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別に来たいわけじゃないけど、来たくないわけでもない。
柴崎くんとアフターファイブに歩くなんて、考えたことが無かった。
だから……たぶん、いつもと違うってだけで……なんか緊張している。
「友香里さん!」
駅の改札を出たところで、上品なラップワンピースを着た女性が待っていた。
高級ブランドじゃないけど、質が良さそうなバッグと靴、手入れが行き届いているのが手に取るように分かる肌と髪に軽い眩暈を覚える。
「こんばんは。御園友香里と申します」
両腕を前で重ねて、丁寧にお辞儀をされ、敵わないと思い知る。
「カタール・エナジー・アセット・マネジメントで副社長をやっています、東まど香です。御園様にはいつも黒瀬と柴崎が大変お世話になっております」
目一杯格好をつけてご挨拶をした。
「さ、時間勿体ないんで、図書館に移動しましょう」
柴崎くんに促され、後を付いて行く。
楽しそうにおしゃべりをしながら前を歩く柴崎くんと友香里さんに、心が焼けるような嫉妬を覚える。
慣れた様子で自動ドアをくぐり、いつもの席なんだろう、二人は迷わず着席した。
柴崎くんを挟んで友香里さんと反対側の席に並んで座る。
勉強会と言われても、私はすることが無いので、柴崎くんの広げているテキストを覗き込んだ。
どうやらFPの資格勉強をしているらしい。
投資商品を勧めるなら持っていて損はない資格だ。
奥の友香里さんは、『投資初心者必見!銘柄選定ハズレなし戦略』という派手な表紙のハウツー本を読んでいた。
なんだか変な時間……持て余してきょろきょろしていた先で目が留まる。
ぴんと伸びた背筋に、顎を上げたまま目線だけを落とす姿勢、リラックスしているようで完璧に整った佇まい。
……賢也。どうしてここに?
無意識に立ち上がり、賢也の傍へ。
後ろから覗き込むと、外国語で書かれたレポートのようなものに目を通しているようだった。
黙って隣に座る。
少し上体を倒して、賢也を横から覗き込む。
ぎょっとしたように、私を二度見した賢也に、思わず吹き出した。
「こんなところで会うなんてね」
小声で言った。
目だけで「ああ」と返事をした賢也は、知れっとレポートに集中を戻した。
賢也とは3年前、私が大学を卒業し、本格的に会社を手伝うようになってから一緒に住んでいる。
その前の4年間、創業当初から賢也は一人で会社を切り盛りしてきた。
オフィスを立ち上げ、商品を作り、自分で営業をかけ、クライアントを増やしていた。
海外のオイル事業に投資するベンチャー企業なんて、最初は誰にも相手にされなかったに違いない。
だけど、賢也はその過酷な時期を乗り越え、私が合流するまで会社を持ちこたえさせた。
大学で経営学を学んだ私は、在学中から人脈作りに精を出し、卒業と同時に営業をかけて歩いた。
賢也が地道に築き上げてきた会社の基盤は、見事に花開き、今では社員が十数名いる。
私たちが手塩にかけて育ててきた会社は、そろそろ収穫の時期を迎える。
「東さん」
振り返ると柴崎くんと友香里さんが立っていた。
「黒瀬さんもいらしたんですね。お疲れ様です。僕たちそろそろ失礼します」
友香里さんがペコリとお辞儀した。
それを見て賢也がレポートを乱暴に鞄にしまった。
その珍しい動作に、驚かされる。
「お話ししたいことがあるんですが、お時間よろしいでしょうか?」
賢也が友香里さんだけを見て言った。
「あ、はい……」
明らかに動揺している友香里さんは柴崎くんを見た。
「出来れば二人きりで」
賢也の申し出に、空気が張りつめ、私も柴崎くんも何も言えない。
「えと……」
ちらちらと柴崎くんの方を見る友香里さん。
「どうぞ。僕は……また連絡しますね」
柴崎くんが両手を広げて、賢也と友香里さんに『どうぞどうぞ』と仕草で促す。
「では……ここで……」
賢也は友香里さんを連れて図書館を後にした。
一瞬にして起きた複雑な感情に、私は何をどう感じていいのかすら分からなかった。
おそらく同じ思いをしているであろう柴崎くんの肩をトンと叩く。
「私たちも飲みに行かない?」
一社員と二人きりになる事は避けて来たけれど、賢也だって一クライアントとあれだもん、もう頑なにモラルを守る意味が無いようにも思えてきた。
「そうですね」
爽やか大爆発の笑顔で返され、得した気分にすらなる。
「柴崎くん、お酒飲めるの?」
「はい。結構好きです。東さんは?」
「……正直に言うとね……酒癖が悪いの……」
「意外です。そんな風に見えませんけど」
「見られないように注意してるからね。だけど、今日は……迷惑かけたらごめんね。と、先に謝っておく」
「あははは」
仕事仕事で走り抜けた3年間、こうした息抜きは一度も無かったかもしれない。
賢也は仕事のパートナーであり、頼りにはしているけど、心の底から笑うなんてこと無かったもんな。
「僕いい店知ってます」
なんて無邪気に笑う柴崎くん……癒される。
私に普通の年頃の女性としての気持ちを思い出させてくれる。
こんな貴重な時間をくれる柴崎くんに感謝しなきゃな。
何度も脳裏に浮かんでくる、賢也と友香里さんの背中を必死に無視して、私は柴崎くんの隣にぴったりとくっついて歩いた。




