普通の朝・2
舗装された畦道を澪ちゃんと並んで歩く。わたしたちの住んでいる町は田舎の町だ。田舎といってもド田舎というほどでもない。家の周囲には当たり前のように田んぼや畑が広がっているけれど、ちょっと歩けばスーパーやドラッグストアもあるような、一言で言えば中途半端な田舎。特別住みやすいわけでも住みづらいわけでもない、どこにでもある普通の郊外都市。
「あっ!」
澪ちゃんがふいに声を上げ、道の端にしゃがみ込む。
「どうしたの?」
「地蔵だぁ~」
見るとそこに小さな石の地蔵がちょこんと置かれていた。その丸い頭を澪ちゃんはすりすりと撫でる。
「澪ちゃん、ほんとお地蔵さん好きだよね」
「うん、好きだよぉ。えへへ」
とろけるような顔で澪ちゃんは地蔵の頭をすりすりしつづける。すりすり。すりすり。
「……」
「どしたの、かの?」
「……それって、普通のことなのかな?」
こちらに向けた首をカクンと澪ちゃんは傾ける。すりすり。
「地蔵好きが?」
「……うん」
澪ちゃんはじっとわたしの顔を見つめる。すりすり。
そして言った。
「かの。これは“推し活”だよ」
「推し活……」
そう、と澪ちゃんは立ち上がる。
「みんなが好きなアイドルを推すように、わたしは地蔵を推してるんだ」
「……地蔵は、アイドルなの?」
澪ちゃんはゆっくり首を振る。
「地蔵は地蔵だよ」
「地蔵は、地蔵……」
「かのだって、動物が好きでしょう? もしいま目の前に可愛いスコティッシュフォールドの子猫が現れたら、かのはどうしたい?」
「……撫でたい」
口の端をやわらかく上げて澪ちゃんは頷く。
「そういうことだよ」
「地蔵は猫なの?」
「地蔵は地蔵だよ」
「地蔵は、地蔵……」
「かの」
ささやくように言うと、澪ちゃんはわたしのほうに一歩、歩み寄った。
「メタバースだよ」
「メタバース……?」
「わたしたち人間はみな似通っているように見えて、でも少しずつ違う。そんな人間たちが、一つの星でひしめき合って暮らしてるんだ。それぞれの違いを認め合って、尊重し合いながら生きていかないと」
そう言って澪ちゃんは優しくわたしの手をとる。まるで聖母のような微笑みが目の前にあった。
「うん」
わたしは頷き、言った。
「そうだね、澪ちゃん」
澪ちゃんはゆっくり頷く。
「さ。もう行こう、かの。急がないと学校に遅れちゃう」
「うん。……でも、元はと言えば澪ちゃんが地蔵を――」
「かの」
澪ちゃんはささやくように言った。
「メタバース」
「メタバース……」
学校の正門が見えてきた。わきに立つ影山先生に挨拶をする。
「おはようございます」
「……おはよう」
影山先生は低い声でピクリとも笑わずに言った。
澪ちゃんと二人、玄関に向かう。
「そういえば」
と澪ちゃんが口を開いた。
「影山の顔見て思い出したけど、かの、今日までの数学の宿題、やった?」
「……」
「……」
「ポーッ! クルッポーッ‼」
「……」
「……」
「忘れたの?」
「……うん。澪ちゃん、あとでプリント写させて」
はあ、と澪ちゃんは小さくため息をつく。
「しかたないな、かのは。ジュース一本、奢りね」
「うん! ありがとう、澪ちゃん!」
えへへ、と澪ちゃんの隣に小走りで追いつく。と、ふと澪ちゃんが足を止めた。
「どうしたの?」
「かの……」
真剣な、そしてどこか悲しそうな顔で澪ちゃんはわたしを見つめる。
「前から思ってたんだけど……かのは驚いたとき、よく鳩になるよね?」
「う、うん。正確には『鳩が豆鉄砲を食らったよう』になってるんだけど……」
「そうか……」
と澪ちゃんは斜めに目を伏せる。言いづらそうにキュッと唇を嚙んでから、絞り出すように澪ちゃんは言葉を紡いだ。
「それはあくまで表現であって……実際に鳩になる人は、……あまり普通じゃないかも……」
ひゅう、と二人の間を風が吹き抜けていった。
「そ、そんな……」
わたしはその場に膝を突く。全身からすべての力が抜けていくようだった。これまで十六年間積み上げてきたものが、ガラガラと音を立てて崩れていく。目の前が真っ暗だった。たとえるならそれは永久の闇の牢獄――
「かの」
聞こえてきた声にゆっくりと顔を上げる。
「澪ちゃん……」
「大丈夫だよ、かの」
そう言って澪ちゃんは優しく微笑む。それはまるで聖母のような――ううん、違う。これは――
澪ちゃんはわたしの前にそっと手を差し出す。その手をとり、わたしは立ち上がった。
澪ちゃんは言った。
「メタバース」
「澪ちゃん……」
言いかけた言葉をわたしはのみ込んだ。ああ、わたしにもやっとわかったよ、澪ちゃん。人はみんなひとりじゃない。こうして手をとり合って繋がっていけるんだね。
わたしは言った。
「踊ろう、澪ちゃん」
「かの……」
澪ちゃんの目にきらりと光るものが浮かぶ。少し照れくさそうに笑うと、澪ちゃんは言った。
「ああ、踊ろう」
手を繋ぎ、わたしたちは踊る。わたしたちにはきっと、同じ音楽が聞こえていた。
ありがとう、澪ちゃん。わたしは今朝、大切なことを学んだ。女の子が女の子を好きになったっていい、地蔵を推したっていい、驚いたときに鳩になったっていい、多様性を仮想空間と言い間違えたっていいんだ。人はおたがいを認め合い、支え合っていける。手を繋ぎ、同じ踊りを踊ることができるんだ。
「あー……お前ら。その、どうして玄関前で盆踊りを踊っているんだ……?」
メタバース音頭だ、わっしょいわっしょい。
メタバース音頭だ、わっしょいわっしょい。
「その、他の生徒たちの邪魔になるから、ちょっとどいてほしいんだが……」
メタバース音頭だ、わっしょいわっしょい。
メタバース音頭だ、わっしょいわっしょい。




