16
今夜、いつもの図書館で柴崎さんと黒瀬さんに会う。
たった一口だけど、『オイル・リザーブ・ファンド 10』の契約を交わす予定だ。
預金残高を確認して、銀行の通帳と印鑑を鞄に入れる。
職場には着て行ったことが無い、お気に入りのコートを羽織る。
早く起きれたから、へアアイロンで髪を緩めに巻いた。
一番ヒールの高いパンプスを履く。
早く会社に行ったって、早く夜になるわけじゃないのに、家に居られず、私はいつもより早く家を出た。
「あら、友香里ちゃん、デートでしょ?」
会社に着くなり、隣の席の先輩にからかわれる。
「そんなんじゃないです……彼氏なんていませんし……」
そんなに分かり易かったかな……恥ずかしくて下を向いた。
「なに言ってんの。彼氏じゃなくてもデートくらいするでしょ。これから付き合うかも知れないから、お互いを知るためにデートするもんなんじゃないの?」
「そうなんですか?」
だけど、投資の契約をする為に会うのは、やっぱりデートとは言わないよな。
「大丈夫よ。友香里ちゃん、今日、とっても可愛いからきっと上手くいくわよ」
「そんな……やめてください」
笑いながらしゃべっていると、伯父さんがやって来た。
「社長!見てくださいよ。友香里ちゃん、今日、気合入ってると思いませんか?」
「ああ。なんだか艶っぽいか?」
「言い方!セクハラになりますよ」
伯父さんが少し怖い顔をして、私の方へやって来た。
「男と会うのか?」
返事に困る。
「まさか黒瀬じゃないよな」
ドッキン、ドッキンと心臓が暴れ出す。
「……違います」
咄嗟に嘘をついてしまった。
だって、黒瀬さんは予定になかったし……元はと言えば柴崎さんと契約の為に会うだけだったし……柴崎さんが黒瀬さんを呼んだんだし……
自分で自分に言い訳して、伯父さんについた嘘を無かったことにしている。
こんなに後ろめたいことってある?
伯父さんにも正々堂々と、『あれは怪しい商品じゃないですよ』って教えてあげればいいだけなのに。
どうしちゃったんだろう。
体が動かなかった。
時間通りに駅に着いたら、そこには柴崎さんしかいなかった。
「友香里さん、こっちこっち」
駆け寄る。
「図書館だと話が出来ないので、今日は弊社にお越しいただけないかと思いまして」
「え?」
「契約事項の説明が必要なので、それが一番安全じゃないかって黒瀬さんに指摘されちゃって。ご案内します。ここから近いですよ」
歩き出す柴崎さんに付いて行く。
黒瀬さんが立ち上げた会社……
想像するだけで、背筋がぞくぞくとした。
「仕事帰りで疲れてますよね。すみません」
「大丈夫です。こちらこそ、時間外にお仕事させてしまってすみません」
こじんまりとしているけど、新しそうなオフィスビルに入った。
「狭いですけど、がっかりしないでくださいね」
昭和の事務所まるだしの私の勤め先に比べれば、この時点で、よっぽどかっこいい。
「ふふふ」
自然と笑みがこぼれる。
白いつるつるとした壁が続く突き当りに、ガラスがはめ込まれたドアがあった。
柴崎さんがカードキーを当てて開錠し、ドアを開けてくれる。
「どうぞ」
「失礼します……」
正面には会社のロゴが入った壁と、その前に電話が一台置かれている。
左を向くと開かれた空間に、真っ白いデスクと、カラフルなオフィスチェアがデコレーションされているかのように点在していた。
「かわいい……」
「ははっ。オフィス見て可愛いって」
柴崎さんに笑われてしまったけど、私はこういう会社に就職したくて、学生時代頑張ったんだ。
「私、内定もらえなくて……伯父の会社に就職させてもらったんです。こことはあまりにも違う環境で……羨ましい……」
本音がこぼれ出た。
黒瀬さんのデスクは……勝手に目が探してしまうけど、分からなかった。
「友香里さん、こちらへ」
柴崎さんに促されて、個室に案内されると、黒瀬さんが立っていた。
「ようこそお越しくださいました」
丁寧にお辞儀をされ、私も真下に深く頭を下げる。
「おかけになってください」
上座のイスを黒瀬さんが引いてくださっていた。
「ありがとうございます。凄いオフィスですね。綺麗で可愛いです」
緊張で黒瀬さんを見ることができず、柴崎さんに話しかけてしまった。
「友香里さん、今日はテンション高いですね」
「そ……そうですか?」
浮かれてるのがバレているのだろうか、気まずくて下を向いた。
「この度は『オイル・リザーブ・ファンド 10』を契約いただけますとの事、誠にありがとうございます」
黒瀬さんの綺麗な指先で、私の前に契約書が差し出された。
「既にお聞きいただいた内容もあるかと思いますが、改めて商品紹介と契約内容についてご説明させていただきます」
程よく低く、抑揚の少ない黒瀬さんの声は耳に心地良過ぎて、頭に内容が残ってくれない。
私は黒瀬さんの指先をうっとりと見つめながら、その声に聞き入った。
「よろしければ、こちらにご署名と捺印を」
そう言って、黒瀬さんは手持ちの万年筆を私の前に置いた。
恐る恐る、その重厚なペンを手に取り、日付と名前を記入した。
「ありがとうございました」
万年筆を黒瀬さんに手渡す。
黙って受け取る指先が私の指に触れた。
心臓が爆発する……
震える手を必死で隠し、押印を済ませると、柴崎さんがそれを持って部屋を出た。
「今、控えを準備しています」
「はい」
二人きりになった小さな会議室で、黒瀬さんの視線を感じる。
ピリピリと肌が疼き、じっとしていられない。
「友香里さん」
名前を呼ばれ、顔を上げた。
「ご契約いただきありがとうございました」
そこにあった黒瀬さんの笑顔に、気を失うかと思った。




