第19話 まど香・9
「驚いた。こんなに近代的なの?」
巨大で落ち着いた空間は、もはや近未来に足を踏み入れたような錯覚に陥る。
「KENYA!」
頭にチェックのターバンを巻いた、褐色の肌の男性が手を振ってくれている。
「アフマドだ」
何度も書類で見ていたから名前は知っている。
「やあ、初めまして。MADOKA」
たどたどしいが日本語で挨拶をしてくれた。
「初めまして。アフマドさん。滞在中は何かとお世話になります」
アフマドの車で空港を出て、郊外に向かう。
少しずつ砂地が増えてきて、建物が低く、空が広く大きく感じられる。
どこまでも地平線が見える荒涼とした砂漠を走っていると、自分がどんなにちっぽけか思い知らされる。
黙って窓の外を見ている賢也を、後ろからそっと覗き見る。
今、一体、何を思っているのだろう。
「これからホテルに案内します。一緒にディナーを食べましょう。会社には明日、連れて行きますから」
アフマドは屈託のない笑顔でそう言い、私たちを海沿いのリゾートホテルへ連れてきてくれた。
赤い壁とレンガ敷きの細い小路、迷路のように入り組んでいて、異国情緒が溢れる空間だった。
「MADOKA、荷物を置いたらレストランへ。夕焼けが綺麗ですよ」
甘い香木の匂いが漂う部屋に荷物を置き、洗面台で顔を洗う。
よくよく考えてみると、私はアフマドの事などよく知らない。
名前は聞いたことがあったけど、あの人が本当にアフマド本人なのか、そもそも本当にそんな人物がいるのか……賢也が何も話してくれないから、私は何もかもが信じられずに疲れ果てている。
口紅を引き直し、髪をアップに結い上げる。
騙されないようにと気を引き締めてから、同じ穴の狢だったと自嘲した。
「お待たせしました」
ビーチが見えるテラス席で、賢也とアフマドが紅茶を飲んでいた。
「ワオ、MADOKA素敵だね」
「ありがとう」
アフマドのお世辞はもちろんだけど、賢也が柔和な笑顔を浮かべていて嬉しくなった。
「言い忘れるといけないから、先にお礼を言わせてください。KENYA、MADOKA、新たな資金を援助してくれてありがとう。私たちはもっと頑張って、もっと利益を返していきますと、日本の皆さんに伝えてください」
投資詐欺のお芝居は身内でもやるの?
面食らって賢也を見たけど、目を合わせてくれず、アフマドにアドリブでお返事をしてみる。
「日本の皆さんは期待を込めて応援しています。よろしくお願いしますね」
アフマドは目を潤ませながら、何度も頷いていた。
日がどっぷりと暮れ、アフマドはレストランの会計を済ませて帰って行った。
肌寒くなってきたので、ホテルのラウンジに賢也と場所を移す。
「私……混乱してるんだけど……」
アフマドの涙はお芝居ではなさそうだった。
彼はこれから始める事業投資を息つぎもせずしゃべり続け、その興奮のあまり、賢也に抱き付いていた。
眉をひそめ、身をのけ反らせていたが、賢也は決して嫌がっている様子ではなかった。
まるで……私たちは本当に投資をしているかのように……
「アフマドは仲間じゃない」
賢也の放った言葉が、耳にこだました。
「どういうこと?」
「アフマドは俺たちのやっていることを知らない」
「意味が分からないんだけど?」
宗教上の理由でお酒が飲めない場所が多いと聞いていたが、このラウンジでは頼むことが出来たので、赤ワインとチーズをお願いした。
「10年くらい前、俺は高校を中退して、世界中を旅行して歩いた。当時、同級生はサルよりも頭が悪く見えたし、そんな奴らと何年も過ごすなんて時間の無駄としか思えなかったんだ」
賢也が過去を語るのはこれが初めてだった。
「世界中には恐ろしく頭の良い奴がたくさんいて、ここカタールで王と金に会った」
よく知っている。王は中国で、金は韓国で、私たちと同じ会社を立ち上げている。
「俺たちは気が合って、世の中の不思議について何日も語り合った。金は持っているのに馬鹿な無能がいる一方で、真面目に働き能力もあるのに資金不足に陥っているアフマドのような男もいる。両者を繋げることで、金を稼げるんじゃないかと、今のビジネススキームを編み出したんだ」
口を付けられないままワイングラスを握りしめていた。
善意の顧客と善意のアフマドの事業を繋いで、中間で資金を抜き取るスキーム……改めて自分のしている悪事に震えた。
「プールしていた資金は、アフマドの会社に送ったんだ」
「どうして?予定になかったんでしょ?そんなことして大丈夫なの?」
「いや。王と金は激怒するだろうな。でも、アフマドの会社は本当にやばくて、今、資金調達できれば何とかなる……瀬戸際だったんだ。それに……」
言い淀んだ賢也の気持ちが痛いほど分かる。
「辛かったよね」
私の言葉に賢也はビクッと身体を震わせた。
「分かるよ。私も同じ。罪悪感で押しつぶされそうだったもん。特に、柴崎くんみたいな社員や友香里さんのようなお客さんと関わってからは、気が変になりそうだったよ」
ワインのどす黒い赤が、私たちの罪の重さを象徴していた。
顧客に分配していた配当は利益からもたらされたものじゃない。あれらは、投資額の元本を切り崩して返却していたにすぎない。アフマドの事業が持ち直したとしても、利益を生み出せる程の収益は見込めないだろう。
「倒産は免れないね。あとは、負債がいくらになるかの問題だ。これからは訴訟に明け暮れる人生を送るしかないのかな……」
絶望的な話をしているのに、どういうわけか心は軽かった。
「お前は知らなかった事にしていい」
「なに言ってるの?私は共犯だよ」
拳を強く握っている賢也に手を重ねる。
「私のことを見捨てないで。私も賢也を見捨てたりしないから」
静まり返る暗いカタールの海に私たちの未来を重ねる。
何も見えない……不安な航海……だけど、自分でしでかしたことなのだから……




