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オフィスに着く前に我慢しきれなくて買ったコーヒーに口を付ける。
カフェイン中毒だな……反省するけど、それでもこの一口に癒されている。
エレベーターを待っていたら、柴崎くんがやって来た。
「東さん、おはようございます」
「おはよう」
爽やか柴崎くんは、今日も文句なしに爽やかだ。
初めて会った時とはだいぶ印象が変わった。
前職は拘束時間が長く、努力と成果が見合わない職場だったと聞いている。
今よりもずっとやつれていたし、肌が荒れて不健康だったし、髪はぼさぼさで……第一印象は『不潔な男』だったのに。
柴崎くんが不潔だったんじゃない。そういう環境が彼を不潔にさせていた。
この変化に私は少なからず貢献しているに違いない。
過剰な自負かも知れないけど、あともう少し彼を成長させてあげられる気がしている。
「あの、今日、少しお時間いただけますか?」
エレベーターに乗り込みながら柴崎くんが言った。
こんなお誘いは初めてで、彼の成長と喜ぶべきか、変化を危機と捉えるべきか戸惑った。
「構わないけど。10時以降ならいつでもいいから声かけて」
平静を装って自席に着き、レポートを纏める。
静岡で2件、鹿児島と秋田で、計4件が昨日成約している。
今期の目標、200億の達成まで秒読み開始だ。
賢也にサクッと報告し、メールを片付けたところで10時になった。
ふと顔を上げると柴崎くんと目が合い、こくんと頷かれた。
にっこり笑って、会議室に目をやる。
柴崎くんはパソコンを、私は手帳とコーヒーのカップを持って部屋に入った。
「珍しいね。何か問題でもあった?」
実は緊張しているけど、それを悟られたくなくて、ちょっと冷たい態度を取ってしまう。
だってじっとパソコンを見つめている柴崎くんが、とても大人の男性に見えたから……
あまりこの手の感情には慣れていなくて、自分でもどうしたらいいか分からない。
「ちょっと商品のことで質問が……お客様から聞かれたのですが、うちの商品のキャンセルって年間何件くらいあるんですか?」
ドキッと胸が鳴る。
「キャンセル?誰にそんなこと聞かれたの?」
「いえ……そこは問題じゃなくて、僕自身はキャンセルの依頼を受けたことは無かったので、その時はそう答えてしまったんですけど、よくよく考えたら、さすがにゼロは変かも知れないなと……」
「黒瀬には聞いてみた?」
「いえ。やっぱり黒瀬さんに確認すべきことでしたか?」
首を傾げて私を凝視している、その純粋な瞳に息が詰まる。
「大丈夫よ。パソコンを取ってくるからちょっと待ってて」
一旦席を離れる。
自席に繋がれている電源ケーブルを抜きながら、必死で頭を回転させる。
……どうする?
柴崎くんだけじゃない、社員に開示できる情報をそもそも私は持ち合わせていない。
賢也に相談すべき?
今から?不自然じゃない?
徐々に視界が狭まり、手先が冷たくなってくる。
再び会議室の扉に手を掛けた時、賢也が現れた。
「柴崎と何してるの?」
安堵と恐怖が同時に膨れ上がる。
「よかった……助けて……キャンセルのデータを見せたいんだけど、持ってる?」
一瞬、眉をひそめ、賢也は「パソコン取ってくる」と言った。
私の見たことのないデータをプロジェクタでホワイトボードに映しながら、賢也が流暢に解説をしている。
改めて賢也の有能さを目の当たりにし、寒気を覚えた。
「納得です!」
柴崎くんは、目を輝かせていた。
「何か分からないことがあったら俺に聞け」
そう言い残し、賢也は部屋を出た。
「僕、間違ったこと言ってしまったので、今日訂正しておきます」
「今日?」
「はい。夜、会うんで」
「お客さんと?」
「あ」っと口元を隠している柴崎くんを逃さない。
「そのお客さんって誰か聞いてもいい?」
「えっと……正確には、まだお客さんじゃないんですけど……」
何となく予想がつく。
聞きたくないと身体の半分が拒否しているのに、聞くべきだともう半分が主張する。
「御園様のお嬢様で、友香里さんです」
やっぱり……
「プライベートで会う仲なの?」
「うーん。そう言われるとちょっと語弊がある気がします。一緒に勉強会をしているだけなので」
「なんの勉強?うちの商品のキャンセルについて語り合ってるの?」
意地悪な言い方をしてしまった。
「それは、たまたま話の流れって言うか、偶然みたいなものです。投資について、社会人としての一般常識を学ぶ会だと僕は捉えてるんですけど」
「なるほど」
ここ最近、柴崎くんの成長が著しいと感じていただけに、私の知らない世界での交友関係にジェラシーを感じている。
私が抱く感情として相応しくないと知りつつも、つい、余計な口を出したくなってくる。
「会社の内情を部外者に話すのは言語道断です。しかも営業時間外になんて、もってのほかだよ」
「すみません。ちょっと商品紹介をしたんです。そしたら興味を持ってくれて、それで質問返しに対応できなくて」
「だから今は、ベテランについて回らせてるんでしょ?勝手なことして、会社の評判落とさないで頂戴ね」
「はい。気を付けます」
間違ったことは言ってないはずだ。
ほんの少し怒りに任せた口調にはなっているけど、上司の助言として許される範囲だ。
心臓が大きく打って、顔が赤くなっているのが分かる。
これ以上は醜い……
「よかったら、今夜、東さんも一緒にどうですか?」
「へ?」
席を立とうとした私を、柴崎くんが繋ぎとめる。
「本当にただの勉強会です。図書館で参考書読んで、その後、メシ食いながらしゃべるだけなんですけど。僕が余計な事しゃべらないように見張っててくれませんか?」
「……」
「お願いできませんか?」
そこまで言われたら、断れないでしょ。




