2話:飲んだくれ達よ、潰れて眠れ。
ボクの故郷の小さな村は喧噪に包まれている・・・もちろん戦闘音ではなく宴の喧騒だ。
村の防衛戦はうまくいき、ひっくり返ったゴブリンは守備隊の攻撃によって息絶えるまで油の中でもがいたままだった。
勝利自体は、ゴブリンの襲撃を受け始めて久しいこの村では珍しいことではないのだけれど、ボクの帰郷もあり村中巻き込んでの宴会になってしまっていた。
ここはよくある貧乏で小さな村ではあるけれど、総出とあっては村の宿屋兼食堂兼酒場兼会議場である"閑古鳥の馬鹿騒ぎ亭"には入りきらない。
そのため各々椅子やテーブル、食材や酒を外に持ち出して村の広場に即席の宴会場を作り上げたということだ。
「まぁ飲めよ!そして食え!」
鎧を脱いだウォードがボクの頭を鷲掴みにしてぐわんぐわん揺らしてくるのを振り払って、それからボクは読んでいた呪文書が汚れないようにバッグにしまった。
こんな時までお勉強か!という表情のウォードを見てたボクは、渋々エールのジョッキを手に・・・しようとした時、その先の状況が気になり手を止めた。
「あー、やっぱ飲んじゃうとね。やっちゃうよねぇ」
ボクの肩口から顔を突き出しニコニコしながらのんびりと喋る女性は、この村の宿屋兼食堂兼酒場兼集会所の主にして村の顔役であるヒューマンのタリルだ。
ボクが持っている彼女の記憶はやはり8年前のもので、巻いた赤毛のほっそりとした美人という印象が強くボクも憧れたものだが、オカンの風格を身に着けたようだった。
しかしのんびりとした口調は変わっておらず、ニコニコとした表情からは美人の印象が十全に伺える。
8年の歳月は人間にとっては長く、それが彼女の見た目に十分な影響をもたらしていたが、当然それを馬鹿正直に口にしたりなんかしない。
のんびりで正直者で気のいいタリルだけれど、だからこそ彼女を怒らせたら怖い。
好き好んで尻が真っ赤になるまでひっぱたかれたうえでロープで縛られて木に逆さづりにされたいという者はそれほど多くないだろう。
しかし、尻が真っ赤になるまでひっぱたかれたうえで、ロープで縛られて木に逆さづりにされた経験を持つ者こそが、この村の住人ともいえる。
もちろんボクにもその記憶ははっきりと残っている。
そして、ボクやタリルの視線の先は、頭頂部から足の指先まで酒で真っ赤に染まったドワーフと、同じくらい真っ赤になっているヒューマンが派手に殴り合っていた。
「まぁ喧嘩は酒場の華さねぇ。ココは広場だけど・・・ところで飲んでる?」
アハハとのんきに笑っているのボクもつられて笑ってしまう・・・まさに彼女という人間を表すセリフだ。
酒から逃れられない運命を呪うものの、今は尻を大事にしたい気分だ。
先ほどジョッキをつかみ損ねた手でチキンのグリルを取っていたため、空いているもう片方の手を使い、くるくると指先を回し短い詠唱を唱え、ジョッキを魔法で手元まで引っ張り取っ手をつかんで軽く持ち上げた。
その姿を見たタリルは満足そうに笑い、
「飯も酒もまだあるよ、今日はケチなこといいっこなしだからねぇ」
などとやはりのんびりした声でいいながらボクと、少し離れたところに立っていたウォードの肩をたたいて宿屋兼食堂兼酒場兼会議場のほうに戻っていった。
「んで、あんときゃびっくらこいたぜ。突然変なもの取り出したもんだから」
タリルとの会話が終わり、ウォードが頭を掻きながらジョッキを片手に隣の席に座ってくる。
彼がタリルとの会話に混ざってこなかったのは、彼がタリルとの会話をを少し苦手としているところに原因がある。
腕っぷしを見込まれて守備隊に若くから入隊していたウォードは悪ガキ気分が抜けておらず、よく彼女によって木につるされていた。
もちろんその程度でめげるような悪ガキではなかったし、ずっとほれ込んでいた相手でもある。
どうやら未だに若きウォードの憧憬を引きずったままのようだ。
そんなことを思い出していると思わず笑みがこぼれ、彼はボクからもそっと目をそらした。
ちなみに、ゴブリンに使った魔法は『グリス・グラウンド』と呼ばれるいわゆる罠の魔法だ。
あれはぬるぬるの油で地面などを覆う目的で使われるので、まるでバナナの皮でも踏んだかのように滑って転んでしまう。
たとえ転ばなかったとしても、ぬるぬるの地面では踏ん張りもきかないし、素早く動くこともできない。
単純だけど効果的な妨害方法なのだ。
さて、こういう小さな村では神官が使うような神の奇跡たる神秘術ならともかく、知識の粋である魔術なんてそうそうお目にかかれるものじゃない。
魔法を使うには、神秘術でも魔術でも、ほとんどの場合は事前にいつでも使えるように呪文の準備をする必要がある。
ちなみに、魔法の行使に必要なものは、呪文書・準備・魔法具・補助動作・詠唱の5種だ。
呪文書とは呪文を書き記している本のことで、これは個々人でかなり個性が出る。
書き込まれている言語はヒトの言語ではなくドラゴンの言語で、彼らの言語には文法というものがないし、単語1つを見ても母音がないし発音もかなりファジーだ。
それゆえ同じ言語を使っていても文の構成や各単語の使い方に至るまで個性がでる、というか出すぎる。
普通に竜語で一文書きあげるだけで、竜語ネイティヴでもない人類種がノーヒントで読もうと思ったら暗号文になってしまう。
それゆえ人類種が扱いやすいよう竜言語を体系化し、誰でも簡単に読み解けるように学校が・・・なんてことはない。
この、自分が書いた竜語は他人にとっては暗号というのが、学者であり研究者である我々ウィザードにとってどれだけ重要かというのは考えなくてもわかると思う。
師と弟子という関係においてもそれは変わらない。
新米であれベテランであれ、ウィザードを目指す見習いであれ、全てが等しく研究者で、切磋琢磨しあう存在なのだ。
故に、互いの研究を披露しあう学会などはあるが、机の前でニコニコして座っていれば何でも教えてくれる場所は存在しない。
準備とは、クレリックなら神に祈り力の一端を借り受ける儀式を行う。
ウィザードなら、静かな場所で呪文書を開き、今日使いそうな呪文を選んで精神領域(あるいは単に意識とも呼ぶ人はいる)に設置するという作業工程だ。
ウィザードにせよクレリックにせよ、その他の魔法を使う人々にせよその細かい手順こそ違うものの、精神領域に魔法を設置するのは同じなのでやってること自体はそう変わらない。
例えば一番単純な"おまじない"レベルの初級呪文は精神の表層部分に設置することができる。
表層部分はこれは魔法を使うものでもそうでないものでも同じことだが、たいていの場合カオスだ。
仕事をしているときでもハラヘッタだの眠いだのダルイだのが渦巻いている部分となる。
そのため、表層部分はアクセスもよく整理整頓もしやすいが、個人差が全くと言っていいほどなく、ここのみは魔法が何個置けるかははっきりしている。
そして、設置した呪文を詠唱などで解放したとしても、また再設置するのは簡単だし、手間というほどでもない。
ただし、表層より奥の領域はアクセスするにも時間がかかるし、呪文書の読み込みや設置もかなりの時間がかかるので、1日の途中に再設置するのはまず不可能だ。
というのも、疲れもなく精神状態が落ち着いている寝起きの時点にやるのが一番効率的で、それがどんなに浅い層だったとしても軽く1時間はかかるのだ。
ということをすでに眠そうな顔をしているウォードに説明している途中、先の喧嘩二人組がずいぶんヒートアップしていることに気づいた。
「ああ、こりゃいかんな」
ウォードが頭を掻いて立ち上がろうとするのを手で制し、まあ見ててといいつつ今日準備してきたとっておきを披露する。
ポーチからラベンダーの花びらを一つまみ、他と比べて幾分か長い詠唱が必要なのが欠点であるこの呪文は、こういうときは使いやすい。
「Dffs Amtsk Mz=blbn Rst,Skyrd DySchch Mgfld・・・おやすみなさい」
小さく詠うと同時に、テーブルを持ち上げたドワーフとジョッキを振りかぶっているヒューマンが唐突に動きを止め、瞼を閉じ、盛大にひっくり返ってその後頭部をしこたま打ち付けるも、ぐーすかといびきをかいているのが見える。
安堵と、あきれ半分の溜息ののち、周囲は喝さいと笑い声であふれかえった。
あんまり見せびらかすもんじゃないんだけど・・・と思いつつも、楽しい故郷でのパーティーがつまらない喧嘩で台無しになるよりはマシだったから、後悔はしていない。
「あー、今の歌?が魔法なのか?」
呪文書の記述法も、起動キーも、詠唱の方法も、補助動作の形も人それぞれで個性の塊だ。
ボクの詠唱はまるで歌というほどではないが微妙にメロディがついていて、その動作は指揮者の様といわれている。
では、魔法の体系とは?
魔法の効果とそれに最低限必要とされる要素のまとめ、そして人の言葉に修正した効果の名称・・・つまり、先ほどの魔法は『スリープ』という名の魔法なのだ。




