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帰社したら、柴崎くんが複合機でスキャンを取っていた。
「残業なんて珍しいね」
「あ、東さん、お帰りなさい。友香里さんが契約に来てくれたんです」
咄嗟に言われた内容が理解できず混乱した。
「ここに来てるの?今?」
基本的にクライアントにはこちらから出向くシステムを取ってきた。
オフィスに来客なんてことは滅多にない。
「はい。黒瀬さんと会議室にいますよ」
カッと背中が熱くなった。
たかが『オイル・リザーブ・ファンド 10』の契約に賢也が対応するなんて、あり得ない。
デスクに鞄を置いて、会議室をノックした。
「はい」
賢也の声と同時にドアを開ける。
「いらっしゃいませ、友香里さん」
先日お会いした時より更に清廉さが増している……この子の汚い物なんて見たことが無いような澄んだ目が私の神経を逆撫でしてくる。
「この度は、ご契約をいただきありがとうございました」
乗り込んできた理由がないので、お礼を言うしかなかった。
「いいえ。少額なのにこんなお手数をおかけしてしまい申し訳ありません」
「黒瀬の説明は分かり易かったですか?」
「はい。とても……でも、主に柴崎さんがご説明してくださって、何度も聞いてしまったのに、親切に教えていただいて……」
賢也の事だけでもムカつくのに、柴崎くんまで呼びつけて、どうにもいけ好かない。
「何度も聞くような事などございましたか?」
自分の声が刺々しいと分かっていたけど、言わずにはいられなかった。
「あ……の……すみませんでした……」
理由もなく謝ってくる態度も気に入らない。
眉間に皺を寄せて上から睨みつけていたら、賢也がそっと首を動かした。
『あっちに行け』というその素振りに、頭の血が沸騰するかと思った。
「お待たせして申し訳ありません」
控えを取り終えた柴崎くんが戻ってきて、空気がリセットされたのを機に、私は部屋を出た。
デスクに戻りメールをチェックする。
荒ぶった感情を抑えるため、ブラックコーヒーを手元に置き、調べ事を始める。
会社を立ち上げたのは初めてだったけど、会社を終うのもまた初めての作業だ。
必要な手続きや準備、想定される保証の範囲、顧客や従業員への通知……やらなければならないことは挙げたらきりがない。
「お疲れ様です」
柴崎くんが会議室から出てきて、自席に座った。
「友香里さんの契約は終わったの?」
「はい。滞りなく」
「二人は?」
賢也が見当たらず、不安な気持ちに襲われる。
「なんか、二人で食事に行っちゃいました。僕もご一緒したかったのに、断られちゃって……置いて行かれました……」
しょぼんとしている柴崎くんよりも、私はもっとしょんぼりしてしまう。
また賢也が友香里さんと二人きりで食事?
契約前ならまだしも、契約後に何を話すって言うの?
腹が立つし、私ばかりが倒産手続きに頭を悩ませているのが馬鹿らしくなって、乱暴にパソコンを閉じた。
「柴崎くん、私たちも飲みに行かない?」
「はい!」
柴崎くんのリクエストで、普段はあまり来ない焼肉屋にいる。
「おお!肉だ!旨そう!」
はしゃぐ柴崎くんは、見ていて本当に清々しい気分になる。
「好きなの頼んでいいよ。契約のお祝いってことで」
「いえ。『オイル・リザーブ・ファンド 10』の契約じゃ、割に合わないからいいですよ。今日は僕も半分出します」
なんでこんなにくすぐったいんだろう。
ふわふわと心地よい感情に、まるで踊っているような気分になってくる。
「黒瀬さん達はどこへ行ったんですかね?」
「さあ」
メニューに目を落としたまま、ぶっきら棒に答えた。
「東さん、もしかして焼いてます?」
「は?」
「やっぱり。友香里さんに焼き餅焼いてるのバレバレですよ」
「なに言ってんの……」
ジョッキを煽ってビールを飲み干した。
「黒瀬さんみたいな完璧な人がいたら、誰だって惚れちゃいますよね。自分も黒瀬さんみたいになりたいって、ある意味、大好きですから。分かります、その気持ち」
賢也は確かにかっこいい。背格好や顔、仕草や言動の全てに神経が行き届いているような洗練された凄味がある。でも……
「柴崎くんはそのままでいいよ」
純粋無垢な柴崎くんには、そのままでいてもらいたい。
「東さんみたいなしっかりしていて凄い女性は、男性に何を求めるんですか?」
「んー」
聞かれたことがないから考えてみる。
賢也みたいな完璧な男性が見せる、一瞬の『隙』は好き。脆い部分を垣間見ると、私しか知らない優越感と言うか、特別な感情に満たされて嬉しい。
一方で、その『隙』は時間で言うと、あまりに短く、99%以上、鎧を纏ったままの賢也に苛立つことも確かだ。
私に見せるべきはずの、賢也の『隙』を友香里さんに奪われるかと思うと、気が気じゃなかった。
こめかみがぎゅっと潰されるように痛み出し、両手で抑えた。
「癒し……かな」
これまでの事はともかく、今の私には明るく朗らかな柴崎くんのような『癒し』の存在が必要だ。
賢也が私に与えてくれない優しい気持ちを、柴崎くんはくれる。
「もしかして僕とか……ですか?」
自分を人差指で刺しながら、恥ずかしそうに柴崎くんが微笑んでいる。
「かもね」
やけにソワソワするから、座り直して、私は焼けたお肉を皿に取った。
「冗談です。まさか、無いですよね」
笑い声を上げながら、柴崎くんがトングで肉を網に乗せていく。
なんだ……冗談か……あまりにドキッとしてしまって……これはあまり可愛いとは思えないぞ。
「冗談だって分かってるよ。私と柴崎くんなんて、無いに決まってるでしょ」
私はあなたを騙して詐欺集団に引き入れた悪党だよ。
あなたのような清い人間にとって、私は汚点になる。
これ以上、関わりを深めちゃいけない……
今以上に懐かれないように気をつけなくちゃいけない。




