普通の昼食
キンコンカンコン――。
昼休みの開始を告げるチャイムが鳴り響いた。
「橘ぁーっ!」
と、佐倉があたしの元にやってくる。
「昼休みだよ、橘! 昼休みだよ!」
「う、うるさいな。そんな何度も言わなくてもわかってるよ」
「約束どおり、今日は教室でみんなで一緒にお昼食べよ」
「……お、おう」
と、あたしは立ち上がる。先日、部室棟の空き部屋で一緒に昼食を食べた際、そんな約束をついしてしまったのだ。
佐倉に連れられ、窓際の席のほうに向かう。向かい合わせで並べられた四つの机には、すでに二人の人間が座っていた。
「よーし! ではまず橘に、昼休みのイカれたメンバーを紹介するぜー!」
「イカれてないよ! 普通だよ! ……あ、こんにちは、橘さん。ええと、よろしくね」
「あ、あぁ、うん……よろしく」
池田と挨拶を交わす。クラスメイトとあらためてこんなやりとりをするのは、なんだか変な感じだ。
「あの、わたしは初めましてですよね。一年C組の森木千智といいます。最近、こうやって先輩たちとお昼ご一緒させてもらってます。よろしくお願いします」
「う、うん。佐倉から話は聞いてる。橘樹絵瑠です。よろしく」
「よし、じゃあ自己紹介完了ね。さ、座って座って」
佐倉に促され、椅子に腰を下ろす。池田と森木さんが隣り合って座っている関係で、あたしの席は自然、佐倉の隣となる。できればもう少し離れたかったが、流れ上しかたない。
「いやー、それにしてもお腹空いた。今日さぁ、朝ごはん食べそびれちゃったから、さっきの授業中お腹鳴っちゃいそうで危なかったんだよね」
「あるよね、そういうこと。わかるわかる」
佐倉の言葉に池田が首を振る。佐倉が机に弁当箱を置くのを見て、あたしも前の休み時間に購買で買ったサンドウィッチを鞄から取り出す。
「あー。ちょっとちょっと橘ぁー、なんでサンドウィッチなのー? 今日お弁当にしてって言ったじゃん」
「え、あぁ……忘れてた」
「もぉー。せっかく橘の料理の腕前を二人に見せてあげようと思ったのにぃー」
「え。橘さんって、自分でお弁当作れるの?」
「フッフッ、そうだよ、かの。橘の作る弁当のおかずはどれも絶品なんだから。甘く見ないほうがいいよ」
「そうなんだ、すごいね! なぜ澪ちゃんがそんなに偉そうなのかはシンプルに意味不明だけど」
二人のやりとりに小さく笑いを返しながら、机の上にサンドウィッチを並べる。本当は、忘れていたわけじゃない。前に空き部屋で自分の弁当のおかずを佐倉に分け与えた際、本音かわからないが味をべた褒めされ顔がマグマのように熱くなってしまったことがあったため、それを未然に防ぐべくあえて作ってこなかったのだ。佐倉はともかく、関係ない二人の前でそんな醜態をさらして変に思われたくない。
「じゃ、食べようか。いただきまーす」
佐倉の合図で他二人も食べはじめる。池田に森木さん、二人を交えた昼食の時間は和やかに進む。こんなふうに机をくっつけ合ってお昼を食べるのなんて小学校のとき以来。戸惑いはあったけれど、時間とともに少しずつあたしの緊張は解けていった。……こういうのも、たまには悪くないのかもしれない。
「ねぇ、橘さん」
正面に座る池田が、ふいに言った。
「あのね、橘さんのこと、下の名前で呼んでもいいかな?」
「え。う、うん、いいけど……」
「やった。じゃあ……樹絵瑠ちゃん」
何と反応したらよいかわからず、頬を掻く。すると今度は森木さんが、
「あの、わたしもいいですか?」
「う、うん」
「ありがとうございます、樹絵瑠先輩」
えへへ、と笑いながら森木さんが言う。同年代から下の名前で呼ばれること、いままであったっけ……。不思議な、でもけっして悪くはない気分だった。
「おい、樹絵瑠ぅー」
「わーっ! わぁーッ‼」
「な、なんだよ、急に大きな声出して。びっくりした」
「い、いや、その……」
びっくりしたのはこっちだ。でも客観的に見れば、おかしいのはあたし。三人ともきょとんとした顔でこちらを見ている。
「……あ。もしかして、本当は嫌だった? 下の名前で呼ばれるの」
池田が言った。
「いや、そんなことは――」
ないと言ってしまえば、佐倉からもまた下の名前で呼ばれることになる。そんなの恥ずかしすぎる。絶対、耐えられない。
「じ、実は、その……自分の名前、あんまり好きじゃなくて……」
「え、そうなの? 素敵な名前だと思うけど……」
「だよね、『樹絵瑠』ってなんか口触りいいし。ねぇ、樹絵瑠。樹絵瑠、樹絵瑠ぅー。うん、呼びやすい」
や、やめろ、連呼するな。また顔が熱くなってきた。
「でも、ご本人がそう仰るなら、わたしたちは遠慮するべきですよね」
「うん、そうだね。ごめんね、橘さん。わたしが変なこと言い出したから……。やっぱりこれまでどおり、苗字で呼ぶね」
申し訳なさそうな笑みで池田が言う。ああ……こちらこそ本当に申し訳ない。でも、佐倉に名前を呼ばれる度に赤面した顔を二人に晒して、あたしの佐倉への気持ちがバレてしまうことを考えたら、こうするしかなかった。
若干の切なさとともに、サンドウィッチのパンを噛みしめる。
うーん……。
佐倉先輩のお友だちだっていうからどんな人かと期待したけど、いまのところべつに普通の人だな。見た目の印象に反しておとなしめっていうか、ちょっと内気な感じ? 言い方は悪いけど、あまりおもしろみはないかも。
あえて印象的な部分を挙げるとすれば、自分の名前が嫌いってことくらい。どうしてだろう。まぁ、たしかに、どちらかといえばキラキラ寄りの名前だとは思うけど、よく似合ってると思うけどな。美人だし、いい意味で名前負けしてないっていうか。
……それにしても、こんな見方をしたら失礼かもしれないけど、佐倉先輩はこの人のどこがそんなに気に入ったんだろう。わたしにはこれといって変わったところのない、普通の人にしか見えない。むしろその普通なところが良いと思ったのかな。変な人は普通の人に惹かれるものなのだろうか。
――あ。もしかして、その逆? 橘先輩のほうから佐倉先輩に興味をもって近づいたのかな? わたしがかの先輩に対してそうしたように。だとしたら橘先輩はわたしと同じ、変な人に憧れる普通の人仲間。そのあたりのことを訊いてみたい気もするけれど、当然いまは訊けるはずもなく——。
どんな話の流れからだったか、先輩たちは近く行なわれるらしい担任との二者面談の話をしている。わたしは若干、蚊帳の外。――と、ふと、かの先輩が、
「そういえばそのプリント、提出いつまでだったっけ?」
「え、今日までだけど。……もしかしてかの、まだ出してないの?」
「期限来週だと思ってた! 大変、すぐ出してくる」
かの先輩が慌てて立ち上がる。
「え、ちょっと、いま行くの? もう内容は書き終わってるんでしょ? 今日中ならオッケーなんだから、食べ終わってから行けばいいじゃん」
「だめだよ、そんな悠長なこと言ってたら! わたしのことだから、きっとそのころにはまた忘れちゃってる」
「自分の粗忽さへの信頼がすごいな」
ごめん、ちょっと行ってくるね! と言い残し、かの先輩は小走りで教室を出ていった。――と、先輩が座っていた椅子の下に一枚の紙が落ちているのに目が留まり、拾い上げる。
「あの、なんかこれ、落ちてましたけど……」
「それ、二者面談のプリント! ……もしかしてかの、それ忘れて行っちゃったの?」
信じられない、といった顔で佐倉先輩が言う。プリントを提出しに行くのに、提出するべきプリントを忘れて行くなんて……さすがかの先輩、なんて感心している場合じゃない。
「わたし、届けてきます」
「いいよ、わたしが行ってくる。途中でかのに会えなかったら、わたしがそのまま担任に提出してきちゃうから。森木ちゃんはもしかのが入れ違いで戻ってきたら、事情を説明してあげて」
困ったような笑みで言い、佐倉先輩はプリントを手に教室を出ていく。さすが付き合いが長いだけあって、こういうときのフォローの仕方を心得てる感じ。なんだか佐倉先輩がまともな人に見える。
「行っちゃいましたね」
「う、うん……」
席にはわたしと橘先輩、二人だけが残される。なんとなく少し気まずい。と、わたしが思っている以上にむこうは気まずそうだ。こっちから何か話を振ったほうがいいかな。でも何を話そう……。
――あ、そうだ。そういえば、さっき訊いてみたいと思ったことを訊くチャンスかも。
「橘先輩」
と、わたしは先輩に声をかけ、言った。
「先輩も、佐倉先輩に憧れてる感じですか?」
な……
なんでバレてるの――――――⁉
どうして……どこでバレた? やっぱり、さっきの名前のくだりがマズかったか? 自分で思ってる以上に赤面してしまっていたのかもしれない。
ど、どうする、どう答えよう。どうにかうまく誤魔化す方法は……。
……ん、あれ? そういえば森木さん、いま、「先輩も」って言った? それってつまり……
「も、森木さんも、その、佐倉のことが……す、好き、なの?」
「え? はい、好きですよ」
そうだったの――――⁉
お、驚いた。まさか森木さんもだなんて……。たまに男子が佐倉の話をしてるのは耳にするけど、あいつって女子からもモテるんだな……。
「フフ。っていうか、わたしもってことは、やっぱり橘先輩もそうなんですね?」
……あ、しまった。森木さんにつられて、つい……。もう誤魔化すのは無理か。相手にだけ気持ちを吐露させるのはフェアじゃないし、しかたない、ここは正直に……
「う、うん」
「アハ、やっぱり」
うぅ、恥ずかしい……顔から火が出そうだ。森木さんはどうしてこんなにあっけらかんとしていられるんだろう……。
――あれ、待てよ。あたしも森木さんも佐倉のことが好き……これってつまり、あたしたちはライバル関係ってことにならないか……?
「そっかぁ、橘先輩もそうだったんですね。そっかそっかぁ」
なんでちょっと嬉しそうなの――――⁉
「こういう感覚って人に説明するの難しいし、そうそう誰かと共有できるものじゃないじゃないですか。だから仲間ができたみたいで、うれしいです」
と、森木さんはにっこりと笑う。仲間……。ずいぶんポジティブだな。……でもまぁ、たしかにあたし自身、同じ女に対してそういう気持ちを抱くのはおかしいのではと内心ずっと気にはしていたから、そう言われて少し安心できた部分はある。仲間、か……。「ライバル」よりはずっと温かみのある発想だ。優しい子なんだな、森木さんって。
「ちなみにですけど、橘先輩。かの先輩については、どう思いますか?」
「え、池田? いや、池田については、べつになにも……」
「えー、そうですか? わたしはかの先輩もすごくいいと思いますけど。佐倉先輩とかの先輩、どちらも素敵で甲乙つけがたいです」
「甲乙って……、それってつまり、池田のことも、す、好きってこと……?」
「はい、好きですよ」
見境なさすぎない、この子――――⁉
「最初はかの先輩と仲良くなって、そしたらそのお友だちの佐倉先輩とも知り合えて……すごくラッキーでした。いいですよねえ、あの二人。先輩たちと一緒にいると、わたし、すごく幸せな気持ちになれるんです。これまで自分になかった価値観を得られるっていうか……」
うっとりしたような表情で森木さんは語る。すごいな、こんなにも自分の気持ちを赤裸々に……。これが恋バナってやつなのかな。聞いてるこっちが恥ずかしくなってくる……。
「あの二人だけでも充分満足なんですけど、できたら、これから三人目四人目と、もっとああいう素敵な先輩と知り合えたらうれしいですね」
肉食系が過ぎない――――⁉
「橘先輩も、そう思うでしょ?」
そして思想を押し付けられた――――‼
「い、いや、あたしは……。あ、あたしがその、す、好きなのは、佐倉だけ、だから……」
「へぇ? そうなんですか? なんか、ずいぶん一途ですね」
「い、一途っていうか……こ、こういうのって、普通、そういうもんでしょ……」
「……? はあ……まぁ、そうですかね」
うーん……? なんか、微妙に会話が噛み合ってない気がする。橘先輩もわたし同様、変な人に惹かれる普通の人仲間だと思ったんだけど……違うのかな?
ひょっとして――。橘先輩の言う「好き」って、わたしが思ってるのと違う意味だったりする? だとしたら、それって……
「あの、ちなみに橘先輩は、佐倉先輩のどんなところが好きなんですか?」
「え、どんなって……それは、その……」
と橘先輩は身をもじもじさせながらこう話す。
「や、優しい、ところ……。あ、あたしみたいなやつに声かけてくれたり、一緒にお昼食べてくれたり……。時々意味わかんないけど、話してると、その、楽しい、し……」
あぁ、やっぱり。間違いない。橘先輩の言う佐倉先輩に対する「好き」は恋愛感情的な意味の「好き」だ。だってもう話しながら、わたしのお弁当に入ってるタコさんウインナーくらい顔赤くなっちゃってるし。
思い返せばこの人、今日佐倉先輩に何か言われるたびに顔を赤くしていた気がする。名前のくだりのときもそうだし、そのあと佐倉先輩がふざけて橘先輩のサンドウィッチに嚙み付こうとしたときも。
……なるほどね、そういうことだったのか。橘先輩は佐倉先輩のことが恋愛的な意味で好き。どうりで話が噛み合わないわけだ……。
「あ……あと、なにげに気遣いができて、その気遣いが押しつけがましくないところとか……。今日こうやって一緒にお昼ごはんを食べてるのも、前に佐倉が……」
あぁ、もう、橘先輩、こんなに顔真っ赤にして……もはやわたしに聞かせるというより、自分自身の気持ちを言葉にするのに必死って感じ。女の子を好きになっちゃった女の子……現実で初めて見たけど……なんか、いじらしくて可愛い。すごく、応援したくなる。
思い返すに、佐倉先輩本人はたぶん、橘先輩の気持ちに全く気づいていない。かの先輩も。それを知っているのはわたしだけ。……橘先輩。わたし、ただ一人真実を知る者として、陰ながら先輩のことを応援し、そして……
陰ながらこっそり、楽しませてもらいますね————♡
「え。じゃあ結局、きゅうりの八割は水分ってこと?」
「違う違う。きゅうりは九割が水分だけど、『きゅうわり』って言葉の八割が『きゅうり』だって話で……」
佐倉と池田が戻ってくる。どうやら途中で無事、出会えたようだ。会話の内容は意味不明だが。
「おかえりなさい、かの先輩。プリントは無事、先生に出せたんですか?」
「うん、澪ちゃんが急いで届けに来てくれたおかげで。みんなもごめんね、騒がせちゃって」
「ほんとだよ、まったくかのはそそっかしいんだから。あー、走ったせいでお腹空いた」
と、佐倉が口をあたしの手もとに近づけてくる。
「だ、だから! なんで人のサンドウィッチ食べようとするんだよ! お前まだ自分の弁当残ってるだろ!」
「もー、いいじゃん一口くらい、減るもんじゃないんだし。橘のケチ」
「減るよ、サンドウィッチは! ていうか、そういう問題じゃないんだよ!」
「……? どうしたの千智ちゃん、口押さえて。変なとこ入った?」
「い、いえ、大丈夫です。ただちょっとまとめて頬張りすぎちゃって、みっともないので隠してるだけで……ぷぷ……」
「そうなんだ……。そのわりにはスラスラと喋れてるね」
やがてチャイムが鳴り、昼休みが終わる。机を元の位置に戻していると、森木さんに声をかけられた。
「橘先輩、今日はありがとうございました。よかったらまたお昼ごはんご一緒させてください」
「え、あ、うん……その、こちらこそ、よろしく……」
「はい。わたし、橘先輩のこともすごく好きになれそうです」
「……」
「……」
やっぱり見境なさすぎない、この子————⁉




