5話:森林行軍
森の中を例の隊列で進んでいく。
太陽はかなり上のほうまで登ってきていて、経過時間を考えるとそろそろ6マイル・・・洞窟が見えてくる地点だ。
深い森の匂いを精いっぱい吸い込み、ゴブリンたちが放つ不快すぎる臭いを探ろうとするが、湿っぽいコケと土の匂いがするばかりだ。
実のところ、間抜けゴブリン達との戦闘以降彼らとは出会っていない。
そして、相変わらず騒がしいファイター二人のおかげで野生動物も近寄ってこないので平和ではあるが、疲れる。
食事は行軍中に摂る。
ポケットから干し肉を出して齧り、味のないビスケットを皮袋に詰められた水を啜って流し込む。
パンでもいいが、ピクニックに来ているわけではない以上ポーチやローブのポケットに詰め込むには嵩張りすぎる。
結局のところ、背負い袋を下ろしてパンを出して食べるというのは少々無防備すぎるということらしい。
重い荷物を背負い長距離を歩き、時には戦うこともある冒険者は村に住む人たちと違って、通常3食摂ることになる。
野営の前後、つまり朝と夕方はともかく昼まで足を止めて食事をとっていたら仕事にならん。
などということを、うまい酒を飲みたげな顔をしながら皮袋に入れられた安酒を飲んでいるドワーフが呟いた。
前方のほうはここら一帯よりも多く光が差し込んでいるように思える・・・つまり森の切れ目だ。
ボクはため息をつきながら、こうなったパターンの時にやるべきことを一つずつ数える。
一つ、金属鎧は偵察に向いていないのでボクが先行をする。
一つ、隠密に長けているわけではないので匍匐前進でぎりぎりのところまで行く。
一つ、敵が見えたら敵の数を確認し、指で教える。
冒険慣れしていないボクは、森の行軍で疲労困憊しており脚は生まれたての小鹿のように震え、汗だくで、当然の如く汗臭い。
そのうえ、泥とコケまみれになることができるというのだからゴキゲンだ。
やるべきことは単純だし、背負い袋を放り投げ、さっさと地面にはいつくばって森の切れ目ギリギリまで進むことにした。
ゴルムは静かににボクのほうを見ているだけだし、ウルグリムは「お前ならやれる」とばかりに歯を剥いてニカッと笑っている。
正直いえば二人を突撃させたほうが効率はいいのだろうし、本人達もそれを理解しているのだろう。
そのうえでボクにやらせるのは、先々のことを考えてのことだと思う・・・多分。
ボクはトカゲよろしく地面に這いつくばり、ひじから先で踏ん張り、体をよじって先に進み始めた。
疲労困憊で荒い吐息が地面のコケを撫でて、すえた臭いと一緒にボクの口の中に入ってくる。
汗は壊れた蛇口のように噴き出てきて、おでこに落ち葉が張り付き、顎に土がくっついてくる。
思っていた以上にきつく泣き言を言いたくなったが、ここで余計なことをしてもあの世行きになるのはボク自身。
半ばヤケクソのように力を振り絞って森の切れ目の藪まで突き進み、そこではそっと顔を突っ込んだ。
顔を突っ込んでからふと、少し前に戦った間抜けゴブリン達を思い出す。
ああ、向こうからは丸見えなんだ・・・と後悔しつつも先を見ると、前方は切り立った崖になっていて、その壁面にぽっかりと口を開けている洞窟と、その入り口手前にある消えた焚火の周辺に座って談笑している3体のゴブリンの姿を見つけた。
緊張か、疲れからくる自分の息遣いが影響したのか、話の内容まではよく聞こえなかった。
流石に偵察訓練は受けていないのでそこまで耳はよくないし、読唇術も習得していないのだ。
ボクは顔を突っ込んだ時以上に慎重に、顔と体を藪から引っこ抜いてから後ろを向いて、二人に向けて指を3本立てた。
彼らはほっとした顔で親指を立ててボクを労い、武器を構えてこちらにゆっくり近づいてくる。
さて、問題はここからだろう・・・ボクは何をすべきだろうか。
村での戦闘のように魔法で敵を滑らせたりすべきだろうか・・・それなら準備がある。
眠らせるのはリスクが高いので今回は採用を見送らせていただいたし、魔法でゴブリン攻撃するのはいくらなんでももったいない気がする。
やはり今回も、クロスボウでの射撃が妥当なはずだ。
そう結論を出したボクは伏せたままクロスボウを構え、再度藪の中に静かに顔を突っ込んで二人の到着を待つことにした。
それにしても匍匐前進のせいだろうか、両腕の筋力を使い切っており手が震える。
本当に冒険とは、聞いていた以上に楽しいものだと実感がわいてきた。
二人が近づいてくる音を背後で感じ、目は敵のほうをじっと見つめ、トリガーに手をかけてクロスボウの狙いを慎重につける。
永遠に思える数秒を待って、盾と、メイスを打ち合わせる音が聞こえた瞬間、ボクはクロスボウを一番近いところではしゃいでいるゴブリンに向けて発射した。
クロスボウ・ボルトは運よくゴブリンの後頭部に突き刺さり、ゴブリンは殴られたように吹き飛んで倒れた。
それと同時にハーフオークのゴルダと、ドワーフのウルグリムは雄たけびを上げて突撃を開始する。
突然仲間を失ったゴブリンは驚き叫びながら立ち上がり、二人を認めると手に持っていた武器を振り上げる。
勝利の方程式は成り立ち今回も勝てるだろうと思ったとき、洞窟の奥からうなり声をあげて飛び出してくる人ほどの大きさの体躯を持つネズミの怪物を見つけた。
もうほとんどゴブリンに接敵している二人を無視し、中央を一気に駆け抜けてくるネズミの怪物を見て、標的はボクだと悟った。
非常にまずい・・・慌てて立ち上がり、クロスボウ・ボルトを取り出す。
クロスボウにセットしてレバーを回すことまでは考えたが、どう考えても間に合わない。
万感の思いを込めて頼れるファイター二人組のほうを見たけれど、
すでに二体のゴブリンを屠った後の彼らはこちらのほうを一瞥もせずに洞窟入り口を睨みつけているようだった。
「オデがいるドキに来るたぁ、いい度胸だぁ!」
最高だ!という言葉が口からはみ出しかける。
これほどの幸運の神の祝福を感じる瞬間なんて、そう長くはない今までの人生を振り返っても滅多にあるものではなかった。
洞窟の中から妙な訛りの怒声とともに飛び出してきたのは、大柄で毛むくじゃらのゴブリン族であるバグベアと、ゴブリン2体だった。
バグベアはゴブリン族の中で最も大柄でその身長はおおむね7フィート前後。
最も直情的で、脳みそまで筋肉でできていることで知られている。
脳筋なのはホブゴブリンも変わらないが、彼らは軍人然としており、バグベアに比べればずっと理性的であり現実主義的だ。
危ないクスリで頭が完全にイカレた、人語を話しながら二足歩行で相手を殺すための道具を使う熊だと思えばちょうどいい。
実際問題として、バグベアに関して感想を長々と述べている暇はなく、ネズミの化け物はあっという間にボクのほうにすっ飛んできて、大口を開けてとびかかってきていた。
ボクは反射的にクロスボウを持っている右腕を差し出し防御行動を行うが、当然まったくもって意味なんてなく腕に噛みつかれた。
骨までかみ砕かれたんじゃないかと見紛う痛みが脳天を貫き、クロスボウを思わず手放してしまう。
叫び声が喉元まで駆け上がってきて、目の前が真っ白になる。
しかし下唇を強くかみしめそれを堪え、一気に沸き上がってきた逆ギレのような感情がクロスボウ・ボルトを持つ左手に力をこめる。
何しろ臭いのだ、このネズミは鼻が180度捩れそうになるほどに臭い。
こんなのに蹂躙されて死ぬのはいくらなんでもごめんだ・・・そう思えば必死にもなるというものだ。
ボクの右腕を噛み千切らんとばかりに体を振り回す臭いネズミに対し、ボクは全体重をかけて倒れこむようにして押さえつける。
半ば絶叫しながら左手のクロスボウ・ボルトをさらに臭そうな目玉に深く突き立て捩りこんでやった。
なんとも形容しがたい悪臭を放つ大きなネズミの化け物は、踏まれたヒキガエルのようなうめき声をあげ、痙攣してから絶命した。
顔を上げ前方を確認すると、両手剣を振り回しながらゴルダはゴブリンと格闘していてる姿で、ウルグリムはボクからみて側面を向いており、バグベアが今にも振り下ろさんとしている大きな、丸太のような棍棒を盾で受け止めようとしている瞬間だった。
ただでさえ小さい彼の身長が更に縮んでしまうのではないかと感じてしまうほどの重い衝撃音を響いたが、しっかりと盾で受け止めたらしい。
踏ん張りと衝撃で、彼の大きな鼻の穴から鮮血が飛び出し、彼自慢の長い三つ編み髭を赤く染める。
・・・ゴブリンはともかく、あれはまずい。
ボクはとてつもなく臭いネズミからボルトを引っこ抜き、くっついてきた目玉を横目で見ながら痛みで4震える右手に持ち替え、左手でポーチをまさぐる。
灰を一つまみ、臭い目玉がぶら下がっているボルトに振りかける。
はやる気持ちを抑えて、呪文の詠唱を開始する。
この世界には目に見えないエネルギーや物質に満ちている。
魔法の世界においてエネルギーをダークエネルギーと、物質をダークマターと呼ぶことになっている。
それらは自然な状態のままでは目に見える形で物質に作用するものではないが、
生命が持つ強い精神に感応して物質や空間に対し何らかの作用や反作用を起こしたり、変成させたりすることがあるということが知られている。
それらを法則として我々が任意で行使するための方程式となるのが呪文だ。
では、今まさに使おうとしているこの魔法でなにをするのかというのを見た目通りに説明すると、灰を炎に戻してクロスボウ・ボルトにまとわせ、バグベアに向けて射出するということになる。
灰から火矢を作れる上、射出も魔法で行うので弓を扱うものにはよく便利でいいといわれるけれど、呪文は矢に比べて数が準備できないし、熟達したアーチャーと比較しようとする場合、そもそも呪文では速射ができないという現実がある。
狙いは"注目"することで見えない導線を作る。
正確に注目をする、という行為は簡単に見えて意外と難しい。
そのため、ほとんどの術者は指をさしたり武器の切っ先を向けたりして補助をすることが多い。
詠唱のさなか、左手の人差し指を向けてターゲットをバグベアとして指定し、
血まみれの右手で持っている灰をまぶしたクロスボウ・ボルトを捧げるように持ち上げた。
棍棒をかわしカウンターを放ったウルグリムのメイスが、バグベアの右わき腹にめり込むのと同時にボクは怒鳴るように詠う。
「Vbrgd Asch Sfn=smn Brn Phsph Srstf!」
クロスボウ・ボルトはあっという間に炎に包まれ、ボクの右手から弾き出されるようにして飛んで、彼の左わき腹にネズミの目玉諸共深々と突き刺さって肉を焼き焦がすと、彼は呻き声をあげてよろめいた。
そこでようやく、最後のゴブリンを両手剣で串刺しにしたゴルダがウルグリムの一騎打ちに加勢しに行った。
ボクはというとこの臭いネズミから一刻も早く離れたかったので、落としたクロスボウを拾って立ち上がりゴルダとウルグリムの背後に移動を開始した。
なにしろ、あのまま側面にいるとやけくそになったバグベアがこちらへ向かってくる可能性があるからだ。
強いものとの殴り合いを好むと言われる彼の性格上、あまり考えられないことではあるけれど、そうなったら一発昇天は目に見えている。
最初ウルグリムとタイマン状態だったバグベアは、ゲハゲハと下品に笑いながら殴り合いを楽しんでいた。
ボクのファイア・ボルトがわき腹に突き刺さってからは、歯を食いしばって無口になった。
そして、ゴルダが加勢してからは必死の形相で二人の攻撃を凌ぐばかりになっている。
「ぐ・・・ウヌヌ・・・シンセイな決闘に横槍を入れるダァ、ひでぇじゃねぇか!」
ウルグリムのメイスと片手でつばぜり合いをしながら、ゴルダが振るう両手剣の腹の部分を空いた拳でぶん殴って回避し、バグベアはうなるように喚きたてている。
「なーにが神聖じゃい、ボケがぁ!」
と、ウルグリムは逆ギレのように叫び、つばぜり合いをしているメイスを放り出し足元へ滑り込みながら蹴りをオーガの膝に叩き込む。
「決闘をしたければ、すべて終わった後で一人で出てくるべきでしたね」
相変わらず丁寧な口調のゴルダが、ウルグリムの背後から躍り出て剣を振り下し、体勢を崩したバグベアの体から無駄に大きな頭を切り離して戦闘は終了した。
彼にとっての神聖さとはなにを表すのだろう・・・
ふとそんなことを思ったけれど、理解できる気がしなかったのでボクは思考を放棄した。
「大丈夫ですか?」
ゴルダが心配の塊といった様相で駆けつけてくる。
もちろんバグベアの攻撃を受け止めて身長が1インチは縮んだであろうウルグリムもだ。
もちろん、運が悪ければあのひと噛みで白目を剥いて卒倒していただろうけども、今回はそうはならなかった。
幸いにもあのネズミは不潔で不快で死ぬほど臭いけれど、危険な毒や病気は持っていないからだ。
湿疹やジンマシンはしばらく出るだろうけれど、1時間かそこらもすればそれもおさまるはずで、外套や服にくっついたであろうノミやダニは何とかしようと思えばできるけれど、今はそこまで暇ではないのでそれも我慢するしかないだろう。
――これは彼らに内緒にしておくけれど、臭すぎて気付けになったというのはある。
ボクはそれを告げ、背負い袋からポーションを取り出して、一気に飲み込んだ。
このポーションには"キュア"という神の奇跡由来の呪文が込められていて、今のボクが負った程度の傷であれば、だいたい綺麗に修復しきってくれる効能を持っている。
これで無事ボクは、汗臭さに加え血なまぐささもプラスし、ネズミの悪臭とダニにノミまで身にまとった状態で楽しく洞窟探検ができるようになったというわけだ。
「悪ぃが、流石にここで休憩ってわけにはいかないんじゃ。先に進むとしようかの」
見事な三つ編み髭についた鼻血を皮袋の水で軽く洗い流したウルグリムがボクに告げ、臭いを気にしていたボクもそれに同意した。
そうだ、汗臭さと血なまぐささに関してはファイター二人もたいして違いはなく、二人には加齢臭というオマケも軽く付属しているわけで、ボクだけそれを気にしている場合ではない。
目の前には幅10フィート、高さ15フィートほどの真っ暗な洞窟の入り口がある。
洞窟の奥のほうに外部へとつながる場所があるのだろうか、洞窟を風が吹き抜ける音が、なにかとてつもなく不気味な化け物がいるようなうなり声をあげていた。




