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水と薬を唇に流し込んだ後、空いているベッドに女の子を寝かせる。薄く開いた瞳は赤くうるんでいて焦点が合っていない。コーデリアが熱っぽい額を撫で付け「心配しなくていいの。ゆっくりおやすみ」と言うと、ゆっくりと瞼が閉じた。
「妹は……元気になりますか」
「とりあえず熱が下がったらご飯を食べさせましょう。詳しく見るのはそれからね。でもまあ、今見た感じだとおそらく大丈夫だと思う」
少年は息を吐いて、女の子の手を握る。ずっとこわばった顔をしていたのが、やっと少しだけ緩んだ。
「あなたも何か食べたほうがいいわね」
彼ははじめは遠慮がちに、しかし食べ進めていくうちにガツガツと勢いよく、あたたかいパンとスープを完食する。それが終わってじゃあようやく彼らの話が聞ける、と思ったけれど、今度は疲れが一気に出たのか、少年はテーブルに突っ伏して眠り始めてしまった。
***
次の日の朝になるまで、子供たちは起きなかった。コーデリアはそのまま寝かせておくか少し悩んで、しかし少女のこともあるので、あの後ベッドまで運んであげていた兄を起こす。それから二人で女の子の様子を見に行った。すっかり熱は下がったようだ。
「心愛!」
――ココア? 変わった名前ね……。
「心愛、起きろ。大丈夫か?」
「んぅ……おにいちゃん? まだねむいよぅ……」
「何言ってるんだ。熱は? どこか痛いところや気持ち悪いところはない?」
「んー……へいき」
ココアは目をこすって、ぐんと伸びをする。ぼんやりとした顔で兄を見つめた後、ぱちぱちと数回瞬きをして、「あっ!」と声を上げた。
「ま、まじょ!」
コーデリアを指さすその小さな手を、男の子が制す。
「こら。人を指さしちゃいけないって言っただろ。この人は、コーデリアさん。おれたちを助けてくれたんだよ」
「こーれりあ……さん?」
「ハーイ、おはよう。気分はどう? お腹は空いてない?」
「おなか……すいた……」
素直なその様子に、コーデリアはくすりと笑った。
木の実入りの香ばしいパンに、焼き立ての目玉焼き。皿を出した瞬間、子供たちは大慌てで「いただきます!」と言ってかぶりつき始めた。
「いただきます、ってどういう意味かしら」
「えっ。えーと……コーデリアさんはご飯を食べる前になんて言うんですか」
「何も言わないわ。心の中で感謝を捧げるの」
「そう……この世界では、そうなんだ」
「世界? そうだ、やっとあなたたちのことが聞けそうね。まずはあなたたちの自己紹介と、どうしてあんな森の中にいたのか教えてくれる?」
少年は口に含んでいたパンを何とか飲み込んで、うなずいた。少女はほっぺたいっぱいに膨らませてむぐむぐとしている。まだしゃべるには時間がかかりそうだ。
「おれの名前は、結愛です。妹は心愛って言います。おれたちは図書館にいて……心愛が読み聞かせして欲しいっていうから、じゃあ読む本を探してきてって言ったんです。それで、その本を見つけてきて」
ユアと名乗った少年は、棚の上に置かれていた分厚い本を指し示した。あれは昨日、熱にうなされながらもココアが抱えていたもので、寝かしつける際にコーデリアがそこに置いたのだ。
「タイトルも書いてないし、中も何語で書かれてるかわかんないし……適当にパラパラめくってたら魔女の絵が描かれてるページがあって。それを心愛が触ったら……急に、目がくらくらして。気が付いたら森の中にいた、んです」
「ちょっと、理解がしがたいのだけど……」
「お、おれたちにもよく分かりません。多分、異世界転移ってやつ、で」
「イセカイテンイ?」
「あの、なんか、そういうのが流行ってて。違う世界に飛ばされるっていう……」
「つまりあなたたちは違う世界から来たってこと?」
「そう、だと……思います。だっておれたちがいた世界には、魔法なんてないし……」
魔法がない。確かにそれはおかしなことだ。コーデリアが住むこの”世界”において、普及率の大小はあれど魔法の存在がない国など存在していない。しかし、だからと言って違う”世界”から転移するなど有り得るのだろうか? この荒唐無稽な話を信じていいものか……?
「これりあは、まじょ?」
沈黙が落ちていたところに、やっと口の中のものを飲み込んだココアがそう言った。
「どうしてそう思ったの?」
「だって、まじょのふくをきてるから!」
「……それ、あなたも言っていたわね」
ユアは遠慮がちに、けれどしっかりと頷く。
「おれたちの世界では、魔女ってそういう……黒っぽいワンピースととんがり帽子を被ってるっていうイメージなんです。あの本に描かれていた魔女もそうだったし」
「ここあねー、まじょがすきなの! まほうがつかえるのよ! すごいの!」
「魔法が使えるのは、あなたにとってすごいことなのね」
「うん!」
コーデリアはココアに歩み寄ると、油でべとべとになったその頬を布巾で拭った。ありあとー、と舌足らずな声が聞こえる。
「この子は何歳?」
「え、えっと、4歳です。おれは9歳」
「そう……」
9歳と4歳。他人の気を引くために嘘をつくことはあるかもしれないが、見ず知らずの大人に異世界から来たなんて嘘をついたところで大した意味はない。それにユアははじめコーデリアを警戒し拒否していた。いきなり知らない場所に飛ばされて、幼い妹が高熱を出して倒れてしまったという状況で、通りすがった大人に助けを求めなかったのは不可解にも思うが――少なくとも、彼らが悪意を持って作り話をしているとは考えられなかった。もしこの子供たちが、ただ他の国から迷い込んだ人間であったとしても、害はないだろう。
「ねー、これりあはまじょ? まほうがつかえる?」
「魔女だとは言わないけれど、魔法は使えるわ」
「すごおい! ここあにもできる?」
「どうかしら」
「これりあ、ここあのおててにぎってた?」
「え? ああ……夜のこと? そうね、握ったわ」
「やっぱり! じゃあ、ここあのおでこなでてくれたのもこれりあ?」
「ええ、そうよ」
きゃあっ、とココアが声を上げた。嬉しかったのか、椅子の上で体を揺らしている。
「心愛、あぶない。カップを落とすぞ」
「おにいちゃん、あのね……」
ココアは小さな手のひらでユアの頬をぺちんと挟むと、ぐんと顔を近づけてその耳元で何かを話した。ユアは少しだけ驚いて目を丸くした後、子供らしくない疲れたような顔で笑った。
「違うよ。そうじゃない」
「どうしてー?」
「どうしてもだよ」
妹の頭を撫でた後、ユアがテーブルの食器をまとめ始める。
「置いておいていいのよ」
「これくらいは……ごちそうさまでした」
また知らないフレーズだ。コーデリアが少しだけ眉を顰めると、ユアはそれを悟り慌てて「美味しかったです、ありがとうございました、ってことです」と言った。
「なるほど。それなら良かった。ところであなたたち、本当に身体の不調はない?」
「おれは……大丈夫です。心愛、痛いところはないか? 熱はもう下がった?」
「ここあいたいとこないよ。おなか、ちょっと……」
「しんどい?」
「わかんない……」
「あなたは高熱があったから、全快するのは少し時間がかかると思うわ。パンじゃなくて消化のいい食事のほうが良かったかしら」
「おいしかったのよ」
「ありがとう。さあ、もう少し寝ていなさい」
「ん……これりあ、だっこして……」
ユアが「心愛!」と大きな声を出した。コーデリアは何も言わず立ち上がって、ココアの脇腹に手を回す。少女は短い腕を必死に伸ばして、コーデリアの首元に抱き着いた。
「ご、ごめんなさい」
「いいのよ、まだ小さな子供なんだから」
こんなに幼い子供と触れ合ったのは、いつぶりだろうか。
もうほとんど夢の中に落ちかけているのに、愛情を求めて力強く握られる小さな手の、なんて愛しいこと。
コーデリアは自らの腕にすべてを預けて眠るその小さな子供の重みを、ひどく懐かしく、そして少しだけ悲しく感じた。
「おやすみなさい、良い夢を……」




