8話:気合と幻の壁
グラルタナスと別れた後のボクたちはしばらくそこにとどまったままだった。
ドワーフのウルグリムは苛立っているままだし、ハーフオークのゴルダはぶつぶつと呟き何かを考えているようだった。
一方のボクはというと、グラルタナスの言葉を借りるのであればしばらく暇を持て余すことになるので、水場を確認していた。
近寄ってみると、湿った洞窟のにおいに混じって、嫌なにおいがするのが感じられる。
そこら辺に落ちている小石に照明魔法を使い、水場に向けてそっと放り投げる。
ぽちゃんと小さな音を立てて明るく光る小石が水に沈んでいくが、やはりダメそうだ。
ゴブリンもここの水場を使っているのだろう、かなり濁っているようだった。
野生動物ならともかく、ゴブ汁混じりの液体を口にしたり体に触れさせたりするのは流石に気が引ける。
しかし、先ほどまでここにいたグラルタナスはドルイドだ。
部族の身内のゴブリンが"多少"水場を汚すのは仕方ないとして、どこかにマシな水場があるはず・・・と他の小石に照明魔法を使って地面を見てみると、あった。
あったというのは水場のことではなく、先ほどのドルイドの足跡のことだ。
濡れたサンダルの跡が自然洞窟の壁のほうに向かって伸びている。
じめじめした洞窟の中とはいえ、あと数十分もここにたどり着くのが遅れてたら、ボクではそれが足跡と気づけなかったかもしれない。
これは幸運と言えた。
「どうしました、壁に何かあるんですか?」
ひかる小石を掌の上に乗っけながら、てくてくと壁に向かって歩いているボクのことを、ようやく現実世界に帰ってきたゴルダが気づいたようだ。
しかし、今度はボクがあっち側の世界にいってしまっている。
つまるところ、足跡を凝視しながら壁に向かってとことこあるいているわけで、そして足跡が壁に向かって消えているところで立ち止まった。
壁の前に突っ立ってみると、壁の向こうから風が吹き抜けてくるのも感じる。
「なんですかそれは、魔法?」
『まやかしの壁』
ガシャガシャ音をたてながら近づいてきたゴルダはボクの呟きを聞き逃していなかったようで、ボクは彼ににっこり微笑み肯定した。
これは幻の壁を発生させる単純かつ効果的な呪文だ。
ヒトであれその他のなんであれ、生き物は壁に向かってぶつかるように移動したりしないものだ。
ぶち当たっても通過できたりはしないと、何らかの形で知っているためそうしたりはしない。
幻を発生させる呪文は、脳にそれがあると誤認識をさせることで行かせたくないところに使ったりする。
この手のものを突破するために必要なのは、度胸や根性だ。
脳みそが、これは壁であると認識してしまっている以上、そこに向かって体や顔面や脚を突っ込むのはなかなか勇気がいる。
幻の壁の向こうが現実の壁だったなんてことは実体験というか実験体として経験済みなので余計に緊張してしまう。
アレは痛かったなあなどと独り言ちながらこぶしを握り締めて一歩を踏み出す。
「ちょっ!」などというゴルダの声を背中に受けながら、壁に顔や体をめり込ませさらにもう一歩。
顔面にも体にも痛みはなし・・・握ったこぶしを開いて小石の光を照らしてみれば、ヒトひとり分程度の広さの通路が奥に続いているのが見えた。
「ありゃ、若ぇのはどこいったんじゃ」
イラつきを吹っ切ったウルグリムもこちらに来ているようだ。
幻の壁の裏側から顔をにゅっと突き出すと、引き顔ハーフオークとぶったまげ顔ドワーフコンビのマッチョ二人が見えたので、通路が続いていると告げる。
ついでに、気合を出せば抜けられるとも。
「おお、おう・・・じゃが、しかしのう」
「確かに、それであるならば我々ファイターに勝るものはいないと自負していますが」
マッチョ二人は文字通り二の足を踏んでいる。
つまり、足を壁に向けてはひっこめ、手を伸ばして幻の壁に触れて撫でまわしている。
壁、あるじゃん・・・という表情だ。
脳が完全に騙されている場合、ないものもあるかのように感じてしまうのだ。
実際にはそうなっていないにもかかわらず、焼けた鉄を体に押し当てたとうまく騙してしまえば、やけどの跡ができたりするとかいう話と同じだ。
彼らは存在しない壁を、脳が触感を再現しているかのように触り、そこに存在しない壁を蹴っ飛ばしたりしている。
もちろんそこに壁はないので、スカしているのだが本人たちは気づいていない・・・そういうものなのだ。
この二人のマッチョマンの名誉のために言わなければならないが、ボクが一歩を踏み出せたのはこれが幻術であるとわかったからであり、彼らがヘタレているわけではない。
「むおおおおおおおおおおお!」
ボクは、壁を触るために延ばされているウルグリムの腕を何も言わずつかみ、こちら側へ引っ張り込んだ。
マッチョなドワーフは若干情けない表情と声で幻の壁に顔面から突っ込み、ボクの元に滑り込んできた。
ほらね、簡単でしょう?というボクに恨みがましい表情をするが、やってみれば子供だましじゃな!と強がることも忘れない。
そこで困ったのがゴルダだ。
抜けられるのは事実としてわかっているだろうけれど、その一歩が踏み出せない。
踏み出させないための魔法なのだから当然なのだけど、このままではヘタレのようなものであり、ファイターとしての矜持にかかわる。
ウルグリムが手を引っ張られたのは不意打ちだからノーカウントとしても、引っ張ってくれなどと口に出すのは憚られる。
24歳のハーフオークの中にいる、12歳の少年の心がそんなヘタレを許さない。
というのはボクの勝手な予想だけれど、ともかくゴルダは身を固くしてしまっている。
もちろん、そんな彼を見たボクらがおとなしくしているはずもなく、12歳の少年の笑顔をしている50歳のドワーフと協力して、頑ななゴルダを引きずり込むのであった。




