普通のシミュレーション
「なー、黄島ぁー」
「んー?」
「彼女って、どうやったらできんのかなー」
「……なあ、赤沢」
「ん?」
「もしかして僕たち、ループしてる?」
「……」
「……」
「マジかっ! 俺たち、ループしてるのか⁉」
「い、いや、してないよ! そういう皮肉だよ! 『ループしてるのかと思うくらい、その話何回も聞いたよ』っていう」
放課後。クラスメイト全員が消えた教室に残っているのは相変わらず僕と赤沢、そして青木の三人のみ。
「フン、なんだそういうことか。そりゃ何度だってするだろう。俺たち男子にとって、これは至上命題なんだから。お前が何と言おうと、俺は今後も一日十回はこの話をしていく所存だ」
「いや、そんなどうでもいい決意を固められても。……わかったよ。もちろん、僕だって彼女は欲しい。話に付き合おう」
「おお、それでこそだ黄島。では、この中学の英語の教科書を使って、女キャラのセリフを卑猥な英文に書き換える遊びをしていこうじゃないか」
「またそんな低俗な……っていうか、なんでわざわざ中学の教科書なんて持ってきてるんだよ。違うだろ赤沢。やるんだったら前回もやった、アレだよ」
「おお、シミュレーションか」
赤沢が納得したように頷く。
「そう。クラスの女子と付き合うにはどうしたらいいか。この前は僕がやったから、今度は赤沢がやってみせてくれよ」
「ああ、いいぜ」
と赤沢は席を立ち、掃除用具入れに向かう。
「では、今回もこの池田モップを使う」
「……なんか、そういうメーカーの名前みたいだな」
「前回、お前のシミュレーションを見ていて思ったことがある。黄島、お前のシミュレーションにはリアリティが足りない」
「リアリティ?」
「そうだ。お前、前回たしかいきなり池田に告白をかましていただろう。『池田! 好きだぁぁぁ!』とか言って。付き合うまでをシミュレーションするなら、本来その前の過程をもっとしっかり詰めるべきなんじゃないのか?」
……たしかに。赤沢のくせに、妙に納得感のある正論を説いてくる。赤沢のくせに。
「その点を踏まえ、俺がより完成度の高いシミュレーションというものを見せてやろう。いいか、よく見ておけ」
そう言うと赤沢は仮想池田ことモップを手に教室の後方に向かう。
「まず、ここは廊下だ。池田がこっち側から歩いてくる」
「うん」と僕は首を振る。
「俺は逆に、その反対側から池田のほうに向かって歩いている。通りすがりに、俺は池田の耳元に向かってこう声をかけるわけだ」
「耳元に?」
赤沢は池田モップに顔を近づける。
「池田……お前の恥ずかしい写真は俺のスマホに収まってる。ばら撒かれたくなければ……わかるよなぁ? クク……放課後、体育倉庫で待ってるぜ」
「い、いやいやいやいやっ‼ なにやってんだよお前は‼ なんですれ違いざまに、いきなり池田さんを脅迫してるんだよっ‼」
「なんで、ってお前。考えてもみろ。俺たちと池田に日ごろの接点はない。いわば関係値ゼロだ。そんな相手と付き合おうと思ったら、もう脅迫以外に手は残されていないじゃないか」
「い、いや、さすがにもっとあるだろ! っていうか、関係値ゼロなのになんで恥ずかしい写真とか持ってるんだよ! そっちのほうが怖いよ! なんか、付き合う以上のこと要求しそうだし……もっと平和的なやり方で頼むよ」
「わかったよ。じゃあ……よっ」
と赤沢は、おもむろにモップに手足を絡ませる。
「……それは?」
「え、触手だけど」
「アブノーマルッ‼ アブノーマルが過ぎるよ、赤沢‼ 相手に触手絡ませての告白ってなんだよ‼ ――いや、っていうか触手って、リアリティどこいったんだよ⁉」
「まったく、さっきから騒がしいですね」
という声とともに、ガタッと椅子を引く音が聞こえた。見るとさきほどから勉強をしていた青木が立ち上がってこちらを見ていた。
「青木……お前、いたのか」
「『いたのか』じゃありませんよ、赤沢。あなたが一緒にテスト勉強をしようと言うから残っていたんじゃないですか。それを早々に飽きて、くだらない話ばかりして。黄島、きみもちゃんと注意してくださいよ」
「あはは……ごめんごめん」
「おい、青木。くだらない話とは聞き捨てならないな。俺たちはいまこの世の全男子に課せられたテーマについて崇高なる議論を交わしているんだ。言葉には気を付けろ」
「いや、僕としてもいまのはただのお前の性癖発表会にしか思えなかったけど……」
「おい青木、お前もやってみろ」
と、赤沢が池田モップを青木にずいと差し出す。
「は? ……いや、私はいいですよ」
「いいとかじゃない。いま言っただろう、これはこの世の全男子に課せられたテーマ。お前も男として生まれた以上、この命題に向き合う義務がある。さあ、池田を受け取れ」
こうなると赤沢はなかなか聞かない。それをこれまでの付き合いで青木もわかっているのだろう、やれやれといった調子で赤沢からモップを受け取った。
「――で? なんでしたっけ、付き合うまでのシミュレーションをやればいいんですか?」
「そうだ。お前だったら、どうやって池田を自分の彼女にするんだ?」
「そうですね……」
と青木は考えるように顔を上に向ける。
「じゃあ、ここを図書室ということにしましょう。放課後、池田さんはテスト勉強をしに図書室に来ているんです」
「図書室? 池田さんって、そんな勉強できる感じのキャラだっけ? わざわざ図書室でテスト勉強なんかしないんじゃない?」
「いいえ、黄島。普段勉強をする習慣のない生徒こそ、テスト前だけは図書室に勉強に来たりするものなのですよ。なによりこれは図書委員として司書の仕事をするかたわら、実際に目にした事実に基づくデータ。池田さんは、テスト前だけは図書室に勉強をしに来ます」
そういえば、青木って図書委員だったっけ。
「ふぅん。それで、どうするの?」
「池田さんが古文の勉強をしているタイミングを見計らって、声をかけます」
「古文? ……なんで?」
「池田さんは古文が苦手だからです。これもまた、実際に観察した出来事に基づくデータです」
「観察……司書の仕事って、気になる女子を図書室内でストーキングすることなの?」
「し、失礼な……! 違います、この間、たまたま目にしたんですよ」
「ははぁん。わかったぞ、青木。図書室で池田に声をかけ、そのまま声の出せない状況で……ということだな?」
「赤沢はちょっと黙ってようね」
「苦手科目ならきっと答えの間違っている箇所があるでしょう。それを訂正してやる形で声をかけるわけです」
「……まぁ、青木ならできるか。勉強だけはできるもんね」
「ああ。青木は勉強に関してだけは信頼できるからな」
「……言い方は気になりますが、まあいいでしょう」
「……でもさ、いきなり声をかけたらちょっと不自然じゃない? 青木も、べつに池田さんと普段から仲良いわけじゃないでしょ?」
「それどころか、話したことすらありませんね。……ふむ、ではこうしましょう。チョコレートを持って声をかけるのです」
「チョコレート?」
「ええ。『ここのところ、毎日勉強ご苦労様。よかったらこれでもどうぞ』と言って。その際に手もとの問題集にちらと目をやり、『おや? 池田さん、ここ間違ってますよ』と回答の訂正に入るのです」
「おお、なんかスマートな感じするよ」
「フフ、そうでしょう。統計では、全国の女性のおよそ八割が甘いものに目がないと出ていますからね。池田さんの私に対する警戒もそれで間違いなく解けるでしょう。そうして池田さんの回答を訂正する流れで、私は彼女の隣に……」
と青木は手近な椅子を引き寄せ、机に立てかけた池田モップの隣に――
「す、座った……!」
赤沢と声が重なった。
「み、見ろ黄島、関係値だ。関係値が生まれた」
赤沢が震えた声で言う。たしかに、一度勉強を教えてもらったことで、以降池田さんは青木にわからないところを質問しやすくなったと言えるだろう。女子と話すための会話の糸口を、ごく自然な形で青木は手に入れたのだ。
「フ……おわかりいただけたでしょう。つまり、女子にモテるためには勉強ができるようになればいいのです!」
……驚いた。こんな近くに答えが転がっていたなんて。一見関係ない二つの事柄が、思わぬところで一本の線で結ばれた。これがバタフライ・エフェクトか……。
「で、でも……でも……」
赤沢が震える指を青木に向ける。
「お前、勉強できるのに、モテてないじゃん……」
「……」
「……」
「……」
「……まあ、それはそれとして」
流した――――!
「問題は、ここからどう交際までもっていくか、ですが……」
「そ、そうだね。勉強を教える関係にはなったけど、それだけだもんね。何かきっかけがないと……」
「ふむ……」
と青木はまた目を天にやる。
「では、雨が降り出すというのはどうでしょう?」
「雨?」
「ええ。ある日いつものように図書室で池田さんに勉強を教えていると、突然雨が降り出すのです」
「……こいつ、ついに自然現象までシミュレーションに入れ出したぞ」
「い、いいでしょうべつに、雨くらい。きみの触手より遥かにマシです! ……コホン。それでですね、その日私たちは不運にも傘を持っていなかったのです。ですから雨がやむまで勉強をしながら待とうという話になります。時間が経ち、一人、また一人と図書室から去っていく生徒たち……ついに室内には私と池田さん、二人きりになります」
「お、おぉ……」
「なんか、いい雰囲気だね……」
「静寂に包まれた図書室……聞こえるのは降りつづく雨の音だけ……。私たちはたがいに奇妙な緊張感を覚えながらも勉強を続けます。教える際、ふいに手指が触れ合ってしまうようなこともあるでしょう……」
み、見える……見えるぞ……降りそぼる雨の音を背景に勉強を続ける二人の姿が……。
勉強中、ふいに二人の手と手が触れ合う。
『あ、す、すみません、池田さん……』
『う、ううん、わたしこそ……』
「そんなさ中、ふいに外で大きな雷が鳴るのです」
バリバリ……ピシャーーーン――‼
『きゃあっ‼』
『だ、大丈夫ですか、池田さん?』
『う、うん――あっ! ご、ごめんね、わたし、急に抱きついちゃって……』
『……い、いえ。その……池田さん、なら……』
『え……?』
「お、おお、おおおお……‼」
「すごい、見える、見えるよ青木‼ そこから……そこから、どうなるんだ⁉」
「え……ここから……?」
「そうだ、青木‼ ここまでやったなら、最後まで見せてくれ‼」
「僕たちを夢の先に連れていってくれ‼」
ゴクッ、と青木の喉が鳴った。
「い、いいでしょう……」
青木は立ち上がる。カラカラン、とモップが床に倒れる音が響いた。
「わ……私は池田さんを床に押し倒し、そ、その上に馬乗りになります。そ、そして、そして――」
そのとき、ガラガラ、とドアの開く音が聞こえた。影山先生だ。
「……お前たち、なにしてるんだ?」
「……」
「……」
「……」
「……掃除、です」




