第474部 近江金ケ森、比叡山攻略
近江国、金ケ森城。
かつて、金森御坊と呼ばれた浄土真宗の総本山だった場所である。
派遣された志村城から引き揚げ、金ケ森へさっさと撤退した川那辺左衛門太夫秀政は、志村城・小川城の落城に焦っていた。
一揆軍の数を頼みにしていただけで、織田軍を迎え撃つ妙案はなく、今も石山総本山へと援軍の派遣を求め続けている。
逢坂から派遣される前に顕如門跡からは、高宮右京亮を手伝って磯野や新庄、多賀や藤堂を味方に引き込み、宮部と連携して近江を一向一揆が支配する国へと変えよと命ぜられたが、今や金ケ森城を残すのみである。
せっかく、逢坂石山表の戦い、伊勢長島の戦いで、一向一揆の信仰に裏付けられた強さを示してきたのに、近江では連戦連敗と顕如上人の威光に泥を塗り続けている。
(逢坂からの援軍もなく、朝倉や浅井の上洛軍も来る様子はない。儂はまわりに見捨てられたようなもの。まずい事態だ)
「織田方、近江永原城主:佐久間信盛より使者が参りました」
「会おう!」
虚勢を張って出迎える準備をする秀政。
「佐久間家家老:山口半左衛門重勝に候、信盛殿より降伏するか、退去するかを選べと言伝を伝えに来た。知っているかと思うが、もうすぐ信長様が来着する。その時になって降伏しても皆もろとも撫で斬りにされるだけだ。退去するのであれば、我が子:竹丸を人質に出し京都までの道中を保証しよう」
「すこし、考慮させてくれ」
「熟考されよ」
(これは、願ったり叶ったりだ。一揆衆の頭領たちには命を惜しみ次の機会に鬱憤を晴らせといおう)
間を持たせてから、応じようと苦渋の決断をした表情で答える。
「それでは、人質を受け取り退去する」
山口家の竹丸が送り出され、一向一揆衆は金ケ森城を退去した。
*****
金ケ森の無血開城に成功した佐久間信盛が、常楽寺城を後発した当主:信長を出迎える。
「見事であった信盛」
「大殿様の戦上手の御威光のおかげであります」
「であるか」
いつものやり取りをして、本丸に入り参陣諸将との戦評定を始める。
金ケ森には、坂本表の田中村の城砦から明智十兵衛光秀、横山城からは弟に留守番を丸投げにして木下秀吉が駆けつけ、信長の連勝を祝しに来た。
*****
「上方の鎮定の為に上洛する。途中、休息のため宇佐山に向かうぞ」
「「ははっ」」
上方方面に退去した一揆衆に追撃が始まったと疑われないため行軍はゆっくりと進める。その間に野洲川から草津川にかけての湊町へと派遣し、五万の兵員が渡河するためといって漁師と船頭として雇い、ほかにもありとあらゆる船を貸し出すように要請し代金を払って徴収した。
途中、大津瀬田では、在地の国衆:山岡景隆の出迎えがあり、その案内で天台宗寺門派総本山:三井寺(園城寺)にも立ち寄った。昔、景隆の弟がいた三井寺の坊院のひとつ光浄院が目的地である。
坊主だった山岡玉林房(景猶)、暹慶坊(景友)兄弟が出迎え、そこで休息をとる。そこでは瀬田の軍監;村井新四郎貞成と、信長の近臣:槇原加賀守恒康が、信長馬廻りに合流した。
信長は其処でも未だ、金ケ森から避難する一揆の輩の行軍が遅いので、都入りを待つために目的地は宇佐山だとうそぶいていた。
「景猶よ、余が比叡山延暦寺に抱いている多くの失望が分かるか」
「今や山門の坊主衆は出家の道を外れ、修行を怠り、欲に溺れて勝手気ままにしております。私も同じ天台宗宗派であると言われることも恥ずかしい思いです」
「消し去りたいか」
「天下の笑いものである比叡山の山門が消えても、三井寺が総本山である限り天台宗開祖の灯火は消えませぬ。あの汚れた山門に昔の価値はありませぬ」
「比叡山は天下の笑いものか。 良く言った、気に入ったぞ」
信長は機嫌よく、宇佐山へと出発した。
******
国境、比叡山表。
「比叡山を囲め、湖上は動員船で完全封鎖せよ」
「はっ、はい」
傍衆達が、旗頭たちに伝令に走る。
布陣は、堅田表の北から、織田家の味方となった磯野員昌と新庄直頼兄弟が高島郡から伊香立まで南へ出張し、比叡山の尾根伝いに若狭や越前に逃亡しようとする者を取り締まる。
浅井・朝倉の家臣団の面々の人相を知る磯野や新庄には適した役割だ。
柴田勝家とその与力衆の軍団は、進軍を早めて北進し。堅田口を抑えて、北から比叡山を圧迫する。
氏家家の当主が代わり、新生した西美濃三人衆も麓の西教寺周辺を包囲する。
明智光秀は講和仲裁後に双方の監視軍として滞在していた幕府軍を率い、織田家からの与力の三宅親子と、幕府からの与力である足軽大将衆を指揮している。
田中村に居る都合上、幕府軍が正面切って比叡山を駆け登らなければならない。
先の上方の戦では石山本願寺の説得に失敗したが、その本願寺挙兵の対応の手際の良さに逆に疑念を持ち、こんどはどう出るかと明智十兵衛の能力に対して信長が与えた試練でもある。
光秀は外様である立場をよくわかっているので、今回は僧兵相手に力戦し、真に役に立つところを証明するつもりだった。先年の比叡山との和睦から今までの期間、登山行程や放火する寺院の場所、罠に用心しなければならない場所を徹底して調査し準備は万端である。
光秀は、田中砦城の武器倉庫を開放して、幕府軍の貯め込んだ物資を投入して出陣。日吉大社を睨み、坂本口を閉鎖する。
丹羽長秀とその与力衆の軍団は、幕府:光秀軍と連携して穴太口を抑え封鎖する。
中川重政とその与力の建部入道寿徳は、見せ場を作るため僧兵の立てこもる陣城がある壺笠山口を攻撃を希望し、その登山口を封鎖する。
川尻秀隆とその与力衆も、激戦が見込まれる崇福寺口を封鎖する。
佐久間信盛は、信長本陣の前面の守備を預かっている。
信長自身は、宇佐山城の北東側、比叡山の麓の大伴黒主神社に陣を置いて、登山口を封鎖した。
宇佐山城は、伊勢長島に備える森長可にかわって坂井政尚の遺児:坂井久次郎が、森家・坂井家の与力衆を糾合して在城している。
堅田表の湖上には、急遽編成した水軍の将には、信長を少人数で追いかけてきた木下秀吉が充てられた。
湖上で篝火を焚き並べ、大津や堅田まで逃亡した者が居ても、船での脱出は許さないという山に向かっての意志表示を任されている。
坂本表での二重三重の封鎖により、山頂から見た者は山城国側に逃げるしかないと考えるように仕向けている。山院の高僧や、真剣に修行中の僧ならば、山頂付近に居るから見れば、近江国側に降りればどうなるか分かるだろうという信長の配慮である。
******




