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社宅で借り上げているマンションは広い。
私と賢也が一緒に暮らしていることを社員は知らない。
賢也は朝早い飛行機だからと、昨夜のうちにスーツケースを持って出た。
身支度を整えながら、私が毎朝思うこと……
『次は男に生まれて来たい』
お化粧は面倒臭い、靴も洋服も動きにくい、常に笑っていなくちゃというプレッシャーがうざい、女性だから優しくて当然みたいなのが大嫌い……挙げたら切りがない。
それでも、こんなこと『これっぽっちも思っていませんよ』みたいな顔をして、私は出社する。
社会の常識。人として最低限のマナー。
「東さん、おはようございます!」
柴崎くんに癒される。
「おはよう。今日も元気だね」
「いえ!全然です!困っています」
「ん?どうしたの?」
「黒瀬さんに見捨てられて、途方に暮れてます!」
一見、元気そうに見えるけど、よく見るとテンパってる?顔色が悪い。
「私で助けになる?」
「お願いします!もう東さんしか頼れる人がいません!」
「ふふふ。面白いテンションだね。話してごらん」
柴崎くんは強張った顔で、先日伺った営業先で、一旦断られた話が再燃し出したと言った。
「チャンスじゃない?行って来ればいいじゃん」
「いえ!『オイル・リザーブ・ファンド 10』なら自分行けますけど、『エネルギア・グローバル・ジョイントプラン1000』は行ける気がしません!」
要は十万円の商品なら営業できるけど、一千万の商品は売る自信がないと……
「なるほど、で?黒瀬はなんて?」
「もう既読がつきません!」
「ははは。うける」
「笑い事じゃありません!」
「だね。ごめん。じゃあ、私が一緒に行ってあげるよ」
「……?……いいんですか?」
「いいんなら、行かないけど?」
柴崎くんは急に私の両手を掴んで、ぶんぶんと上下に振った。
「ありがとうございます!感謝します!よろしくお願いします!」
なんなの?滅茶苦茶可愛いじゃん。
私も何度か伺ったことがある、郊外の高級住宅街。
ピンポーン
リサーチ済みのお好きな羊羹を持って、お邪魔した。
「今日は、黒瀬君じゃないの?」
あまり歓迎されていないのを肌で感じる。
「はい。生憎、黒瀬が出張中なもので、代わりに伺わせていただきました。こちら、つまらないものですが」
緊張感が漂うやり取りに、柴崎くんが固まっている。
トンっと腕を叩いてこっちを向かせ、ニコッと笑って見せる。
「リラックス」
小声で言って、お部屋に上がらせていただいた。
「先日ね、黒瀬君から『あと一枠だけ』って言われてたアレだけどね、あの時は断わったんだけど、やっぱり気が変わってね。今からでも契約させてもらおうかと思ってね」
長い髭をいじりながら、鴻池様が少し気まずそうにもそもそとおっしゃった。
「大変申し訳ございませんが、あちらは定員を満たしてしまいましたので、今は新たな契約を募集しておりません」
予定通りの文言を伝える。
「んー、だから君じゃ嫌だったんだよね。黒瀬君ならそこを何とかしてくれるからね」
不快感を隠さない口調で、鴻池様が語気を荒げた。
隣でカチャカチャと高速でパソコンをいじる柴崎くん。
「お力になれず申し訳ございません。鴻池様、今回は別のプランをご提案させて頂けたらと……」
適当に見繕ってきたカタログをテーブルに並べる。
鴻池様は一瞥し、「ふん。もう全部持っておるわ」と吐き捨てた。
(そろそろよ)
柴崎くんに合図を送る。
「あ、あの、鴻池様。たった今、黒瀬と確認が取れまして、鴻池様にだけ特別に一枠ご用意できる事になりました!」
上出来。
鴻池様の目が輝く。
「本当かね。確か……柴崎君と言ったかな?」
「はい」
「黒瀬君と連絡を取ってくれたのかね?」
「はい。韓国なので、会話は出来ませんが、今、チャットで確認しました」
もちろん、嘘だ。
柴崎くんはAIに『この辺のお勧めランチのお店』を聞いていただけだ。
「副社長という肩書だけで、東さんは営業センスはいまいちのようだね。優秀な部下を持って君は幸せだな?」
「はい。恐れ入ります」
しょんぼりと下を向いていればいい。
こうして役割分担をし、その場の成約率が最も高そうな芝居を打つのは違法じゃない。
チームで受注を勝ち取れば、汚れ役もまた必要不可欠な存在なのだ。
男女差別の思考が強いお客様はいらっしゃるし、逆に女性であるが故に交渉が有利に働く場面もある。
来世の希望は置いておいて、今は女性であることを精一杯武器にする。
「それでは鴻池様、こちらにご署名とご捺印を」
柴崎くんが『エネルギア・グローバル・ジョイントプラン1000』の書類を締結させていく。
きっと普段は賢也が契約係で、柴崎くんが損な役回りだろう。
今日はいい役が回ってきてよかったね。
顔がにやけないように必死に悲しい事を考えながら、じっとしていた。
「鴻池様って、あんな人だったんですね」
「こら。個人名を出すのは禁止。誰が聞いてるか分からないんだぞ」
「あ。すみません。気を付けます」
AIが教えてくれた、人気の焼肉ランチを食べながら、柴崎くんと反省会。
「でも、東さん、嫌じゃなかったんですか?」
「私は契約が取れれば何でもいいよ」
「凄いですね。自分、今の会社に入れて本当に良かったです。東さんも黒瀬さんも本当に凄くて、仕事はやり易いし、勉強になります」
「なら、よかった。柴崎くんは確か黒瀬と同級生だよね?」
「はい。中学の時はそんなに話したことなかったけど、地元が一緒です」
「じゃ、私たち同い年だ」
「え!東さんも25歳ですか?」
「驚き過ぎじゃない?私ってそんな老けてる?」
ちゃんとした格好を意識すると、どうしたって年上に見えてしまう。
「老けてるとかじゃないです。ただ、この歳で会社立ち上げて社員雇ってって、凄いことじゃないですか?尊敬します」
「ありがとう」
我が社は新卒は採らない。
既に新人教育済みの即戦力を中途採用で引き抜く。
その大半がブラック企業で限界まで揉まれ、潰れる寸前の人材。
柴崎くんもその一人だ。




