普通の授業中・裏
カツカツと鳴り響くチョークの音。擦れ合う紙とペンの音。
静寂に満ちた教室内を自分の席から見渡す。なんてことない、いつもの授業風景。
俺の名は野村純平。二年A組、出席番号二十五番。蟹座。B型。身長百七十センチ、体重六十キロ。そのへんにいる平凡な男子高校生だ。
だが俺は知っている。俺は、
この物語の、主人公だ――――。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふ――」
教師が教科書を読み上げる声が聞こえる。内容は源氏物語。まあ、そうだろう。これまで数多くの資料に目を通してきた俺にはわかる。物語で描かれる授業は往々にして古文だ。「難しい」「つまらない」というステレオタイプのある古文は、「退屈な授業風景」を描く材料として採用されやすい。
俺の席は窓際のいちばん後ろ。主人公が座るにふさわしい席だ。授業風景が描写されるということは、いまはまだ物語の冒頭だろう。問題は、この物語の作品ジャンルが何かということだが……。
ちらと隣の席に目をやる。
池田かの。
舞台が学校ということは、まず考えられるのはやはり学園ラブコメ。となると、隣の女子がその相手役という可能性は高いのではないか。池田かの。まだあまり話したことはないが、さきほどからなにやらそわそわしているように見えるのは、俺の存在を気にしてのことなのかもしれない。ヒロインである可能性が高い。
……ふむ。ここらで一度、言葉を交わす間柄になるきっかけを作っておくか。
俺は手に持ったシャープペンをそっと床に転がす。ん、池田が気づいたようだ。池田は手を伸ばし床のシャープペンを拾い上げ、
ブスリ、と自分の腕に突き刺した。
えぇ――――――⁉
なな、なにしてんだ⁉ どういうこと⁉ なんで人のシャープペンいきなり自分の腕にぶっ刺してんだ、こいつは――⁉ なんかそういう、ヤバい系のヒロインなのか? 『隣の池田さんは自傷癖』みたいな。ラブコメならもっとポップなタイトルにしたほうが……。
「ぐ……ぐ、ぐぅ……」
池田が微かに声を発した。なんだか苦しそうだ。いや、痛いのか。なぜならシャープペンを腕に刺したから。
……待てよ。そういえばこいつ、さっきも似たような呻き声を発していた気がする。それが痛みに対してのものでないのなら、こいつはいったい何が原因でそんなに苦しそうにしているんだ?
――はっ。
そうか……わかったぞ。過去に読んだ文献の中に、これと似た症状がたしかあった。池田かの。そうか、こいつは……
悪魔に憑依されているんだ――。
「上達部、上人なども、あいなく目をそばめつつ、いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土にも、かかる事の起こりにこそ――」
なるほど、そういうことか……。どうやらこの物語は学園ラブコメではなかったようだ。おそらく異世界転生もの。しかもいわゆる、逆異世界転生と呼ばれるジャンルだ。異世界の住人が現代社会に転移してくるパターンの。
となると、池田に取り憑いた悪魔は異世界から転移してきたもの。そして当然、主人公である俺もまた異世界からの転移者なのだろう。そういえば向こう――エスカルダ王国にいたころの王宮魔術師としての記憶が戻ってきた。
池田が苦しそうにしている。悪魔に必死に抵抗しているのだろう。おそらくは彼女もエスカルダ王国からの転移者。もしや、エスカルダ王女? そしていま、彼女を救えるのは俺だけ――。
(池田)
(野村く――)
(大丈夫、俺にまかせろ)
頭の中でかつて自作した魔法論文のページを繰る。解呪魔法……魔を祓う、聖なる呪文……。
――よし、これだ。
(セイント・オムラーダッ‼)
少しの間ののち、池田がまた声を上げた。よし、効いている。彼女の体内で悪魔が苦しんでいるのだ。
(グラマダ・ブイヤベールトッ‼)
(ミソシルニー・ヤキージャケッ‼)
立て続けに俺は魔法を唱える。うむ、やはり効果はありそうだ。
耐えてくれ、池田。いや、カノーラ姫。このグランドマスターメイジ・ジュンペーヌが、必ずや貴女を救い出してみせましょう――!
(マリトッツォール・パウンド――)
「野村くん。なんですかさっきから、落ち着きのない。いまは体育じゃなく、古文の時間ですよ。もうちょっとおとなしく座ってなさい」
教師の声に呪文の詠唱を中断される。「おい野村ぁー、体育は四時間目だぞー」とひやかすような声とそれに続く笑い声。愚かな……あとちょっとのところだったというのに。さてはあの教師、悪魔の手先か?
しかたなく席に座る。すると隣から、
(野村くん、ありがとう)
そう言って、にっこり微笑む池田。安心したような、どこかすっきりしたようなその表情。……そうか。俺は黙って親指を立てる。
どうやら、解呪には成功したようだ――。




