389部:畿内動乱
8月13日。摂津国、伊丹城の郊外。
尼崎の安宅甚太郎信康が、今度は逆に尼崎湊から出陣し、将軍方摂津三守護のひとり伊丹親興の守る伊丹城を総攻撃した。
摂津の国衆:池田知正軍との連合軍だ。
また、現地では東備前・播磨からは守護の赤松氏、西播磨の旗頭の別所氏を武力で黙らせて加勢に来た浦上遠江守宗景とその与力国衆・浮田直家の軍が合流し城を包囲する。
その総兵力は1万兵に膨れ上がっていた。
「宗景殿、よくぞ来てくださいました」
守護・赤松氏や毛利氏を敵に回しても怯むことのない胆力をもつ西播磨の雄・浦上宗景。その顔は顎髭を蓄えいかにもな戦国武将面をし、己が武略の自信を全身に漲らせている。
「はっはっは、我らが毛利に囲まれた時は、三好水軍のお力を期待しております故な」
「お任せくだされ」
赤松家を蹴散らし、播磨の覇者となった宗景は、今や飛ぶ鳥を落とすような覇気をまとっている。
「こちらは、浮田殿で御座るか?」
「そうだ、我が家の懐刀、直家で御座る。備前刀のように切れ味の鋭い男ですぞ」
宗景が紹介したのは、謀反が失敗し挫折したばかりの三郎右衛門尉直家だった。
「お見知り置きを」
何処か不満そうで眼光の鋭い直家に少し怯む信康。顔に迫力があるこういう人相なのかもしれないが年齢が幾つか読めない。
「期待しております。直家殿」
「はっ」
直家としてはここで軍功を挙げて、宗景に自分がまだ役立つことを見せねばならず、背水の陣である。
丁度その時、鬨の声と一緒に伊丹城の城門付近で、鉄砲・弓の撃ち合いが始まる。
今回の競り合いの開始は、伊丹城側からの先制攻撃があった様子だ。
「仕掛けて来たか?!」
合戦開始に奮い立つ信康。
「始まったか。伊丹などは、ただの裏切り者ではないか! それを守護などと義昭も信長も、たかがしれておるわ!」
城に向かって吐き捨てるように言う。
直家の前には一瞬怯んだが、味方に人数を得たと思い直し、いつもよりさらに強気になる信康。
その包囲軍の陣地に合流する新たな軍団があった。
別所氏から派遣されてきた軍団だ。別所の若き当主:長治を支えるもう一人の叔父・山城守吉親が三好方について動いたのだ。
立場は長治の御名代として、英賀城を拠点とする国衆・三木通秋、安正親子が与力としている。
不安定な畿内の情勢をみて別所家は家臣団が二つに割れ、守護・赤松氏と守護代・浦上氏のどちらに従うかが命運を分けることになる。今や吉親と重棟の兄弟は、水と油の関係となっていた。
「別所山城守吉親の一党が合流しました!」
陣幕傍まで早馬が報告に来る。
「そのまま城攻めに参加されよと伝えよ!」
「ははっ!」
別所家の態度が鮮明でなく、結局、二股の状態であるので信康としては冷たい態度に出る。
「伊丹は落ちたも同然だな!」
信康は空に向かって拳を突き上げた。
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河内国、古橋城本丸。
河内半国守護・三好義継(十河一存の息子)と、同じく半国守護・畠山高政の河内同盟軍は、河内国新開潟の北方にある古橋城に軍勢を集結させて、西沿岸の野田・福島城の三好軍に備える。
「四国の三好党はあらかた京兆家についてしまったようですね。こう言っては失礼なのですが、左京太夫殿は、孤独ですな」
河内半国守護となり立場は同格だが、家の家格としては畠山家の方が名門である。
「正義を貫こうとすれば、孤独になるものです」
そう言って下唇を噛み締める左京太夫義継は、三好家の為に将軍・義昭方に付いたことを後悔はしていない。
「差し出がましいかもしれぬが、三好一党の一族の者とは、やり取りはあるのですか」
義継を心配する高政。
「一族は、私が義長殿の名跡を継いだことで嫉妬の目で見ているので、従兄弟達とは全く・・・」
「そうですか、従わぬ者は打ち倒し頑張って家をまとめてくだされ、この高政も畠山一党を統べるのに苦心している。
上手くは言えないが、左京太夫殿の心境が分かります。似た者同士の間柄、協力いたしますぞ」
「有難いお言葉です。この戦い、家格的に細川京兆家と張り合えるのは畠山殿のみ。期待しております」
「私も将軍同様に、血統のみが求められる名ばかりの存在ですが、左京太夫殿の後援が得られれば有難い」
「任せてくだされ」
長年、細川家に煮え湯を飲まされてきた畠山家としては、ここで細川聡明丸を排除し再び将軍家の一家として幕政に重きをなしたい。
難敵を前に、自然と打ち解け合えた両党主。両人とも聡明丸よりもよく現在の自分の立場が分かっている点、人としては大人だろう。側近たちが良く世情を教えているのかもしれない。
その背後に見える生駒山、信貴山の山並み。
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大和国、信貴山城。
信貴山頂には、彼らの後詰を担う松永久秀と右衛門大夫久通親子が、信貴山城楼閣から河内平野を見下ろし、瀬戸内海と逢坂、和泉国の堺方向を交互に見て、三好軍の別動隊の動きに備える。三好軍本隊ではなく、三好に呼応して松永家への不満分子が軍勢を催すかもしれない。
「堺に上陸しなかったことは、三人衆を褒めてやろう」
後ろに控える長男・久通に聞こえるように、独り言とも、語り掛けたともいえる音量で呟く久秀。
「そうですね、あの街が戦場になれば多くの人が死にます」
父の言葉に律義に答える久通。
「いやいや・・(微笑)」
「はっ?」
「戦争で多くの寺社建築や、名品が失われるのが惜しいと思ってな」
「そちらでしたか」
東大寺を燃やすことも、京都で騒乱を起こすことも必要とあれば厭わぬ父が、我が身の行いを忘れたかのように言うことが内心では可笑しい。
「宮人に喪失感を与えることで、時代の移り変わりを自覚させることもあるが、それは最終手段だ。堺の街や、生活物資を生み出す工房、貿易港は、今の戦争には必要だからな。失うわけにはゆかぬ」
「無くなれば、皆が困るのは必定ですからね」
「しかし、織田と三好の戦争で、堺は莫大な財産を得るだろうな」
応永の乱以来、堺の港街城は度々争乱に巻き込まれ、主戦場となって被災したが、その度に不死鳥の如く復興を遂げてきた。今回は、織田と三好の争いを遠ざけて、戦場となることを上手く回避した。
「町衆は、上手く立ち回りましたね」
「そして、死の商人として活路を見出した。流石、津田宗及殿といったところ」
父や、商人たちの政治力、危機の中でも稼ぐしたたかさを見習わねばと考える久通。
両者が本丸天守閣の欄干から見下ろす河内平野の反対側、信貴山城から東方の盆地が松永家の主戦場だ。
久秀が守護を勤める大和国では、国衆の筒井・箸尾ら有力な武家が、逢坂に集結した三好方に呼応して松永に侵された領地を奪回すべく旗揚げの準備をしていた。堺からの物資補給の為に和泉・河内両国の兵站線は確保しなければならない。
「本願寺は、大人しく静観するかのう。門主殿も宗及殿のようにしたたかであれば良いのだが・・」
大和国人衆の抵抗はいつものことだが、逢坂の本願寺一派の動向に一抹の不安を覚える久秀だった。
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