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両親と黒瀬さんはダイニングテーブルで契約書を取り交わしている。
私はカウチで柴崎さんと冷めたロイヤルミルクティーを飲んでいた。
「失礼ですが、友香里さんはおいくつなんですか?」
「23歳です。この春に就職したばかりで、社会人一年生です」
「僕は25歳です。この春、黒瀬さんに誘われて転職したばかりです」
品があるし、雰囲気が柔らかくて話しやすい。
中高一貫の女子校から女子大に通っていた私にとって、男性と話す機会は極端に少ない。
「どうして転職を?」
「いわゆるブラック企業ってやつでした。睡眠時間は毎日3、4時間で、土日も無く仕事仕事で潰れそうになっていました。黒瀬さんは、実は地元が一緒で、中学の同級生なんです。当時はそんなに仲が良いというわけではなかったんですけど、誘ってもらって本当に感謝しています。今の会社は働き甲斐があって、ホワイト企業って言うのかな?本当に働きやすい会社なんです。友香里さんはいい会社に勤めてますか?」
好感が持てる話し方と、人懐っこい笑顔に、つい気を許してしまう。
「はい。伯父の経営している建設会社の総務課で事務をしています。定時で上がれますし、難しいことは無いです」
「そうなんですね。ちなみに資産形成はされていますか?」
「はい、まあ。少ないですけど、一応お給料から貯金をしています」
「投資運用は?今は非課税制度がありますし、それも少額からでもできるものがたくさんありますよ」
「いいえ。父にも同じことを言われたんですけど、なんとなく怖くて……」
柴崎さんが手をグーにして口元に当てて笑っている。
「すみません。なんだか、ちょっと前までの自分を見ているようで。実は私も前職はIT業界で、投資のことなんてさっぱりだったんです。たかが半年で何を偉そうにって……自分の事を笑ったんです。友香里さんの事を笑ったわけではないので、誤解しないでくださいね」
「はい……」
分かってはいるけど、自然と顔が赤くなってしまう。
「もし良ければですけど……今度、一緒に勉強会をしませんか?仕事じゃないので、商品を買って欲しいとか言いません。ただ、一般的な知識を吸収できる場があればなと、どうでしょうか?」
「どうって言われましても……」
「県立の図書館がいい感じなんです。あまりおしゃべりは出来ませんけど、そこで本を読んで、その後、食事でもしながらお互いに学んだことを報告し合うというのはどうですか?楽しそうじゃないですか?」
「それなら……はい」
「じゃ、これを」
柴崎さんは名刺をもう一枚くださった。
手書きで携帯番号と、メッセージアプリのIDが書かれていた。
「ご連絡をお待ちしております」
そう言った柴崎さんの背後から、黒瀬さんがこちらを見ていた。
あの吸い込まれそうな漆黒の瞳は……まるでいけないことをしているかのように落ち着かなかった。
「お待たせしたな」
父が満面の笑みで声を掛けてくれた。
「さあ、少し早いが食事に行こう。いつもの寿司屋に予約を入れてるんだ。いつも儲け話を持って来てくれる黒瀬さんにはいくら感謝しても足りないくらいだからな。柴崎さんもこれから優良な投資話を持って来てくれるだろうから、今からお近づきになっておくのも悪くないだろう」
十月とは言え、まだまだ暑い日が続くけど、夜冷えることを考えて羽織るものを持った。
父と並んで歩く黒瀬さんの背中を見ながら、母と柴崎さんと後ろを歩く。
時々、父の話に軽く頷き、あまり笑わず、多くをしゃべらない。
どうして黒瀬さんから目が離せないのか分からないけれど、隙あらば、私の視線は彼を捉えていた。
月に一度は必ず来る、父のお気に入りのお寿司屋さんに徒歩で到着。
大将には子どもの頃から可愛がってもらっている。
「いらっしゃい!今日は……あれ?友香里さんのお婿さん候補かな?」
「大将、冗談はやめてくださいよ。友香里はまだ嫁にやるつもりはありませんよ」
父がムキになって言い返すので、母と笑いあった。
小上がりのお座敷に通された。
メニューは握り十貫と大将のお勧めを見繕ってもらう、いつもの形式。
「どうぞ、足を崩して。もう仕事の時間は終わりだから、若い君たちの最近興味のある話をしてくれよ」
ビール一口で早速顔が真っ赤になってしまった父に、母が苦笑いを浮かべる。
「黒瀬はトライアスロンが趣味なんですよ。こう見えて、けっこう鍛えてますよ」
「おい、柴崎……」
「いいじゃないですか。自分にはそんな人様に話せるようなかっこいい趣味は無いですから、ちょっと自慢させてくださいよ」
「柴崎君は明るい性格なんだな。黒瀬さんとはまた少しタイプの違う営業マンってところか。で……友香里はどっちがタイプなんだ?」
「ちょっと、やめてよお父さん……」
「そうですよ。みっともない。お二人に失礼ですわ。ごめんなさいね」
てっきり呆れてるか、困ってるだろうな、と思っていた黒瀬さんはにっこりと微笑んでいた。
「差し支えなければ伺いたいです」
「え?」
ゆったりとテーブルに手を乗せ、指先を絡ませている。
長い指と手の形が異様に綺麗で、息を飲んだ。
「友香里さんの好みは、どちらかと言うと?」
そう促されて、目が泳いでしまった。
慌ててウーロン茶を掴んだら、手が滑ってひっくり返してしまった。
「大将、すみません!おしぼりください」
咄嗟に柴崎さんが動いてくれて、誰の衣服にも被害は及ばずに済んだ。
ほっとする。
だけど、本当の意味でほっとしているのは、会話が途切れたから。
自然と話題が切り替わり、気付けば男性陣は経済や市場について熱く語り合っていた。
もし、あのまま会話が続いていたら……私は……どう答えていたのだろうか。




