第四話 ガチ勢の考察
剣聖がダンジョン探索をすべて放り出すことにし、一番早い日本行きの便を手配したちょうどその頃。
大手クラン『ストライド』本部の最上階。
広大な執務室に、重苦しい沈黙が満ちていた。
「……もう一度言ってみろ」
最高意思決定権者である真田誠の低いバリトンボイスが、冷え切った空気を震わせる。
データ分析部門の主任は、冷や汗を拭いながら、手元のタブレット端末を震える手で差し出した。
「は、はい。先週の国内ダンジョンにおける、F級・E級探索者の死傷率の統計ですが……異常な数値が出ております」
主任の画面には、ここ一週間のデータがグラフとして映し出されていた。
本来、経験の浅い底辺探索者というのは、目の前の魔物に焦って飛びつき、返り討ちに遭う「無謀な突貫」による死亡事故が絶えないものだ。
それが今週に入り、その突貫による全滅率が前週比で実にマイナス四十パーセントを記録していた。
代わって急増していたのは、「魔物の初動を冷静に観察し、距離を取って耐え抜いた」という生存報告の数々である。
忍耐強く、魔物と対峙するようになった、と――。
――忍耐力。
その言葉に真田は眉をピクリと動かす。
ちらっと中年男の顔が脳内にチラついたが、真田は振り払うように分析主任を問い詰めた。
「なぜだ!? 新装備の支給でもあったのか? それとも、ギルドの方針転換か?」
「い、いいえ。装備の更新も、ギルドの通達もありません。むしろ、現場の探索者たちは口々にこう証言しています。『焦るな、丹田を固めて耐えろ』と……」
「……どういうことだ?」
「先日、クランを解雇された元講師・粕谷泰の『基礎講座』です。彼が配信で説いた『忍耐力』と立ち回りの理屈を、底辺層がこぞって真似し、現場での無茶な特攻をピタリとやめているのです。その結果が、この生存データの急激な底上げとなって表れておりまして……」
ガタッ、と真田が総天然木の執務机から立ち上がった。
「ふざけるなっ!」
怒声が部屋中に響き渡る。
「あんなカビの生えた根性論で、現場の数字を動かせるわけがない! 粕谷の影響だとなぜ言える?」
「彼の配信以降に起きている現象のため、そうとしか説明のしようが……」
真田は鼻で笑う。
「その程度のことで関連付けていたのか。くだらん! 偶然に決まっている! データの集計ミスか、あるいは若い連中が気まぐれで生き残っただけのマグレ当たりに決まっている!」
「し、しかし会長…… 底辺層だけでなく、一部の中堅探索者や他クランの若手まで、こぞってあの配信のアーカイブを漁り、『丹田を固めろ』と実践し始めています。結果として、現場の生存データが右肩上がりに……」
「黙れ!」
真田は主任を怒鳴りつけ、タブレットから視線を逸らした。
認められるわけがなかった。
自分が「最前線を知らない万年B級の老害」「誰にも必要とされない無能」と切り捨て、クビを言い渡した男。その男の語る「くだらない精神論」が、自分たちが何億円もの資金を投じて開発してきた最新の攻略マニュアルよりも、現場の命を救っているという現実など。
(くそっ……! データのバグだ、ただの偶然だ……!)
真田は拳を握り締め、青筋を浮かべながら、悔しさに奥歯を鳴らすしかなかった。
❖
一方その頃。
家賃七万円のボロアパートで、粕谷泰はいつも通り平和だった。
異変といえば、チャンネル登録者が数千人に膨れ上がり、昨夜の配信では同接が二千を超えていることくらいだ。
とはいえ、粕谷にとってそれは「ネットの気まぐれな祭り」にしか見えなかった。
(まあ、アンチが叩いて話題になってるのかな? 所詮は昭和の根性論だもんなぁ……)
皮肉交じりに独りごちながら、粕谷はいつものようにスマホに向かって軽く手を挙げた。
業界の常識が根底からひっくり返り、大手クランのトップが怒りに身を震わせていることなど、当の本人は露ほども知らなかった。
「こんばんは、粕谷です。初見の人が多いみたいなので一応言っておきますが、ここは初心者向けの地味な講座です。派手なスキルや、一獲千金の攻略法はありません。……えー、今回は、『本当の敵は自分』という話をしたいと思います」
一瞬でコメント欄が爆発的な文字の奔流に包まれる。
〈どっかの自己啓発本に載ってることだしw〉
〈説教くせー〉
〈これが今話題の攻略情報?〉
「忍耐力の敵は、自分自身です。成功するまで諦めなければ、失敗はしません。ところが、多くの人は成功する前に諦めてしまう」
〈エジソンの名言の使いまわし?〉
〈知ってるしw〉
〈居酒屋チェーンの社長のパワハラ発言でも同じようなのあった〉
〈途中で辞めちゃうからってヤツw〉
〈逃げ道は必要なんじゃないですかねw〉
「パワハラ……。なるほど。確かに他人にそれを強要すれば、そうなります。でも、自分自身に課した、自分との約束を果たすか否か。それは、自分の問題のはずです」
〈教えてるんだから、強要してるのと変わらんじゃんw〉
〈何だよ、やっぱただの精神論じゃん〉
「別にダンジョン攻略などやらずに、普通の人生を送ることもできるんです。ダンジョンに潜らなくていい理由は、トラック一杯分ある」
俺はアンチコメントにも怯まず、静かに訴えた。
「今日も、探索者を夢見て初級ダンジョンで命を落とす若者がいるかもわからない。未来ある若人の生存率を、少しでも高めたい――俺はそう考えています」
アンチコメントが止まった。
真剣に話す自分の思いが、少しは通じたのかもしれない。
視聴者が固唾を飲んで見守っているのが、ライブ感覚で伝わってくるようだ。
「腹に力を込めて、ぐっと堪えて、自分との約束を果たしていく。それを、一日一日、継続していくことで、忍耐力は強くなる」
〈私もそれで、昇給試験突破しましたヾ(o≧∀≦o)ノ゛〉
〈お!? 玲奈タソ降臨!?〉
〈F級に昇格!?〉
【@玲奈ちゃん】がコメント欄に降臨し、さらに盛り上がりを見せていった。
(あはは…、流れが早くてコメント読めないな……)
老眼で霞む目をこすりながら、俺は苦笑いした。
「ぜひ、今日も自分との約束を果たしてみてください。一週間後、一ヶ月後、半年後。きっとあなたは大きく成長している。今日の配信は以上です」
❖
数日後。
大手クラン『ストライド』の本部執務室。
大型モニターの前に映し出されたデータを前に、真田誠は拳に力を込めて震わせていた。
『ストライド』の戦闘哲学――速度はすべてを凌駕する。
前へ駆け抜けること(ストライド)を至上としてきたのは、他のクランを圧倒する実力と実績があったからだ。
しかし、今、そんな『ストライド』の哲学が揺らごうとしていた。
「くっ……! ぐうっ……!」
真田の喉から、みっともないうめき声が漏れる。
モニターのデータには、探索者――なかでも低級者の生存率が飛躍的に伸びていることが示されていた。
生存率だけではない。
魔物の討伐率、昇格試験の突破率も、前年と比較して伸びている。
それを、あの、万年B級の老害者――粕谷の精神論・根性論がひっくり返したと認めるわけにはいかない。
しかし、『ストライド』の探索者育成プログラムを受講した探索者の成長率は低く、むしろ大手クランの育成プログラムを受講していない者の成長率が著しいのだ。
そのいずれもが、証言している――『B級探索者・粕谷泰の基礎講座』。
配信を見て、忍耐力の重要性を再認識した、と。
「バカなっ! 忍耐力だと? そんなものは教えられるものではないっ! そうだろうが!」
自分がどれだけ「偶然だ」「マグレだ」と否定しようとも、業界の常識を書き換え、現場の命を救い続けているのは、あの中年男がボロアパートのスマホに向かって呟いた言葉なのだ。
自分のプライドが、権力が、そしてクランの威信が、あの地味な根性論の前に音を立てて崩れていく。
「認めん……! あんなもの、認められるか……!」
誰もいない高級な執務室で、最高意思決定権者は誰にも届かない敗北の叫びを上げ――
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