第八話 人類最強の来訪
【@聖悟】
〈おい、まさかスパチャ投げたのって、剣聖!?〉
〈ギアナ高地の遠征探索者部隊に派遣されてるんじゃ!?〉
「ありがたいけど、ちょっと高額すぎないか?」
スパチャを投げてくれたアカウント名を確認し、俺は目を丸くした。
そこに記されていたのは、世界に名を轟かす人類最強の剣聖――【@聖悟】。
〈おい、まさかスパチャ投げたのって、本物の剣聖か!?〉
〈ギアナ高地の未踏破ダンジョンにいるはずのトップランカーが、なんでこんな無名配信のスパチャに!?〉
〈マジの本物が混ざってて草も生えない〉
コメント欄は、先ほどの玲奈ちゃんの合格祝福から一転、お祭り騒ぎを通り越してパニック状態に陥っていた。
「いやいや、流石に同姓同名のイタズラだろ……」と俺が苦笑いした、その時だった。
コン、コン。
我がボロアパートの薄い玄関ドアを叩く、控えめだが妙に芯のあるノック音が響いた。
「……ん?」
深夜二時。こんな時間に誰だ?
不審に思いながらドアを開けると、そこには砂埃にまみれ、異国情緒の漂う旅装をまとった長身の青年が立っていた。
整った顔立ちには疲労の色が濃いのに、その双眸だけが、熱を帯びたガラス玉のようにギラギラと輝いている。
青年は俺の顔を見るなり、堰を切ったようにその場に膝をついた。
「お久しぶりです、先生。……やっと、帰って来れました」
「――聖……?」
世界を救う最強の剣聖が、家賃七万円のボロアパートの廊下で、俺の足元に額をすりつけてガタガタと震えていた。
❖
「で、ですね。スパチャの十万円ですが、受け取ってください」
「そんな大金、受け取れないよ。自分のために使え」
「大金じゃないです、僕にとって見たら。だから使ってください! 先生がクビになったと聞いて、ギアナ高地の深層ボスを放置して一番早い便で飛んできたんですから!」
「おいおい、人類の攻略最前線放り投げてきたのかよ……」
ちゃぶ台を挟んで、俺と聖は真剣な顔で言い合っていた。
配信はまだ「休憩中」の画面を出して続行している。二人のやり取りは、マイクを通じて数万人の視聴者にノーカットで垂れ流されていた。
〈石油王と無職の金銭感覚のバトルで草〉
〈剣聖、ガチの狂信者じゃねえかwww〉
〈待て、剣聖は「先生」って呼んだぞ……?〉
俺が呆れたように溜息をつくと、聖は真剣な目を向けてこう切り出した。
「先生。僕を、今日の配信に出演させてください。そして、世間に伝えたいんです。先生の教える『忍耐力』が、どれほど本物で、どれほど尊いものかを!」
「はあ? 何を言い出すんだお前は」
「お願いします! 今のダンジョン攻略は間違っている! 効率や派手なスキルばかりがもてはやされ、本当に大切な『耐えの理屈』が根性論だと蔑まれている! それがどれほど愚かなことか、僕の口から世界中に叩きつけてやりたいんです!」
聖の熱弁は、元・教え子というより、宗教の教祖を崇める信者のそれだった。
しかし、その言葉の端々には、長年最前線で命を削ってきた者にしか出せない圧倒的な説得力が宿っていた。
「……そこまで言うなら、まあ、話すだけならいいが」
俺が根負けして頷くと、聖はパッと顔を輝かせ、カメラの映る位置へと姿勢を正した。
❖
ふたたび配信画面へ。
「――皆様、こんばんは。――あるいは、はじめまして。剣聖の聖悟です」
配信画面に世界最強の剣聖が映し出された瞬間、同時接続数は一気に数十万人を突破し、サーバーが悲鳴を上げた。
〈本物だああああああああああああああ!!!!!〉
〈人類最強がなんで一般配信にいるんだよ!?〉
聖はカメラを見据え、静かに、しかし熱を込めて語り始めた。
「数年前、僕がまだ見放された落ちこぼれだったとき、すべての基礎を教えてくれたのは、ここにいらっしゃる粕谷先生です」
あははは、と俺は苦笑いする。
「巷では『根性論の老害』などと愚かな中傷が飛び交っているようですが、とんでもない。先生の教える『忍耐力』こそが、死と隣り合わせのダンジョンで生き残る唯一にして最強の真理なのです!」
聖は自身の体験談を交え、いかに自分がその教えに救われたかを切々と説いた。
コメント欄は感動と畏敬の念で埋め尽くされていく。
だが、それを隣で聞いていた俺は、小さく首を横に振った。
「――残念だが違うな、聖」
俺が口を挟むと、剣聖はハッとして振り返った。
「先生……?」
「お前が強くなったのは、俺の教えのおかげじゃないよ」
俺は聖のまっすぐな目を、じっと見返した。
「血を吐くような努力をし、命がけの最前線で磨き抜いたのは、他でもないお前自身の忍耐力の賜物だ。よく頑張ったな、聖。誇っていいんだぞ」
自分の教えが凄いのではない。
過酷な運命に折れず、ただひたすらに泥臭く歩み続けた教え子自身の魂の強さを、俺は認めたかった。
その瞬間。
聖の瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちた。
世界を敵に回しても揺るがない最強の剣士が、子供のように顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくる。
「先生――先生っ!」
「お、おい、大げさな…」
〈やばい、もらい泣きした……〉
〈これが本当の師弟関係かよ……〉
チャット欄が温かい感動の涙で包まれている、その時だった。
――ズガアアアアアアアンッ!!!
「――っ!?」
突如、家賃七万円のボロアパートの窓ガラスが、耳をつんざく爆音と共に粉々に砕け散った。
夜風と共に飛び込んできたのは、部屋の壁に深々と突き刺さる、激しく燃え盛る『炎の弓矢』だった。
〈ファッ!?〉
〈いま何が起きた!?〉
〈爆弾テロか!?〉
〈アンチの嫌がらせにしては火力がおかしすぎるだろ!!〉
コメント欄が一瞬でパニックの奔流に変わる。
俺は思わず持っていたマグカップを取り落としそうになりながら、刺さった矢を凝視した。
(まさか、ついにアンチに住所を特定されて実力行使に出られたのか……!?)
冷や汗を流しながら身構えた俺だったが、ふと、その矢に纏う燃え盛る炎の色と、魔力の質に見覚えがあることに気づいた。
――青く、尋常ならざる高密度の爆炎。
そして、この雑で手加減を知らないコントロールの悪さ。
見覚えがあるどころの騒ぎではない。
数年前、魔力の制御が全くできず、自分の起こした爆風でいつも研究所を吹き飛ばしていた、あのめんどくさい教え子のトレードマークそのものだった。
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