第十話 北の怪物
「――それで、わざわざボロアパートのドアをぶち破ってまで、俺に何用だ」
アパートの惨状を片付けた後、俺はちゃぶ台を囲んで二人の人類最強戦力に向き合っていた。
配信はひとまず切ってある。
聖は神妙な顔つきで正座し、沙耶はまだ少し不服そうに頬を膨らませている。
「北方の『氷獄ダンジョン』で、とんでもないものが目覚めたのです」
沙耶が表情を引き締めた。その瞳には、世界を救った大魔導師ですら隠しきれない深刻な焦燥が浮かんでいる。
「高階層に『深淵の胎動』と呼ばれるイレギュラーが発生して……」
聖が鼻で笑った。
「ハッ! 人類最強の一角である君が、対処できないとはね?」
キッと、沙耶は聖を睨みつける。
「吸収する魔力の性質が、四半刻ごとに変わるのです。物理攻撃も魔法攻撃も、直撃しても一瞬で回復されてしまって……」
沙耶ですら手を焼く化物。それが北方のダンジョンで暴れているらしい。
「再生能力と魔術吸収か。厄介だな……」
俺が顎をさすりながら呟くと、聖はどこか皮肉めいた笑みを浮かべた。
「先生、まさか……まだそんな怪物相手に、忍耐力が通用するとか言いませんよね?」
「というと?」
俺が聖の意図を問うと、彼は言いにくそうに目をそらした。
「今のダンジョン環境は、先生が教鞭を執っていた頃とは次元が違うんです……」
聖の言葉は、かつてクランを追放された俺の「時代遅れ」を暗に突いていた。
だが、沙耶はその聖を鋭く睨みつけ、制した。
「黙りなさい、聖! 先生に失礼です!」
「だが、お前が一番わかっているんじゃないのか? 忍耐力でどうにかなる相手ではないことを……」
「……そうでなければ、わたくしはここに来ておりません」
沙耶はバッと立ち上がると、床に額をこすりつけるように深々と頭を下げた。
「おいおい! やめてくれ!」
「いいえ、やめません!」
沙耶は頑なだった。
「あの化け物の前では、今の私の魔法は無力。このままでは北方一帯が凍土と化してしまう……ッ!」
「……」
「恥を忍んで、お力添えをお願い申し上げます。もう一度だけ、この出来損ないの教え子を導いてください!」
最強の大魔導師が、かつて根性論を教えただけの「元・講師」に、心からの敬意とSOSを捧げている。
それに応えない者など、指導者の風上にも置けないだろう。
「そうだな。『深淵の胎動』、データの詳細を見てみないと断言はできないが……」
苦笑いで俺は答えた。
「忍耐力でなんとかなるよ」
聖が驚愕の表情で息を呑む。
「せっ、先生!? いくら何でもそれは……!?」
対して、そう言ってくれることを確信していたかのように、沙耶は満面の笑みを浮かべた。
「先生なら、そう言ってくださると信じていました」
「ただし、条件がある」
俺の言葉に、沙耶が一瞬、身を固くする。
「何でしょう?」
「まず第一。聖の協力が必要不可欠だ」
「先生……」
「沙耶。聖にも協力を要請してくれ」
「……」
不服そうだったが、俺の出した条件を飲むしかないと悟り、沙耶は咳払いした。
「剣聖・聖悟。南米ギアナ高地の未踏破ダンジョン攻略中であることは承知の上で依頼します。パーティーに加わってはくれませんか?」
「ああ、喜んで参加させてもらう」
沙耶に応じたあと、聖は俺に向き直った。
「忍耐力でどうやって『深淵の胎動』を撃退するのか。勉強させてもらいますよ、先生」
「ああ。それともう一つ、ふたつ目の条件だ」
「……?」
聖と沙耶が、ゴクリと生唾を飲み込んで、俺の言葉を待つ。
「ダンジョン内で、配信をさせてほしい」
俺が講師をつづける理由。
根性論だと笑われ、煙たがられるその二文字――「忍耐」を教えつづける理由は、ダンジョンで若者たちの生存確率を高めたいからだ。
効率主義で命を軽くしてほしくない。
だからこそ、忍耐力で『深淵の胎動』を倒す。
S級探索者となった教え子たちと共に。
それを配信を通じて世界に発信することは、俺の責務であると思っているのだ。
❖
一方、その頃。
大手クラン『ストライド』の本部では、静かな狂気が渦巻いていた。
「会長、ついに完成いたしました」
若手幹部が持ち込んできたのは、分厚いバインダーに綴じられた『公式・次世代忍耐力プログラム』の全貌だった。
それは、プロスポーツ選手や大企業経営者専属コーチなどの最先端のメンタルメソッドと、クランが総力を挙げて集積した膨大なダンジョン攻略データを掛け合わせ、AIが個別に最適化した「科学的・完全忍耐術」である。
真田誠は、不敵な笑みを浮かべてその書類に目を通した。
「素晴らしい。粕谷の薄汚い精神論とは次元が違う。このプログラムを修了した精鋭部隊であれば、あの怪物を攻略するのは時間の問題だ」
「はい。現在、精鋭部隊『スペシャルズ』を緊急編成中です。彼らにこのプログラムを叩き込み、誰よりも早く北方の『氷獄ダンジョン』へ派遣いたします」
真田は満足げに頷いた。
「ああ――我々が正しいということを、世界中に証明してやるのだ」
氷獄ダンジョンに向けて、ストライドが誇る「科学的・忍耐」の精鋭部隊が出港する。
彼らは知る由もなかった。
自分たちが手にしたその「科学の力」こそが、怪物の最も好む毒だということを。
読んでくださりありがとうございます!
いよいよ次章より、氷獄ダンジョン編、開幕です!
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