10
「教えてください。どうして元本割れをすると分かっていて解約をするのですか?損が出ると分かっているなら、せめて5年経つまで待っているべきじゃないですか?」
頑張って大きな声で話そうとしたけど、出て来たのは蚊の鳴くような声だった。
「大きく減らしてでも急遽資金が必要な場合があるのでしょう。5年経ったからと言って元本が100%保証されるわけではございませんし。皆さまご事情は様々ですが、元本割れもリスクとしてご納得いただいた上でご契約を頂いています」
「あ……別に、黒瀬さんを責めてるとかじゃ……」
「ええ。分かっています」
ふっと黒瀬さんの表情が緩んで、私は心臓が大きく跳ねた。
どうしよう……もし今……
契約書を出されたら署名をしてしまいそうだ。
黒瀬さんの不思議な魅力、怖いとすら思える危うさを感じているのに、また会いたい、もっと見ていたいと……その黒い瞳に飲み込まれたいと……
「分かりました」
伯父がパンと手を叩いて、立ち上がった。
「わざわざお越しいただき、ありがとうございました」
黒瀬さんはさっとパソコンをしまい、立ち上がって会釈をした。
「是非、ご検討のほど、よろしくお願い致します」
母に玄関まで見送られて、黒瀬さんは行ってしまった。
「できる男だな」
伯父さんが立ち上がって、冷蔵庫からビールを取ってきた。
栓を抜いて、父と自分のグラスに注いだ。
「友香里ちゃん、気を付けるんだぞ」
「へ……?」
「見惚れてただろ」
「やめてください!違います」
どうして父と伯父が大きな声で笑ったのか分からなかった。
でも顔が熱くて、その場にいられなくなった私は自室に逃げ込んだ。
久しぶりに眠れない夜を過ごした。
少し頭がぼうっとするけど、はた目には分からないと思う。
伯父さんは昨日の会話などまるで無かったかのように挨拶をしてくれた。
「おはよう、友香里ちゃん。今日もよろしく頼むね」
事務職の女性達にそう言って回っていた。
『今日は少し遅くなりそうなので、勉強会はキャンセルさせてください』
一日置きに会うようになっていた柴崎さんからメッセージがきていた。
『残業ですか?』
柴崎さんに返信しているのに、昨日の黒瀬さんの姿が思い浮かぶ。
遅くなってもいいから柴崎さんに会いたいと思った。
会って聞いてみたいことがある。
『いいえ。客先が遠方で、戻りが20時くらいになりそうなので』
それなら、駅で私が待っていればいい。
夕食を食べながらお話しするくらい出来るだろう。
「友香里さん!お待たせしてすみません!」
柴崎さんが走ってきてくれる。
「私の方こそ、お忙しい中、お時間を取らせてしまい申し訳ありません」
「いいえ。嬉しかったです」
そう言うと、「はい」と紙袋をくれた。
「急いで買ったから、定番になっちゃいましたけど」
うなぎパイの箱だった。
「ありがとうございます」
個人的にお土産をもらったことなんて初めてで、思わず紙袋を抱きしめる。
「そんなに喜んでもらえるなら、もっと買って来ればよかったな」
柴田さんは照れたように笑いながら、駅中のレストラン街に向かう。
「ここはどうですか?」
落ち着いた雰囲気のお蕎麦屋さんに入った。
「出張は多いんですか?」
「そうですね。東京の一社で日本全国をカバーしてるんで、自分はまだ入社して間もないから先輩に付いて回ってますけど、今日は静岡のお客さんを数件訪問してきました」
「そうなんですね」
私がこれから聞くことが、柴崎さんを試しているような、黒瀬さんを疑っているような、そんな気がして後ろめたい。
「勉強会じゃないのに、会いたいって言ってもらえて嬉しかったです」
「実は……先日、伺った投資プランの事で、少し伺いたいことがありまして……」
「なんだ。僕に会いたかったんじゃなくて、投資の話をしたかっただけなんですね」
無邪気に笑っている柴崎さんは、本当に気さくで話しやすい。
「それで?何か不明な点でもありましたか?」
「あの……お勧めしてもらったプランってあと何口くらい空きがあるんですか?」
「空きですか?さあ、どうだろう。結構、毎日のように誰かしら受注してますけど……上限に達したという話は出てこないですね」
「キャンセルも多いんですか?」
「いえ。聞いたことないですね。解約手数料が激しくてほとんど戻ってきませんからね、基本的に5年間は持たれたままなんじゃないでしょうか」
黒瀬さんの話と齟齬がある。
「あ、でも、来年以降解約が増えるだろうから、要注意だって言われています」
柴崎さんが顔を近付けて、小声になった。
「ここだけの話ですよ。あのプランが販売されたのは4年前なんですけど、解約手数料が高いのは契約後5年間なんですよ。もちろん元本保証はないですけど、今のところ、結構な利率で返金が期待されているんです。つまり、来年、満期になったお客様の解約が増えるんじゃないかって副社長がピリピリしてます」
天ぷらと盛りそばにお箸を付けながら、会話を続けた。
「という事は、来年解約したら、これまでの配当、年間6千円を5年分もらって、もし10万円がまるっと返ってくれば、13万円を受け取れるってことですね」
「はい。ベストケースではそうなります。でも、本当に解約する人っていると思いますか?自分的にはこんなに安定した投資先から現金を引き出すなんてしませんけど」
伯父さんは、こんな資金調達の仕方では会社が成長しないって言っていた。
安定的に利益を投資家に分配して、5年後に返金する、あまりにも投資家に都合が良すぎる条件だ。
いくら配当率や元本保証がされて無いとは言え、現状、一度も下がったことが無いのなら実質保証しているのと同じことだし。
「カタールのオイル事業は順調なんですか?」
「そのようですよ。事業は拡大し続けています。先日、御園様にご契約いただいたのは、大規模な設備投資のプランですから」
「最後の一人でしたよね?」
「え?」
「あの時既に『枠』はいっぱいで、父は無理にねじ込んでいただいたと記憶していますが」
柴崎さんが気まずそうに、こちらを見て、そっと箸を置いた。
「あれは……お芝居です」
「はい?」
「悪く思わないでください。騙すとかじゃないんです。ただ、『残りが少ない』と言われると成約率が上がるので、あれに限って言えば、嘘をついたことになります。すみません」
一千万円の契約をその場で決断させる為の、お芝居。
「嘘……」
「契約の中身は本当です。カタールへの投資計画、配当予測、契約内容に嘘はないです。いい商品であることに変わりは無いけど、ただ、決め手になるあと一押しをと……申し訳ありません」
肩を落とす柴崎さんを責める気にはなれない。
「きっとそういう営業戦略なのですよね。父には黙っておきますので安心してください」
嘘を隠し通せない柴崎さん。
顔色を変えずに嘘を言う黒瀬さん。
二人の男性の言動に、私の心はざわつきを抑えきれなかった。




