390部:日向守長逸、出陣
8月17日。摂津国、福島城。
「頼んだぞ日向守!」
聡明丸が城門の二階欄干から出陣を見送る。
「おう」と馬上から見上げて答える日向守長逸。
「古橋城の悪党討伐を任せたぞ!」
「きついお灸をすえて来ますよ(笑)」
隠密から古橋城の籠城人数が少ないと聞いているので、三好軍の表情は明るい。
意気揚々と福島城から出陣した三好三人衆の筆頭:三好日向守長逸。彼が今回の古橋城攻略の遠征軍を指揮する。
先鋒は、長逸の兄で三人衆方の一族の長老:山城入道笑岩(康長)の軍団。
第二軍は、義賢(入道長慶の弟:入道実休)の次男で十河家に養子入りした十河在保の讃岐衆。
第三軍は、一門衆の三好為三が、摂津・南山城の牢人衆を率いる。
本軍は侍大将の岩成主悦介左道(幕府に降服した主税助友通の息)、堺の傭兵出身の松山新介重治、紀州太田の傭兵長・松本宗佐と刑部親子が軍団を纏め、長逸の馬廻衆を警護する。
後軍は、三好長治と十河在保の後見人で、阿波三好家の家宰:篠原長房。
最後尾に細川家の重臣・香西越後守が、聡明丸の代官として細川京兆の旗を擁して従軍した。
同日のうちに淀川に沿って北上し、足利義昭に従った河内国守護:三好義継の守る河内古橋城(大阪府門真市御堂町あたり)を囲む。京兆家と三好一門を裏切った制裁を加える。
半国守護の領内各地では、義継の重臣・三箇城城主の伯耆守頼照(白井サンチョ)と息子・頼連、四条畷岡山城の結城左衛門尉と叔父の弥平治、八尾の池田丹後守教正と多羅尾右近等が籠城し、三人衆の兵力分散を狙っている。
しかし、三人衆方には、反織田派の堺一部町衆に金で雇われた、紀伊国雑賀衆等の傭兵団が加わっていて、京兆側は充分な兵力を擁しており、各城攻略へ派遣する兵力の分散も大きな問題にならなかった。
三好本軍の出陣を確認し、信貴山城の松永久秀から、惣領の三好左京太夫義継が危ういという早馬が、京都や義昭傘下の幕府大名の元に走る。
京都新二条城では、将軍:義昭を前に、占いで政権を牽引する祈祷師の吉田兼右(「吉田侍従」)、義昭に忠節を尽くす大館伊与守、有望な軍司令官である一色晴具、知略に優れた三淵大和守藤英とその弟で「三淵」細川藤孝、二階堂中務大輔、楢柴若狭守、矢島越中守、藤孝のお抱えだった明智十兵衛、足軽大将で武辺者の野村越中守ら幕府奉行衆が集う。
「光秀、信長殿はいつ頃上洛されるのだ?」
伏せ気味の光秀の顔をのぞき込む。
「細川は、余に替わる将軍を用意しているのか?」
次は大館伊代守を見る。
(余以外の足利の血は消さねばならぬ)
「くそ、いまいましい京兆家め、侍従よ祈祷せよ」
吉田神社の神官:吉田兼右に天下静謐の祈りを命じる。
将軍家としては、今回の騒乱を管領・細川京兆家の謀反としてではなく、三好家の内紛として処理し、幕府内部の将軍と管領の対立の構図とはせず、幕府体制は万全とみかけ上を納めたい方針だ。
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8月20日。近江国、横山城。
その日信長は、東近江横山城にて城主の木下秀吉や蜂須賀党、与力達と朝倉・浅井の動きを、そして、伊勢・伊賀方面の情勢を協議していた。
信長本隊が目標近くに先行し、あとから重臣たちの主力軍勢が駆け付ける。いつもの動員体制だ。
常に信長の動きを注視し、彼の動きについてこれるものが軍功を立て出世することになる。
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美濃国、岐阜城。
美濃の岐阜城では、信長の招集に応じて、続々と各大名、小名、寄親親方に率いられた子分兵卒が結集している。岐阜の町の郊外寺社を野営地として陣地を張るが、そこへ更に東海道一円(三河・尾張・美濃・北伊勢)の浪人者も縁を辿って寄り親に仕官、もしくは陣借りにやってくる。
荒ぶる武士達は皆「我こそは」と戦国の世に名をあげ、人一倍目立つための派手な死に装束をまとい、「傾奇者」と呼ばれる血気たぎる強者ばかりだ。
岐阜城では、第一陣出陣の陣触れを受けて、遠方の各地(三河・尾張・北伊勢)から馳せ参じた織田家連枝衆の面々が集う。
山麓御殿、千畳敷の大広間。そこでは、信長の不在で手薄となる尾張・美濃・西三河について、いざと言う時の奇妙丸の出陣についても塚本小大膳を中心に話し合われていた。
明日出陣する主力軍の大将は信長の弟・長野信良(のち信包)。
左右の補佐に叔父・津田孫十郎信次と美濃衆率いる斎藤長龍。
以下には弟の信興、信治、柘植、織田太郎左衛門信張。
伊勢の神戸蔵人大夫具盛、関安芸守盛信、津田掃部助一安。
尾張からは梁田や佐治信方。熱田の千秋季直、一宮の関十郎右衛門、水野信元、久松俊勝等の軍団がそれぞれ上洛する予定である。
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