普通の友だち
形だけのノックをし、ドアを開ける。
昼休み。部室棟地下一階。今日も薄暗いこの部屋は、教室の喧騒とは打って変わって静かだ。敷いてある茣蓙に座り、購買で買ったサンドウィッチとコーヒーを横に置く。スマホの画面で前髪を軽く整えた。
血縁の関係で地毛の色が明るくて、そのせいで昔からギャルだとかヤンキーだとか言われてきた。そのくせ、本物のギャルやヤンキーみたいに明るい性格はしてないからそういうグループにも馴染めず、昼はだいたいいつもこの部屋で一人。部室棟は本棟から少し離れた位置にあるから、一度来てしまうと戻るのが億劫だ。今日もこのまま、五時間目もサボるんだろうな……。
静寂に包まれた室内をぼんやり眺め、ふぅ、と息を吐き出す。べつに、ぼっちを嘆いているわけじゃない。もともと一人でいるのはわりと好きなほうだし。でも二年生になって、そんなあたしに声をかけてくるやつが現れた。……アイツ、今日も来るのかな。まぁ、どっちでもいいけど……。
「おーす!」
と、ちょうどそのとき、部屋のドアが勢いよく開いた。飲んでいたコーヒーが変なところに入り、少しむせてしまう。
「お、今日もいるねぇ、橘。まだ授業始まる前なのにすでにサボりはじめてるなんて、不良の鑑だね」
「ケホ、ケホ……。う、うるさいな。あんたこそ今日、来るの早いじゃん」
「いやいや、わたしは今日はサボりに来たんじゃないよ。ていうかサボるってなに? それ、おいしいの?」
「なんだその急な記憶喪失は。いつもやってるだろ。……サボりじゃないなら、何しに来たんだよ?」
「橘とお昼ごはん食べに来た」
「――は? なに――」
佐倉は靴を脱ぎ、いつもの場所に座ると、手に持っていた弁当箱を茣蓙の上に置いた。
「教室に姿がないからさぁ。ってことはここかな、って思って来てみたんだよね。いやぁ、会えてよかった」
「い、いや、お前、お昼って……あたしとって、どういう……」
「え、だめ?」
「いや、だめ……じゃ、ないけど……」
「よかった」
佐倉は微笑み、弁当箱の包みを解く。蓋を開け、「いただきまーす」と食事を始めた。
……なんだこれは。相変わらず、何考えてるかわからないやつ……。
この部屋でこいつと二人きりで過ごすことにも、最近は少しずつ慣れてきた。でも、こういう形は初めてだ。……ちょっと緊張するな。黙って食べるのもなんだし、何か話しかけたほうがいいか。何を話そう。そうだな……ええと……
「……」
「……」
話題が何も思い付かない――――‼
考えてみれば、こいつとあたしの共通点なんてクラスが同じことくらいしかない。あらためて話すとなったら、何を話せばいいんだ……?
あ、そうだ、漫画。いつもここで読んでる漫画の話をすればいいのか。……いやでもそれで、「こいつほんとに漫画好きだな」とか思われたら恥ずかしいな……。ここは無難に、天気の話でもしておくか……。
「……」
「……」
いや終わりだろ、天気の話なんて――――‼
そんなの気まずくなるためにする話題の代表選手みたいなもんじゃないか。社会人同士ならまだしも、高校生がわざわざするような話じゃない。それも、「最近雨ばっかで嫌になっちゃうよねー」とかならわかるけど、ここのところは晴れ続き。「最近は良いお天気が続きますねえ」「そうですねえ」……なにこの会話! ここは縁側か⁉ 縁側の老人なのか⁉
もっとこう、たとえば……そうだ、部活! ――は、たしかこいつやってなかったよな。あたしもやってないし……。ああもう、どうしよう……何か、何かないか……? とにかく黙ったままはまずい。何か話を振らないと、佐倉に気まずい思いをさせてしまう。
「……」
「……」
っていうかこいつ、なんで何も喋らないの――――⁉
よく考えたらおかしくない⁉ 「一緒にお昼食べよう」ってそっちから来といて、なんで黙々と弁当食べてんの⁉ なんなら普段もっと喋るやつだよな、お前? なんで今日に限ってそんなダンマリなんだよ⁉
……ひょっとして、食べるときは無口になるタイプなのか? 黙食がポリシー? じゃあむしろ話しかけないのが正解? いやでも、だったらなんで一緒に食べようとか言ってきたのって話になるし……。いやいやでも、たしかに人と食事をするからって何か話をしなきゃいけないという決まりはないわけで……
「ねぇ、橘」
「は、はい!」
「ブロッコリー、好き?」
「――へ? まぁ、嫌いじゃないけど……」
「ほんと? あのさぁ――」
と、ふいに佐倉が弁当を手に近寄ってくる。
「なな、なんだよ」
「いや、お弁当に入っててさ、ブロッコリー。わたし、ちょっと苦手なんだ。代わりに食べてくれない?」
あぁ、そういうことか……。
「べつに、いいけど」
「助かるー。ありがとぉ、橘」
佐倉が箸でブロッコリーを持ち上げる。さっきは勢いでつい「嫌いじゃない」とか言っちゃったけど、実はあたしもそんなに得意じゃない。……でもまぁ、べつにいいか。もういいよって言っちゃったし、食べて死ぬわけでもないし。
受け取ろうと手で皿を作る。と、佐倉の箸はなぜかその上を通過する。
「はい、あーん」
――死ぬかもしれない。
「あ、あの、さ、佐倉、さん? ちょ、ちょっと……ちょっと、待って――」
「え、なに、どうしたの?」
どうしたの、って。こっちからしたら、お前こそどうしたのなんだが?
「い、いや、手、手の上に乗っけてくれればいいから……」
「橘」
「な、なに」
「手皿はマナー違反だよ」
人に自分の苦手なもの食べさせようとするのはいいのに――⁉
「……あ。でも、そうか。わたしの箸からじゃ汚いよね。ごめんね、気が付かなくて」
「そ、そんなことない‼ 全然、汚くなんかない‼」
「あ、ああ、そう? そんな叫ぶように言ってくれなくても……。えっと、じゃあ大丈夫? 『あーん』で」
「大……」
丈夫、ということになってしまう。全然何も大丈夫じゃないけれど、流れ上、ここから断るのは不自然だ。「……大丈夫」と首を振る。
「じゃあ、あらためて。はい、あーん」
佐倉がブロッコリーを持った箸を近づけてくる。ああ、なんだこの状況……。そもそも佐倉がこんなに近くにいるという状況がすでに落ち着かないのに、それに加えて「あーん」ってなんだよ……。ブロッコリーを見ようとすると佐倉の顔も目に入る。だめだ、ブロッコリーに集中しろ。ブロッコリーブロッコリー、この世のすべてはブロッコリー……‼
佐倉の箸が口に差し込まれる。
「どう? おいしい?」
味も何もわかったもんじゃないけれど、ブンブン首を振る。熱くなった顔を冷ましたくて、コーヒーを口に流し込む。
「……あれ。橘、もしかして本当はブロッコリー、あんまり好きじゃなかった?」
「い、いや、違う! これはただ、熱くて――」
「え、ブロッコリーが?」
ああしまった、何言ってるんだあたしは! 誤魔化せない。なぜならブロッコリーが熱いはずないから。なんとか話題を逸らさないと――
「そ、そうだ。佐倉、サンドウィッチ一ついる?」
「え、いいの? なんで?」
「ブ、ブロッコリー、もらったから。お返しに」
「えー、でもなんか申し訳ないなぁ、ブロッコリー一個の対価がサンドウィッチ一つって。橘、お腹空いちゃわない? 貴重な主食じゃん」
「い、いやいや全然大丈夫、気にしないで」
どれにする? と声をかけ、わきに置いたサンドウィッチのパックに手を伸ばす。ふぅ、とりあえずうまく話題は逸らせた。落ち着け、早く平常心を取り戻さないと。佐倉に変に思われないように、普通に、普通に……。
と、そのとき、ふいに横から「はむっ」という声がした。見ると手に持った食べかけのサンドウィッチが少し減っている。佐倉の口がもくもくと動いていた。
「やっぱり一個丸々は申し訳ないから、一口だけもらったよ」
グッバイ、マイ平常心――――。
「おいしいね、このサンドウィッチ」
「……そそ、そう、ですか……それは、よかった、です……」
蚊の鳴くような声で返事をしながら、サンドウィッチの断面部分に目を向ける。な、なんなんだこの、か、間接ナントカ祭りは……。ドキドキしすぎて胸が痛い。一緒にお昼を食べるって、こんなに危険なイベントだったのか……。
「ってかさ。思ったんだけど、橘って小食なんだね」
「え? そ、そう……?」
「うん。だってサンドウィッチだけでしょ? 夜は?」
「夜は……まあ適当に、スパゲティとか作って食べるけど……」
「え、自分で作るの?」
「え。あぁ、うん。うち母子家庭で母親帰り遅いから、たいてい自分で。面倒くさいから、昼は買って済ませることが多いけど……」
「へぇー。すごいね、橘、料理できるんだ。他にどんなの作れるの?」
「いや、そんなにいろいろは作れないけど、たとえば――」
と品目を挙げていき、それにいちいち感心したように驚く佐倉。好きな食べ物を訊かれ、訊かれたからあたしも訊き返す。そこから佐倉の家族の話になった。……あれ、なんかいつのまにか、わりと普通に喋れてない? 一時はどうなることかと思ったけど、なんとかなってよかった……。
「……っていうか、そんなにブロッコリーが嫌いなら、弁当に入れないでくれって親に頼めばいいんじゃないか?」
「言っても入れてくるんだよ、嫌がらせのように。なんなら、言えば言うだけ個数を増やしてくる」
なんか、佐倉の母親らしい。思わず、ふふっ、と笑いが洩れる。以前そのことでケンカになり、翌日弁当のメニューをすべて苦手なものにされたと聞き、それはやりすぎだと苦笑する。
「だよねー。ブロッコリーもさ、いつもはかのに食べてもらうんだけど、今日休みで。森木ちゃんも委員会の集まりがあるって言うし……」
「森木ちゃん?」
「ああ、一年生の子。最近、友だちになったの」
「へぇ……」
そうか。だからこいつは今日、ここに来たんだ。本来ならその二人と食べる予定だったのに。こいつにはいつも一緒に昼ごはんを食べるような、気の合う友だちがいる。……あたしと違って。べつに、いま初めてわかったようなことじゃないのに、なんだか急に佐倉が遠く感じられた。佐倉より、そう感じてしまう自分が何より嫌だった。
「ごちそうさま」
と佐倉が手を合わせる。
「あれ。橘、まだ食べ終わってないの? 小食な上に食べるのも遅いなんて、女子かよ」
「女子だよ。……一応」
「さて。わたしは今日五時間目出る予定だけど、橘はどうするの?」
「……まぁ、たぶん、サボるよ」
不良の鑑として、と付け足すと、少し遅れて「さすが」と佐倉は笑う。
「じゃあ、わたしは行くけど、橘も進級やばくならない程度には授業出なよ」
ああ、と右手を振る。佐倉は靴を履くと、その場でくるりと振り返った。
「明日も、ここにお昼食べに来ようかな」
「え?」
「いや、ここ静かで教室より落ち着くし、橘とももっと話したいしさ」
「……」
体の内側が熱くなる。けれどなにか冷たい膜でそっと包み込まれるように、その熱はすっと冷めていった。
「……いや。明日は友だちと食べなよ」
「え?」
「いつも一緒に食べてるんだろ? あんたがいなきゃ、そいつらも寂しがるでしょ」
「……」
佐倉は少しの間黙ると、「わかった」と言い、ドアのほうへ向かう。
これでいい。実際、そのほうが佐倉も間違いなく楽しいだろう。こんな薄暗い部屋で、話題に困りながら、あたしみたいなやつと無理して食べる必要はない。……はあ。我ながら卑屈で嫌な性格してる。見た目どうこうより、こんな性格だから友だちができないんだろうな……。
「じゃあ」
と、ドアノブを握ったところで、佐倉は顔だけこちらに向けて言った。
「明日はもうちょっと早く来るね。橘、もし作る余裕あったら、明日は自分の手作りのお弁当持ってきてよ」
「――は? ……いやだから、聞いてなかったのか? 明日は友だちと――」
「そうだよ。橘が言ったんでしょ、明日は友だちと食べろって。だからわたしは明日もここで橘とお昼を食べる」
あ……、という声が口から零れる。じゃ、また明日ね、と微笑むと佐倉はドアを開けて出ていった。
足音が遠ざかる。反対に心臓の音は大きくなっていった。
「友だち……」
慣れない言葉を口の内側で呟く。扱い方のわからない感情で胸がいっぱいで、残ったサンドウィッチはこれ以上食べられる気がしなかった。




