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織田信忠ー奇妙丸道中記ー Lost Generation  作者: 鳥見 勝成
第四十二話(大坂、野田・福島の合戦編)『奇妙丸道中記』第六部
388/404

388部:安宅信康

https://17453.mitemin.net/i511053/


挿絵(By みてみん)

摂津野田城に入城した細川聡明丸に続いて、三好三人衆方の淡路海賊衆:安宅信康が、淡路勢1500兵を率いて兵庫湊に安宅船を接岸し海岸に陣地を置いた。ここから近い越水城はかつて叔父・三好筑前入道長慶が若き日を過ごした摂津三好家の第二の故郷だ。

この故地は、畿内に猛威を振るった細川高国、その重臣だった瓦林家に今は抑えられている。当主・瓦林三河守は越水城と瓦林城の門を固く閉ざし、細川三好軍の襲来に備えた。


安宅信康は18歳、実父の摂津守冬康に面影は良く似ている。海賊衆を率いる船乗りとして育てあげられた精悍な若者だ。父の死後に安宅家を継承した。今回、実弟の冬康は毛利水軍に備え淡路島の守備のため留守居に残し、畿内攻略には同行していない。


兵庫湊では、水軍撃退に駆け付けた三守護のひとり伊丹兵庫頭親興と、越水城の後詰に駆け付けた播磨国の赤松一族の将軍派:別所重棟等が上陸を阻む。

重棟はこのとき41歳。兄・安治の忘れ形見で若き当主・小三郎長治を外交面にて支える脂ののった武将だ。ちなみに家督を継いだ小三郎は、奇妙丸の三歳年下だった。


畿内では続々と若手武将が天下に名をあげんと志し頭角を現してきている。伊丹兵庫頭はこの時数え19歳の若大将として、家臣団からは将来を渇望されている。


安宅、伊丹の若大将対決に沸く両軍。


兵庫頭を冠する我が若大将を守り抜かんとする伊丹軍の奮戦をみて、安宅信康が上陸は難しいと判断し兵庫湊から撤収、もっと上手の尼崎湊を目指す。


「やけにあっさりと退いたな?」

親興が訝しがっているところへ瓦林三河守が救援のお礼を告げに来た。

「後詰ありがとうで御座る」

「瓦林殿は三好水軍を阻止する重要なお役目を果たされている。我ら必ず駆け付けます」

「うむ、ありがたい」


堺に匹敵する港湾都市・尼崎湊では、山麓の池田城から池田軍が、新たな惣領:池田久左衛門知正を筆頭に、荒木村重や中川清秀が信康を出迎えた。

兵庫湊に出撃している伊丹軍の隙をついて、尼崎湊(大物浦・神崎津)まで駆け付けたのだ。


「聡明丸様の御帰還、祝着至極に存じ上げます」

池田知正が、甲板に上がり信康を迎える。知正は奇妙丸と同年齢の16歳の若武者だ。


「伊丹親興は此方の陽動にまんまと引っかかってくれた。少々知略が足りぬようだ。知正殿も勝正を追い出した聡明丸様への忠義、見事に御座いました」

答える信康。

「細川党が健在なことを、義昭と信長にみせつけてくれましょうぞ!」

待機する軍勢にも聞こえるように“細川党”を強調する。先日の当主:池田勝正追放の大義名分は、摂津細川守護家体制が正しいと唱える若者:久左衛門知正一派の軍事行動だった。

「おう!」

久左衛門知正を新惣領とした荒木・中川等の武闘派重臣たちが応じる。


尼崎湊の管理者である大物町衆・神崎町衆に熱く出迎えられて、池田知正・荒木・中川と杯を交わす信康。

(三好家の力なくては天下を治められぬ細川京兆家なのだがな・・。まあ、せいぜい京兆の旗のもとで我らの為に働いてくれ)

微笑みながらも心中で池田軍を小馬鹿にする。

祝宴の池田勢の中では、信康から杯を与えられた荒木と中川瀬兵衛が、当主・勝正を下克上で排除して自分達の武将としての地位が一段上がったことを確認し、町衆から振舞われる美酒と肴を噛み締めていた。

「これからは、我らの時代よな」

従妹の村重が、瀬兵衛に話しかけた。


「なんだ、もう満足しているのか。まだまだ俺たちは昇るぞ、兄弟」

「ああ、そうだな」

「高みから、天下を睥睨しようぞ」

「ああ、兄弟。再び誓いの盃だ」


池田・荒木・中川軍と安宅水軍の合流の動きに気付いて、一番京都に近い摂津三守護のひとり高槻城主:和田惟政、嫡男の惟長親子に、その与力の茨木城主の茨木佐渡守茂朝が急遽迎撃に向かった。


四国・淡路からの増援をこれ以上許しては更に面倒なことになる。畿内に潜伏する管領:細川党の勢力が息を吹き返すかもしれない。ここで一度、三好の淡路・阿波・讃岐水軍の拠点を叩いておきたい。

京兆・三好軍が完全に上陸する前に、幕府方の北摂の豪族:塩川国満・長満親子率いる塩川党と合流し湊を叩くつもりだった。


尼崎を見渡せる、伊丹台地の南端に登り、配下の甲賀衆に命じて得た情報を収集し。敵陣地を把握する和田紀伊入道惟政。

*和田氏は近江甲賀郡の武家、永禄八(1565)年に、将軍・義輝が謀反にあった際、弟・一条院覚慶を匿った。この功により摂津三守護の一人となり、義昭の有力大名として幕政を支えている。


「これは・・」

湊に集結する、三好水軍の威容を見、陸上では郊外に陣取る各武将の陣地の幟を見、絶句する惟政。

(伊丹親興や塩川殿と最初から協力して沿岸に布陣していれば、みすみす上陸させることなどなかったのに・・)


三好軍は本気で京都を奪還し信長殿との決戦を挑むつもりで渡海してきている。


「今伊丹と合流したとて、我らの兵力だけでは四国に追い返せぬかもしれぬ。茨木殿と協力し高槻、芥川、勝龍寺城の防備を固めて、京都を守らねばならぬな・・」


紀伊入道惟政は戦力差が大きいとみて、一度本城の高槻城に帰還し、信長軍の後詰を待つ防衛線を張ることに決めた。


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