、『リアルに』とは具体的にどうするんだ?」
「たとえば」
と僕は指を一本ぴんと立てる。
「もし、うちのクラスの女子と付き合うとしたら、誰にするか――」
「なっ、黄島……!」
赤沢は雷に打たれたように身をのけぞらせ、椅子から立ち上がる。
「お、お前……ついに、クラスの女子に、手を……」
「ああ」
深く息を吐くように僕はゆっくり頷く。赤沢は呆けたような顔で静かに椅子に座り直すと、「ふふ」と微かに口許を緩めた。
「なにがおかしい?」
「いや……どうやら俺は、お前のことを少々見くびっていたようだ。黄島、お前はとんだ食わせものだよ。さしずめ、マレーバクの皮を被ったシベリアトラといったところか」
「ふっ。僕だって伊達に十六年間男をやってきてないからね。ところで、シベリアトラがマレーバクの皮を被るのはサイズ的に少し無理があるよ」
「それで? クラスの女子と言ったが、具体的には誰と付き合うつもりなんだ?」
赤沢がキラリと目を光らせ訊ねる。「ふむ」と僕は組んだ両手に顎を乗せ、しばし考えてから答えた。
「佐倉澪……あたりは、どうだろう」
「佐倉……」
赤沢は顎に手をやり、骨董品の壺を吟味するように低く唸ってから言った。
「たしかに、顔は悪くない。あのどこか得体の知れない奔放な感じも、普通の女子にはない魅力のひとつだと言えるだろう。だがそれゆえに、どうて――まだ修行中の身である俺たちには少しハードルが高くないか?」
「……たしかに」
「胸もそれなりにあって、いいんだけどな……」
「わかった。じゃあ逆に訊こう。赤沢は誰がいいと思う?」
「俺だったら……」
と赤沢は眉間に皺を寄せ、再び低く唸る。生みの苦しみに悶える芸術家の姿がそこにあった。
そして言った。
「橘樹絵瑠……とか」
「橘樹絵瑠、だって――?」
「だめか?」
「だめなんてもんじゃない。相手はギャルだぞ? 到底、僕たちの手に負える代物じゃない。いいか赤沢、目を覚ませ。オタクに優しいギャルなんて空想の産物だ。そんなもの、現実の世界には存在しない!」
「うっ、すまん黄島、俺は……」
「いいんだ。僕も少し強く言いすぎた。おたがい冷静になって、もっと現実的に考えていこう」
「ああ。あの胸を諦めるのは残念だが、仕方ない。さて、他に誰がいるか……」
うーん、と赤沢と二人、腕を組み唸る。クラスの女子の顔を順番に頭に思い浮かべ、ふと脳裏に現れた人物の名を僕は言った。
「……池田かの、とか」
「池田……」
「……」
「……」
「……」
「……なんか、アレだな」
「……うん。ちょうどいいよね」
「胸も意外にあるしな」
「赤沢、さっきからそればっかりだな」
「よし」
バン、と机に両手を突き、赤沢は言った。
「それじゃあいまから、シミュレーションをしよう」
「シミュレーション?」
「そう。池田と付き合うまでのシミュレーションだよ。黄島、お前ならどうやって池田を自分の彼女にするんだ?」
「僕なら……」
「実際にそこに池田がいると思って、やってみてくれ」
「よ、よし」
と僕は立ち上がり、なにもない空間に向かって語りかける。
「お、おはよう。池田さん」
「ストップ、ストップ! おい黄島、なんだそれは?」
「なにって、朝の挨拶だよ」
「それはわかってる。俺が言いたいのは、お前はいったいなんのシミュレーションをしてるんだってことだ。『おはよう』なんて挨拶を交わすところから、どうやって付き合うところまでいくつもりなんだよ?」
た、たしかに。言われてみればもっともだ。池田さんだけでなく、クラスの女子と挨拶以外ロクに口を利いたことがないせいで、まず浮かんできたセリフが「おはよう」になってしまった。
「す、すまない赤沢。僕は……」
「黄島」
ポン、と赤沢の手が僕の肩に置かれる。
「大丈夫、皆まで言うな。お前の辛さは痛いほどわかる。そのあたりの事情は俺だって同じだ。黄島、お前はひとりじゃない」
「赤沢……」
赤沢は僕に優しく微笑みかける。ありがとう、同じ痛みを知る友よ。
「だがな、黄島。これはあくまでシミュレーション、俺たちの想像だ。想像の中でくらい、もう少し大胆になってみてもいいんじゃないか?」
「……うん、そうだね、赤沢。僕、もう一回やってみるよ」
「その意気だ。だがその前に、そうだな……」
と、赤沢はおもむろに教室の後方に向かって歩きはじめた。掃除用具が入っているロッカーの前に立つと、ガシャンと扉を開く。
「赤沢? なにを……」
「黄島、これを持て」
「……モップ?」
「それを池田に見立てるんだ。実際にものがあったほうが、そこに池田がいることを想像しやすいだろう」
「な、なるほど……」
「さあ黄島、もう一回だ。仮想池田を相手に、お前の想いをぶつけてみせろ!」
赤沢は椅子に座り、腕組みをする。僕は手にしたモップをじっと見つめる。これは池田かの……これは池田かの……これは池田かの……!
「い、池田ぁ! 好きだぁぁぁぁぁぁッ‼」
「……お前たち、なにしてるんだ?」
いつのまにか開いていたドアの向こうに影山先生が立っていた。
「……」
「……」
「……」
「……掃除、です」




