普通の映画
「橘ぁーっ!」
「う、うるさいな! お前はなんでいつも叫びながら登場するんだよ!」
昼休み。部室棟地下一階の空き部屋。一人でいると、例の如く佐倉がやってきた。
「相変わらず橘はこの部屋が好きだねぇ。せっかくみんなでごはん食べるようになったってのに、また来てるなんて」
「……たまに、一人になりたくなるんだよ」
うまく言えないが、ずっとボッチが当たり前で生きてきた自分としては、たまになんというか、いったんリセットしたい時があるのだ。
「一人に……? え、じゃあ、わたしも邪魔? 帰ったほうがいい?」
「い、いや、あんたはいいよ、べつに……帰んなくて」
「え、だって、いま一人になりたいって……」
「い、いいから! 帰るなよ! ここにいてほしいんだよ!」
と、つい言ってしまった言葉を脳が遅れて理解する。
「なに言わせんだよッ‼」
「……? わたしは何を怒られてるの……?」
佐倉と二人、昼食を食べる。こうしてこいつと食事の時間を共にするのにもずいぶん慣れた。共通の知人ができたこともあって、話題に困ることもない。
「そういえば」
と、ふいに佐倉が言った。
「今日わたし、余興の品を持ってるんだ」
「余興……?」
「うん、これ」
と、佐倉はスクールバッグから何かを取り出して見せてくる。
「DVD?」
「そう。今日うちでかのと観ようと思って、昨日借りたんだ」
「いまどき珍しいな、DVDなんて」
「観たいと思ってたやつがサブスクに無くてね。ね、いまからこれ、二人で観ない? ちょうどそこにテレビとデッキあるし。ちょっと古いけど」
そう、この部屋にはなぜかそれらが完備されている。元は何部の部室だったのだろう。
「……でも、いいのか、先に内容知っちゃって? それ、今日池田と観る予定のやつなんだろう?」
「うん。内容知った上でもう一回観るよ。どうせ料金が同じなら、レンタルDVDなんてたくさん観れば観るだけお得だからね」
そういうもんなのか……? それにしても、「今日うちでかのと観ようと思って」か……。二人は中学からの付き合いらしいし、おたがいの家に気軽に行ける仲なんだな。最近ちょっと仲良くなれたとはいえ、あたしにはそんな機会はきっと訪れないだろう……。
「あ。ていうか橘も、今日うち来て一緒に観る?」
すぐ訪れた————!
「い、いや、あたしは……その、今日、用事あるから……」
「そっか、残念」
……ふぅ、危ない。家に行くなんて、いまのあたしにはまだハードルが高すぎる。部屋の空気を吸っただけで失神してしまうかもしれない。
「じゃ、うちに来るのはまた今度にして、今日はやっぱりここで一緒に観ようか」
「う、うん……また今度……」
それまでに池田から部屋の内装や雰囲気を聞いて、充分にイメージトレーニングを積んでおかなければ。
佐倉がデッキにDVDをセットする。
「ところでそれ、何のDVDなの?」
「ホラー映画だよ」
「え、……ホラー?」
「うん。オムニバス形式のやつだから、昼休みの残り時間で一話くらいは観終われるよ」
佐倉が再生ボタンを押す。映画本編が始まった。
「——そしてその穴から隣の部屋を覗くと……、なんと部屋が一面、真っ赤だったんだよ」
「……」
「……どうだ?」
「え、何がですか?」
「いや、いまの話の感想だよ。怖かったか?」
「全然。普通に聞いたことのある、有名な話だったし。……ていうか七瀬部長、話す順番間違えてますよ。それ、先に隣の部屋を覗いてから、後で大家さんに隣に住んでる人の話を聞きに行くんですよ」
「な、なに? ……おい許斐、それだとこの話、だいぶ怖くなるんじゃないか?」
「だから、それが正解なんですよ。……ったく、なんでオカ研の部長が怖い話下手なんですか」
昼休み。私は許斐を連れて、部室棟地下一階のオカルト研究部の部室に来ている。唇を尖らせ、許斐が言った。
「だいたい、なんなんですか? 昼休みに用があるって呼び出すから来てみたら、急に怖い話なんて始めて。あたし、友だちとお昼食べる約束してたんですけど」
「友だち? ……許斐、お前、友だちがいるのか?」
「なんでそんな意外そうなんですか! 失礼な! いますよそりゃ、友だちくらい。七瀬部長だっているでしょ? 友だちの一人や二人」
「え……」
「……え?」
「……あ、あぁ……まあ、な……」
「……まぁ、いいですよそれは。それで? 急にあたしを呼び出して自称怖い話を始めた理由、そろそろ聞かせてもらってもいいですか?」
「うむ、よくぞ訊いてくれた。さすがはオカルト研究部、次世代のエースだ」
「嬉しくないです。それで?」
「うむ。実は、ホラー耐性をつけようと思ってな」
「ホラー耐性?」
「あぁ。この間の夜の学校探索で、我々は情けない醜態を晒したろう。いまのままでは次にまた似た企画を催した際にも同じような結果に終わるだろうし、オリジナル七不思議作りも遅々として進まん」
「七不思議作りって……それ、まだ続けるつもりだったんですか」
「そこでだ。こうして集まって怖い話を語り合うことで、徐々にホラーに慣れていこうという寸法だ。どうだ、素晴らしい計画だろう」
「仮にも『オカルト研究部』を名乗る人間がまだその段階であることが、すでにだいぶ醜態を晒してると思いますけど」
「エースよ」
「その呼び方で呼ぶな」
「ひとまず私は話し終わった。次はお前の番だ。さあ、なにか怖い話をしてくれ」
「えー? 怖い話って、急に言われてもなぁ……。そもそも、こういうことやるなら、あたしよりすず先輩呼んだほうがよかったんじゃないですか? 話す役として誰よりも適任だと思いますけど」
「……いや、あいつの話はちょっとステージが高すぎるというか……聞くのに心の準備がいるというか……」
「オカ研部員が怖い話にビビるなよ……」
「とにかく、いまの私にはお前の話す怖い話くらいがちょうどいいんだよ。ゲームの勇者だって、実力が伴っていないのにいきなり魔王に挑むやつなんていないだろ? まずはスライムからだ」
「人をレベル一の魔物みたいに言うな!」
「それにそもそも、仮に呼ぼうにも今日、灰田は学校休みなんだよ。だから今日の部活には行けないと今朝、連絡があった」
「……ん? そうだ、今日放課後に普通に部活あるじゃないですか。怖い話ならべつにわざわざ昼休みに集まらなくても、そのときにすればいいじゃないですか」
「いいや。今日の放課後は昨日通販で届いた新作ボードゲームの試遊会をする。けっして、そういう話を夕方にするのがなんとなく怖いから、明るい昼間のうちにしておこうとか、そういうわけではないがな」
やれやれ、と許斐は首を振ると、何か考えるように腕組みをして上を向く。
——と、
「そうだ。一個ありますよ、とっておきの怖いのが」
「とっておき? ……ふぅん。まぁ、お前の言う『とっておき』なら、レベル的にちょうどよさそうだな」
「ふっふっふ、甘く見ないほうがいいですよ。あまり有名ではないですけど、少し前にこの話を元にした映画が作られたくらい、出来のいい怖い話なんですから。映画のほうも、めーっちゃくちゃ怖かったですよ」
「あぁ、そう。いずれにしろ、話す前にあんまりハードル上げすぎないほうがいいと思うぞ」
「ちなみにその映画は、友だちと観ました」
「友だちマウントやめろ。いいから、とっとと話せ」
「へへ、いきますよー。ええと、これはですね、とある廃校が舞台のお話で……」
こ、こわ……。
なにこの映画、超怖いじゃん……。
やっぱり「ホラー」と聞いた時点でやめておけばよかった。いまさら怖いから観るのやめようなんて、格好悪くて言い出せない。さっきから肩の震えが止まらずにいるの、佐倉に気づかれてないだろうか。
……それにしても、こいつ。ホラー映画なんか観ながら、よく平然と食事を続けられるな。こっちはもう怖くて、サンドウィッチどころじゃなくなってるっていうのに……。
あ、いや、でも、あれか。無理してでも食べといたほうがいいか。食事の手が止まってたら、「さてはこいつ怖がってるな」と佐倉に勘付かれてしまうかもしれない。できるだけ自然に振る舞わないと。家でドラマでも観ながら食べてるようなつもりで……。
「——ひっ」
やばい、いまのシーンが怖すぎて、ついちょっと声出ちゃった。チラと横目で佐倉のほうを見る。……よかった、気づかれてないみたいだ。
……っていうか、いま驚いた勢いで、思わず佐倉の手を掴みかけてしまった。危ない危ない、もしそんなことになってたら、さっき出た声なんか比較にならないくらいの悲鳴を上げていたところだ。恐怖とは全く違う感情で。
……ふぅ。落ち着け。時間的に、おそらくこの話もあと半分くらいだろう。あと半分。気を張って、なんとか耐え抜け……!
うーん。
橘って、ホラー苦手だったのか。
キャラ的に、そういうの全然大丈夫なタイプだと思ったんだけど、なんか悪いことしちゃったかな。
でもなんか、「やっぱ観るのやめる?」とは言い出しづらい。うまく言えないけれど、「なんとしてでも観てやるぞ」という決意みたいなものを橘から感じる。もしかしたら橘自身、これを機にホラー嫌いを克服しようという確固たる思いがあるのかもしれない。それに水を差すのは野暮というものじゃないだろうか。
「あぁ……うぅ……」
橘が小さく呻き声を上げる。頑張れ橘、この話も残りあと少しだ。……そういえば、かのも最初はこんな感じだったな。ホラー苦手なくせに、最後まで観るって言い張って。
頑張る橘に、友人としてわたしがしてあげられること。そうだ、あのとき、かのに対してそうしたように。
大丈夫だよ、橘、わたしがそばにいるから。そう伝えるように、橘の震える手にわたしはそっと自分の手を重ねた。
「ギィヤァァァァァァァァ————ッ‼」
「あれっ⁉ なんで⁉」
「——周りを見回しても誰もいない。しかし、確かに聞こえるのです。もうこの世には存在しないはずの、『彼女』の声が……」
「——ん?」
「——あ?」
話を止めた許斐と目が合う。
「……いま、なにか声が聞こえなかったか?」
「……そうですね、女の人の声っぽかった気が……。他の部室からですかね……」
「いや……この階にある部活は、我々オカルト研究部を除いて全て廃部になっているんだ。だからいまこの階には私たち以外だれもいないはず……」
「な、なんて場所にあるんですか、うちらの部室は。他の部室が全部廃部になっている階なんて、まるで……」
と、許斐が言葉を切る。一瞬、しんと無音の時間が流れた。
「……まぁ、気のせい、かな……」
「そ……そう、そうですね、アハハ……」
「……う、うむ。では許斐、あらためて話を再開してくれ」
「え……は、はい……」
「ん……どうした? もしかして、怖くなったか? だったら無理しなくても——」
「い、いやいや、まさか、そんなわけないじゃないですか。自分でしてる怖い話に自分が怖くなっちゃうなんて、いるわけないですよ、そんなマヌケ」
「……そうか」
「いるわけないですよ、そんな可愛い子」
「なぜ言い直した」
「じ、じゃあ、再開しますよ。コホン。……えー、そうして夜の廃校で一人きりになった主人公が、存在しないはずの『彼女』の声に怯えていると、ふいにコツコツと教室のドアを叩く音が……」
——と許斐が言ったまさにそのとき、コツコツと部室のドアがノックされる音がした。
「……へ?」
許斐が振り返る。私の視線もドアのほうに向く。
「……いま、ノック……」
「……あ、ああ……」
再び部屋が静まり返る。カチコチと時計の音が聞こえた。
「……す、すず先輩じゃ……ないですよね?」
「ああ、あいつは今日、休みのはずだから……」
「じ、じゃあ……」
と、許斐がドアのほうに目をやる。そこへ——
コツ、コツ
「ま、また聞こえた! 『気のせい』で終わらせられる可能性が完全に断たれた! さっきから話と現実がリンクして……終わった、完全に終わった……‼」
「お、落ち着け、許斐。何も終わってない。ただ誰かがうちの部室に用があって来ただけだ。冷静になれ」
「……この部室に、誰が、何の用があって来たっていうんですか……?」
「それは……、入部希望者、とか……」
「いるわけないじゃないですか、そんな人!」
「お、おぉ……そう力強く言われると何気にショックだが……それについては実際、私もそう思う」
「き、きっと、あれですよ……所属していた部活を廃部にされた生徒の怨念が霊となって、う、恨みを晴らしに来たんです……。そう、存在しないはずの『彼女』が……」
「な、なんだその設定は。だいたい、なんでその恨みを晴らすのにうちの部活がターゲットになるんだよ」
「『こっちは廃部になったのに、お前らは存続しやがって』みたいな……」
「八つ当たりにも程があるだろ! ……とにかく落ち着け、許斐。お前が考えてるようなことでは絶対にないから」
そう言い、私はドアのほうに向かう。
「え、あ、開けるんですか? やめといたほうが……」
「大丈夫だ、許斐」
私は振り返り、許斐の手をそっと握る。
「怪奇現象など、現実にはそうそう起こらない。きっとこれにもなんてことないオチがつく。私がそれを証明してみせよう」
「七瀬部長……」
「ああ」
「部長の手、めっちゃ震えてますけど……」
私は許斐の手を離し、再びドアのほうを向く。
「……大丈夫。昼間におばけは出ない」
「昼間への信頼がすごい……」
ドアの前に立つ。ノブを握り、ふぅー、と細く息を吐いた。ゆっくりと押し開ける。
「……?」
開けたドアの向こうには誰もいなかった。ただ閑散とした薄暗い廊下があるばかり。
「誰もいない。開けるのが遅かったから、不在と踏んで帰ってしまったのかもしれないな」
そう言って後ろを振り返る。許斐が青白い顔をしてこちらを見ていた。
「な、なんだ……どうした?」
「そ……それ……」
許斐が震える指をこちらに向ける。その指し示す先に目をやると、女性ものと思しき赤い靴が一足、廊下に揃えて置いてあるのが目に入った。
「……なんだ、これ?」
「……話の……続きでは……」
掠れたような声で許斐が話し出す。
「……主人公がドアを開けると……そこには誰もいないんです……。代わりに……あ、赤い靴が一足置かれていて……下に、一枚の紙きれが……」
廊下の靴を見る。目を疑った。靴で挟むようにして、下に一枚の紙きれが挟まれている。
「……そ、そこには……何と書かれてたんだ……?」
「……」
「……」
沈黙が下りる。浅い呼吸音はどちらのものかわからなかった。やがて、震える声で許斐が口を開いた。
「『コロス』」
「うーん、いなかったかぁ」
ドアを開け、橘と二人、空き部屋に戻ってくる。
「だから言ったろう。この階にある部室に昼から人が入ってるところなんて見たことない。昼にここに通い慣れたあたしが言うんだ、間違いない」
「んな妙なとこで自信もたれても……。残念だなぁ、暇に飽かしたオカ研部員が、昼から怖い話合戦でもしてないかなと思ったんだけど」
「しないだろ、いくら暇でもそんなこと」
ちぇ、と口を尖らせながらDVDをデッキから取り出す。
「うーん……やっぱりこの映画、なんか元ネタがある気がするんだよなぁ……。たしか、似たような話があった気が……」
「そんなに気になるなら、わざわざオカルト研究部に訊かなくても、ネットで調べたら出てくるんじゃないの?」
「いやいや、こういうホラーエピソードは人から人へ、口承に限るんだよ。村の神隠し伝説について訊ねられた老婆が、『ちょっと待ってね。いまググるから』ってスマホ取り出したら、なんか興醒めでしょ?」
「それとこれとは話が別な気もするけど……」
「まぁ、部室前に、用件とわたしのクラスと名前書いたメモも残したし、あとであれ見たオカ研の人が後日教えに来てくれるでしょう。ちゃんと映画のエピソードに見立てて赤い靴にもしたし、粋な計らいにきっと感心してくれる」
「あんなもん部室の前に置かれてたら、普通に気味悪がられるだけな気もするけど……。それにしても、よく都合良くあんな靴あったよな。漫画もあってテレビもある、茣蓙も敷いてあって……ここってほんと、元は何部の部活だったんだろう……」
「家部」
「安直だな」
「帰宅部」
「それは……なんか、ちょっとうまいかも」
「神隠し部」
「……どういうこと? 活動してた部員が部室の備品そのままに、ある日突然全員消えたのか?」
「あ、そう考えたらどっちかっていうと、『神隠され部』か」
「あたしたちいま、これ以上ないほど時間と酸素の無駄遣いをしてないか?」
——と、そのとき、
「ギィエァァァァァァァァァ——————ッ‼」
耳をつんざくようなけたたましい音とともに、複数の足音が外の廊下を慌ただしく駆けていった。
「な、なんだ、いまの……?」
「人の声、かな……。悲鳴みたいにも聞こえたけど……」
橘と二人、ぽかんとドアのほうを見つめる。
「人って……この時間、あたしら以外にもこの場所に誰かいたのか……。それにしても、いったい何があったんだ……?」
「……いや、橘。よく思い出して。さっき廊下に出たとき、この階には確かに人の気配はなかった。にもかかわらず、突然聞こえてきた人の声……。はたして、いまのは本当に生きた人間の声だったのかな……?」
「……は? 佐倉、なに言って……」
「怖い話してると霊が寄ってくるって、よく言うよね? もしかしたら、この部室の元の持ち主たちが神隠しにあったというのは、真実なのかも……。映画にもあったでしょ? もうこの世に存在しないはずの『彼女』の声が突然聞こえて……」
「あ……ああ、あ……」
橘の肩がわなわなと震え出す。いけないいけない、ちょっと怖がらせすぎてしまった。
「ごめん、うそうそ。大丈夫だよ、安心して」
と、その震える肩にそっと両手を添える。
「ギィヤァァァァァァァァ————ッ‼」
「だから、なんでだよッ‼」




