普通のプリン
「へくちっ」
くしゃみをしたかの先輩がティッシュで鼻をかむ。
「かの先輩、風邪ですか?」
「いや、……なんだろう、いま一瞬、寒気がした気がして……」
「大丈夫ですか? 熱あるんじゃ……」
「ううん、大丈夫だよ。元気だし、たぶん気のせいだと思う」
昼休み。昼ごはんを買いに購買部に来ると、偶然かの先輩と会った。かの先輩も今日はお弁当を持ってきていない日だったとのこと。思いがけない幸運だ。
「そういえば先輩。この間のテスト、どうでした?」
「あ、うん。全科目ちゃんと平均点前後だったよ。千智ちゃんと一緒に勉強したおかげかな」
「そうですか。それはよかったです」
ああ、先輩。平均点でなぜそんなに嬉しそうに……。かの先輩、今日も素敵です……素敵に変です……♡
「あれ、澪ちゃん」
と、誰かを発見した様子のかの先輩がその人に声をかける。呼ばれた女の人は振り向くと、「よ」とかの先輩に向かって手を挙げる。
「どうしたの? 澪ちゃんは今日お弁当あるんでしょ? 教室で待ってるって言ってたのに……」
「そのつもりだったんだけど、そういえば今日からアレが発売されるんだって思い出して、買いに来た」
「アレ?」
「そ。季節限定、濃厚マンゴープリン」
「ああ。そういえば去年もあったね。そっか、もうそんな時期か……」
「あの、かの先輩、こちらは……」
「あ。千智ちゃん、紹介するね。この人がよく話してる、友だちの佐倉澪ちゃんだよ」
佐倉澪、さん……はっ、じゃあこの人が、例の地蔵の……?
「こんにちは。さてはあれだね、あなたが最近かのがよく一緒に勉強してるっていう女の子だね」
「は、はい! 一年C組の森木千智です! よろしくお願いします!」
「うん、よろしく」
と、佐倉先輩はニコッと微笑む。綺麗な人。なんていうか、明朗な美人って感じ。本当にこの人が、地蔵を……?
――はっ。
「か、かの先輩も、もちろん可愛いですよ?」
「? ありがとう。急にどうしたの?」
「さて。じゃあわたしは、例のブツを入手してこようかな。数量限定だから、急がないとなくなっちゃうかもしれないからさ」
「マンゴープリン、か」
かの先輩が呟く。
「千智ちゃん、わたしたちも買いに行く?」
「はい、お伴します!」
先輩たちと三人、マンゴープリンが売っているというスペースに移動する。プリンはケースの中にぽつんと一つだけ置かれていた。
「残り一個かぁ」
かの先輩が少し残念そうに言う。
「人気なんですね」
「……まあ、仕方ないね。もともと買いにきたのは澪ちゃんだし、わたしたちは諦めようか」
「そうですね」
「――いや」
と、残る一個のプリンを手にした佐倉先輩が言う。
「きみたち、いまからひとつ勝負をしよう」
「勝負?」と、かの先輩が首を傾げる。
「そう。わたしたち三人でこのプリンを懸けた勝負をする。こいつはその勝負に勝った者が手にするプリン、勝者のプリンとなるんだ」
「はあ……」
「ところで、かの」
「なに?」
「財布を持ってくるのを忘れたので、ひとまずこのプリンはかのがお会計してください」
「……」
やれやれ、というふうに首を振り、かの先輩が佐倉先輩からプリンを受け取る。
「わぁっ‼」
「わっ、びっくりした。急になに、澪ちゃん?」
「いや、誰もいない体育館ってさ、とりあえず叫んでおきたくなるじゃん?」
アハハ、と佐倉先輩は笑う。購買部を出たわたしたちは佐倉先輩を先頭に体育館に移動した。昼休みの体育館に生徒の姿はない。ちょっと待ってて、と佐倉先輩は走って倉庫のほうに向かった。
「……ごめんね、千智ちゃん。なんか変なことに付き合わせて」
「い、いえ全然。……でも、勝負って何するんですかね?」
さあ、とかの先輩が首を傾けたとき、佐倉先輩が倉庫から走って戻ってきた。手にバスケットボールを持っている。
「ではこれより、季節限定濃厚マンゴープリンを懸けた、フリースロー対決を行ないます」
「フリースロー対決?」とかの先輩。
「そう。いまから一人三本ずつシュートをうって、その合計ポイントが最も高かった人の勝ち。晴れてマンゴープリンを手にすることができます」
フリースロー対決? なんで? わざわざプリン一個のために? いろいろわからないことだらけだけど、いまはっきりわかったことが一つある。
佐倉澪先輩――この人、変だ。
「えーとぉ、じゃあ、まず誰からやる?」
「ジャンケンで決める?」
「お、いいね。そうしよう」
だったら初めからそのジャンケンに勝った人にプリンでいいのに。ああ、なんて変な人たち……♡
ジャンケンの結果、かの先輩、わたし、佐倉先輩の順でやることになった。かの先輩がボールを持ち、フリースローサークルの内側に立つ。
「頑張ってください、かの先輩!」
「あはは……ありがとう、まぁ適当に頑張るよ」
「かの」
と佐倉先輩がかの先輩に声をかける。
「なに、澪ちゃん?」
「かのってたしか、体育の成績十段階で五だったよね」
「うん。体育に限らず他の教科も、成績は基本いつも真ん中くらい。全部、普通だよ」
なぜか誇らしげにかの先輩は答える。
「ってことは、体育は特別得意でも苦手でもない、ってことだよね」
「うん」
「ってことはフリースローも、普通にやったら三本中一本は必ず入れられるってことだよね?」
「……うん?」
「だって、かのは体育が得意でも苦手でもないんだよね。なら前に授業でやったバスケについてもそれは当てはまるよね。だったらシュートを全部外すってことはないよね? それだと『苦手』ってことになっちゃうもんね。三本もうてば、一本は入れられるよね? それが『普通』ってことだよね?」
「…………………………、うん」
かの先輩がゴールリングに向き直る。ゴクリ、と唾を飲み込む音が聞こえた気がした。膝を曲げ、床を蹴り、手から離れたボールは、リングにかすりもせず地上に落下する。
「ドンマイ、かの」
「……」
かの先輩が再びリングと向かい合う。その表情に緊張がありありと浮かんでいた。わたしにもわかる。佐倉先輩の言葉によるプレッシャーが、かの先輩から平常心を奪った。いまやかの先輩の中でこのフリースロー対決は、己のアイデンティティを懸けた挑戦へと姿を変えてしまっているのだ。残り二本中一本は入れないとわたしは死ぬ――かの先輩はたぶん、いまそれくらいの気持ちでいるにちがいない。冷静になってください、先輩。あなたはいま仲間たちと昼休みに遊んでいるだけです。
かの先輩が二本目のシュートを放つ。が、無情にもボールはリングの縁に弾かれる。惜しい。
「かの先輩、リラックス」
「……うん、ありがとう」
「三投目」
佐倉先輩の声が冷たく響く。いま気づいた。「三本中最低一本が普通」――この言葉に込められた本当の意味。ただかの先輩にプレッシャーを与えるだけじゃない。仮にかの先輩が一本目や二本目でシュートを決められていた場合、かの先輩はおそらく三本目はわざと外していただろう。「苦手」同様、「得意」をも回避するために。つまりどちらに転んでも佐倉先輩にとっては利となる。なんて恐ろしい作戦。たかがプリン一個のために、なんて変な人。
三人だけの体育館内に静寂が満ちる。ふぅー、とかの先輩が細く息を吐き出した。床を蹴り上げた先輩の体が宙に浮く。放たれたボールは高く弧を描き、次の瞬間、シュパッ、とネットを揺らす音が館内に響いた。
「は……入った……!」
「先輩、おめでとうございます!」
「ありがとう、千智ちゃん! ありがとう!」
かの先輩はわたしの手をとり、弾けんばかりの笑顔でウサギのようにぴょんぴょん跳ねる。ああ、落ち着いてください先輩。三本中一本しかゴールを決められていないあなたは、確率的に考えてたぶん負けです。
「さて。じゃあ次は森木ちゃんの番だね」
「あ、はい」
返事をし、わたしはフリースローサークルに移動する。ボールを手に、ゴールリングを見上げる。
個人的に、プリンはわりとどうでもいい。まあ気楽にやるか、と思ったところで、いや、と思い返す。
これまでの自分の人生を振り返る。友だちと一緒に買い物に行き、買おうと思っていたものが残り一個……そんな、今日みたいなシチュエーションはいままでにもあった。そんなとき、わたしはどうしていただろうか。いいよいいよと遠慮して友だちに譲るか、反対に譲られるか……それを懸けて争おうとか、ましてやフリースロー対決をしようなんて展開には絶対にならなかった。おもしろいこととの出合いを望みつつ、その種を自らの手で握り潰してきたのだ。
わたしたちが何気なく暮らす日常には、かくもおもしろと出合うチャンスが転がっている。それを今日、佐倉先輩に教えてもらった。ならばわたしは、それと真摯に向き合わなければならない。これからうつ三本のシュートは、過去のつまらない自分との決別、新しいわたしの門出。そして勝者のプリンを勝ち取った先にある、輝かしい未来を掴むためのもの――。
わたしはシュートを放つ。一本目、二本目……そしていま、投じた三本目のシュートがリングの中央に吸い込まれていった。
「すごいよ、千智ちゃん! 三本中三本だなんて! バスケ得意なんだね!」
「ありがとうございます、かの先輩。これでわたし、明るい未来に向かえそうです」
「? うん、おめでとう。そんなにプリンが好きだったの?」
「お見事。ナイスシュートだったよ」
佐倉先輩がパチパチと拍手をしながらやってくる。
「そんな余裕ぶってー。澪ちゃん、一本でも外したら負けだよ」
「フフ、心配は要らないよ。勝つのはわたしだから」
「勝つって? 澪ちゃんも三本シュート決めて、同点決勝でもするつもり?」
いいや、と佐倉先輩は首を振る。
「さっき、始まる前にわたしが言ったこと、覚えてる? 『一人三本ずつシュートをうって、その合計ポイントが最も高かった人の勝ち』って言ったよね? 『ゴール数』じゃなく、『ポイント数』。バスケにはルール上、一本のシュートで二点より多く得点できる場合があるよね」
「え、それって、つまり……」
フフ、と不敵に笑うと、佐倉先輩はスタスタと後方に向かって歩き、ゴールから離れた半円状のラインの外側へ行く。
「わたしはここからシュートをうつよ」
「ス、スリーポイント……⁉」
かの先輩が驚きの声を発する。
「さらに」と佐倉先輩は指を一本ぴんと立てる。「わたしはシュートを三本ともここからうち、一本も外さずに三本ともすべてリングに入れる。それができた場合のみ、わたしの勝ち、ってことでいいよ」
「そ、そんなこと、可能なんですか……?」
「森木ちゃん、かの……そもそもわたしがなぜ、勝負の方法にフリースロー対決を指定したと思う?」
「そ、それは……」
かの先輩が、まさか、といった顔で言葉を切る。わたしの頭にも同じ考えが浮かんでいた。まさかこのゲームの勝敗は、初めから――?
「森木ちゃん、ボールをくれるかな」
「は、はい」
わたしが投げたボールを佐倉先輩は片手で受ける。そのままその場で数度ドリブルをした。ダムダムと小気味よく響く音、靴と床が発するキュッキュ音。ボールを手に、佐倉先輩はリングを見据える。すっと背筋の伸びた立ち姿は、さながら一本の竹のようだ。
「いくよ」
そう静かに発し、佐倉先輩は跳んだ。鳥が飛び立つように華麗に、空を舞う綿毛のように柔らかに。ぴんと伸びた腕の先から放たれたボールは美しい放物線を描きながらまっすぐに飛んでいき、
——ゴールリングのはるか手前の地面に力なく落下した。
「……」
「……」
「……」
てぃん、てぃん、とボールが床の上を転がる。すっ、とかの先輩が息を吸う音が聞こえた。
「……いや、外すのかよッッッ‼」
かの先輩の声が体育館内にこだまする。
佐倉先輩はその後の二本も洩れなく外していた。
「いやー、なかなかそううまくはいかないもんだねぇ」
フリースロー対決を終え、わたしたちはそれぞれの教室に向かうために階段を上っている。
「ほんと、なんだったのよ最後のアレ。完全に上手い人のノリだったじゃん」
かの先輩の言葉に、佐倉先輩が笑って答える。
「いやぁ、昨日たまたまNBAの試合の動画を観てさ。シューターってかっこいいなって思ってマネしたくなっちゃったんだよね」
なるほど、だからフリースロー対決だったのか……。
「ま、なんにせよ勝負は森木ちゃんの勝ちだ。優勝賞品の濃厚マンゴープリン、とくとご賞味あれ」
「……澪ちゃん、そのプリン買ったのわたしだって忘れてないよね? あとでちゃんとお金返してよね」
わかってるわかってる、と笑う佐倉先輩の手からプリンを受け取る。
「ところで森木ちゃん、お昼は自分の教室で食べる感じ? よかったら今日、ウチらの教室で一緒に食べない?」
「え、いいんですか? はい、ぜひご一緒したいです!」
「もちろん。じゃ、決まりだね」
やった、思わぬ幸運。輝かしい未来がさっそくやってきた。
「……あ。じゃあこのプリン、先輩たちも一緒に召し上がりませんか?」
「え、いいの?」とかの先輩。
「はい。わたし一人だと少し多いような気もするので」
「ありがとう。じゃあ少しもらうね」
「あー……わたしはいいや」
佐倉先輩が言った。
「え。……あ、もしあれだったら、購買でスプーン貰ってきましょうか?」
「ああいや、それはべつに気にしないんだけどさ。わたし――」
と佐倉先輩は苦笑いで頭を掻く。
「マンゴーって、昔からちょっと苦手なんだよね」
「あぁ、そういうことですか」
「へぇ、そうなんだね」
「うん。実はね」
アハハ、と笑い合いながら階段を上りきる。
「……」
「……」
「……」
「じゃあなんで買いに来たのっ⁉」
かの先輩の声が踊り場に響く。
この日、わたしはもう一人の変な先輩とお友だちになった——♡




