第十九話 天才の算段
都内の一等地にそびえ立つ、最新鋭のタワーマンション。
その最上階にある広大なプライベートサロンで、一人の男がワイングラスを揺らしていた。
銀糸を思わせる美しいプラチナブロウの髪、冷徹なまでの知性を宿したサファイアブルーの瞳。
若くして世界ランキングの上位に君臨し、国内外のメディアから「歩く魔導演算機」と称されるS級探索者――冷泉公彦である。
彼の手元のテーブルには、先ほどの氷獄ダンジョンでの配信映像がホログラムで幾度もリピート再生されていた。
画面に映る粕谷は、相変わらず気怠げな足取りで、ただそこに立っているだけだ。
「……ふざけた映像だ」
冷泉は冷ややかな声を漏らし、グラスをテーブルに置いた。
カチャン、と静かな硬質音が響く。
氷獄ダンジョンでの一件――大手クラン『ストライド』の崩壊と、最高司令・真田の逮捕。
そして、無名の老害コーチと蔑まれていた男が、圧倒的な忍耐だけで氷の巨兵を粉砕し、自らの硬化防壁で完全無力化したあの騒動は、瞬く間に世界中のネットワークを駆け巡り、探索者業界の勢力図を根底からひっくり返した。
だが、冷泉という男にとって、それは受け入れがたい現実でしかなかった。
「魔力出力のデータもなければ、特筆すべき固有スキルの痕跡もない。詠唱の気配すらない。――そんなものがまかり通るはずがない」
冷泉は冷笑を浮かべ、ホログラムの映像を指先で弾き飛ばした。
彼がここまで登り詰めたのは、自身の圧倒的な魔力才能と、世界最先端の魔導理論、そして膨大な計算論理に裏打ちされた「完全な合理性」の積み重ねがあったからこそだ。
あらゆる現象には原因があり、結果がある。運や根性、あるいは「忍耐」などという抽象的な概念で、S級の怪物を一撃で葬れる道理など絶対にない。
(認められるものか。あんな、泥臭いだけの老いぼれのやり方が『最強』だなどと証明されてしまえば、俺が今まで積み上げてきたすべての努力と理論が、ただの笑い話になってしまう)
冷泉の心にあるのは、純粋な恐怖と、それを覆い隠すための激しい選民意識だった。
彼は自分のプライドを保つため、一つの結論へと強引に脳内を誘導する。
(そうだ。あれは一時的なダンジョンのシステムバグか、あるいは管理局の目を盗んだ未知の不正魔導具によるまやかしに違いない)
「偶然の産物を実力と勘違いしているだけの、哀れな老いた詐欺師か。あるいは、世間の耳目を集めるための悪質なパフォーマーか……」
冷泉は美しく整った顔に歪んだ笑みを浮かべ、手元のコンソールを操作した。
画面に表示されたのは、粕谷の現在の居場所と、彼が日頃から出入りしている古いトレーニング場のデータだった。
「いいだろう。これ以上、世間をその薄汚い虚構で騙し続ける前に――この俺が、最新の計算論理と、特注の超高出力魔導ギアで、その化けの皮を完全に剥いでやる」
冷泉は立ち上がり、完璧に仕立てられた特製の魔導コートを羽織った。
冷徹な計算に裏打ちされた自信と、歪んだ劣等感を胸に、彼はすべての「虚構」を論破するための接触へと動き出す。
最強の天才と呼ばれた男の、愚かしくも痛い算段の歯車が、静かに、そして確実に回り始めたのだった。
❖
古い木製の床が、コツ、コツと硬質な靴音を響かせる。
都内の一角にある、古びたトレーニングルーム。
壁には染みが浮き、トレーニング器具のあちこちに年季が入っている。世間の基準から見れば、それは時代遅れの廃墟と同然の空間だった。
まだ『ストライド』が新規の弱小クランだったころ、この施設は探索者養成の訓練施設だったのだ。
その中央に、冷泉は立っていた。
身にまとう特製の魔導コートの裾を微かに揺らしながら、冷泉は冷ややかなサファイアブルーの瞳で周囲を見回す。
そして、ふと脳裏によぎったのは、数年前の記憶だった。
(――こんな場所で、俺はあの日々を過ごしていたのか)
当時、まだ若かった冷泉は、この部屋で粕谷のコーチングを受けていた。
だが、粕谷が口にするのはいつだって「忍耐力」という、泥臭い基礎ばかり。華やかな魔法の詠唱も、最先端の魔導理論も教えてはくれなかった。
『先生、こんな無駄な基礎訓練に何の意味があるんですか? 魔力の出力値こそが正義だ。こんな古い根性論では、世界の頂点には立てない』
そう吐き捨て、自らの才能と最新鋭の計算論理を信じて、冷泉はこの教室を飛び出した。
しかし、粕谷は冷泉が邪険に扱ったというのに、『ストライド』に未来がないことを説き、契約の見直しを提言し、冷泉を独立させてくれた。
おそらく、厄介払いの意味もあったのだろう。
その後、冷泉は数多の最新魔導ギアを乗りこなし、弱冠の若さでS級探索者へと登り詰めたのだ。自分の選んだ道が正しかったと、証明し続けてきたはずだった。
なのに――。
(なのに、なぜ……配信であの老害は……ッ!)
氷獄ダンジョンで見せつけられた、泥臭い忍耐の残像が、冷泉の胸の内に黒いざわめきを呼び起こす。
その焦りと恐怖を押し隠すように、冷泉はふっと冷ややかな笑みを浮かべた。
「――相変わらず、趣味の悪い場所ですね、先生」
足音もなく、部屋の奥から姿を現したのは、相変わらず気怠げにポケットに手をついた粕谷だった。
「よお、久しぶりだな、冷泉?」
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