第23話 まど香・10
カタールという国は、広くて、何もないようで……だけど、人々の熱は確実に高く、私も少なからぬ影響を受けて帰国した。
ところが日本に着くなり、濁った雲が寒空に浮かび、ごちゃごちゃとした企業のロゴや看板が次々に目に飛び込んでくる。
「なんか、もう疲れちゃった」
空港からリムジンバスに乗った途端、愚痴のように零れてしまった言葉に賢也が笑った。
「はは。分かる」
声を出して笑うなんて珍しい。
滞在中、アフマドの会社や船の管理センターなど様々なところに連れて行ってもらい、これまでの課題とこれからの展望について『これでもか』と言うくらい説明を受けた。
アフマドがあまりにも目を輝かせ、期待に満ちた口調で語るから、彼の言うことが実現可能なんじゃないかと思えてくる程だった。
「ねえ、倒産手続きどうする?」
つい先日までは、私たちが立ち上げた投資詐欺の会社を解散させて、逃がしていた資金を日本、中国、韓国で分け合う話になっていた。
もちろん従業員たちには一銭も入らない。
だって誰も自分を『詐欺師』だなんて思って働いていないから。
あくまで『業績不振で倒産した会社の社員』という体でないと、彼たちもまた捕まってしまう。
アフマドに当てられたんだと思う……このまま、カタールのビジネスが上手くいけば……なんて夢みたいなことを私も思うようになっていた。
「王と金はこのこと知ってるの?」
カタールでずっと聞きたかったことをようやく聞けた。
賢也の話によると、日本と同じスキームで、中国と韓国でも会社を立ち上げているとの事だった。
中国の王、韓国の金。
以前、日本でお会いしたことがある。
二人とも賢也と同じように、何を考えているのかいまいち掴みどころのない人達だったと記憶している。
なのに、共同でプールしていた資金を、賢也はカタールの会社に投資してしまった。
リターンのない投資と分かっているのだから、くれてやったも同然だ……
『どうして相談してくれなかったの?』と喉元まで出かかって飲み込む。
今、ここで賢也を責めても何の解決にもならない。
賢也はそっぽを向いたまま「いや」と、ポツリと呟いた。
そうだろうとは思っていたけど、このやばい状況をどう乗り切る気なのか……
日々、メールでやり取りする文面は丁寧で几帳面な印象を受けるし、正直、自分たちも含めて、『詐欺なんて大それたことをしそうにない』人達だ。
「話せば分かってくれるんじゃない?あの二人に本当の投資会社になろうって言えば、賛同してくれるかもよ?」
そんなに簡単じゃないことは分かっていたけど、沈む気持ちを何とか盛り立てようと必死だった。
「ああ」
賢也が心にもない返事をしたのが分かり、軽い衝撃を受ける。
カタールで私は、賢也と心の深い部分で通じ合えた気がしていた。
普段見せてくれない本音や弱音を垣間見て、私はビジネスパートナーとして賢也を支えて行こうと張り切っていた。
だけど、日本の雑多な空気は賢也の心を再び曇らせ、私の手の届かないところへ追いやってしまったみたいだ。
帰国してからの土日は賢也と別々に過ごした。
彼は『人と会う』と言い、私も久々に実家に帰った。
「まど香、仕事はどうなんだ?」
割と有名な経済評論家で、テレビなんかにもよく出てるパパは、家ではママの尻に敷かれている普通のオジサンだ。
「可もなく不可もなくってところ……かな」
パパが畳んでいる洗濯物を、隣に座って手伝う。
「それが一番かもな。業績に波があるような会社には安全な航海は出来ないだろうからな」
それっぽい事を言われるけど、いつもよく分からず「うん」と頷いてしまう。
「この前、お前のところで出した『エネルギア・グローバル・ジョイントプラン1000』があるだろ?あれに私も一口乗らせてもらおうと思うんだ」
まずい……一千万円の大口契約だ。
「ごめん、あれはもう定員超えたから」
胃が締め付けられて、息を飲んだ。
「なんでそんな意地悪な嘘を言うんだ?」
いやだ、落ち着け。
変に焦ってぼろを出したら一巻の終わりなんだから。
手のひらがじっとり汗ばんでくる。
「……嘘じゃないよ」
「先週、おたくの会社に電話をしたら、柴崎くんって若い営業の子が真摯に対応してくれたんだ。なかなかいい社員教育をしているじゃないか」
上気した満面の笑みのパパに嫌な汗が流れる。
「まさか、契約したの?」
何てことなの!一番騙されちゃいけないはずの立場の人なのに!
「もちろん、そのまさかだよ。礼には及ばないよ。いい儲け話に投資しただけの事だ」
そんな……聞いてない……受注したら日報のシステムを通して報告があるはずなのに。
出張中も一日たりとも見落としてないはずだ。
手元の洗濯物がぐにゃぐにゃと歪んで見える。
「パパ、それが終わったら、お庭の草むしりお願いね」
オンラインでヨガ教室を受講しているママから大きな声が飛んできた。
「はい、はーい」
パパが畳んだ洗濯物を持って立ち上がった。
「私さ……急用思い出したから行くね」
「え?もう帰るのか?ママとご馳走を用意して待っていたんだぞ」
「ごめんなさい。でも、またね」
ママは背中を向けたまま、私に手を振っていた。
何をどうすればいいのか、自分がどうしたいのか、考えもまとまらないままに足が会社に向いていた。
パパの契約を柴崎くんが……パパの嬉しそうな顔を思い出すと、胃がまたぎゅっと縮んだ。
他人なら騙してもよくて、身内は駄目だと思っているわけではない。
私にだってそれくらいの分別はある。
『悪いことは悪い』くらい分かってる。
だけど……会社が倒産したとなれば、パパの経済評論家としての評価が地に落ちてしまう。
パパにはこれまで『オイル・リザーブ・ファンド 10』という十万円単位の少額投資しか勧めてこなかった。
これくらいの損失なら、『娘に頼まれて仕方なく』という言い訳だって出来たのに。
もう……馬鹿!
心の中でパパに悪態を付きながら、見慣れた通りに辿り着いた。
大きな溜め息が出て、それが大きな白い湯気となって空に放たれる。
12月初旬の街灯はクリスマスイルミネーションが施されていた。
地に足が着いた感覚がないままに、ぼんやりと上を見上げる。
日曜の夕方なのに会社の窓に明かりが灯っていた。
「いったい……こんな時間に誰……?」




