387部:奇妙丸と聡明丸
近江国、7月4日。
信長は義弟:丹羽五郎左衛門に佐和山城周辺の後のことをまかせ、馬廻衆を率いて上洛。
明智光秀邸宅に立ち寄り宿泊する。
そこで光秀から、京都と摂津・和泉方面の畿内の状況を聴き取る。
光秀は、阿波に居る前管領・細川晴元の遺児:細川聡明丸から、将軍側近で勝竜寺城主の細川藤孝宛に、当方(京兆)に味方せよと命令が届いていると報告する。
「京兆家が、そこかしこに書状を送り畿内の結束を切り崩しに掛かってきています」
十兵衛光秀が深々と頭を下げて報告する。
「ふん、過去の亡霊が」
「代々幕府を牛耳ってきた細川京兆家の権威と影響力を、侮ってはいけません」
光秀が、信長を諫める。譜代家臣でもなかなか出来ないことも、臆せず進言する。
信長も客観的意見を述べる光秀の言葉には腹が立たない。
「ならば、京兆の系譜も、こちらに取り込めば、使える駒となるかもしれぬな」
「流石、信長様、その通りです」
「光秀もそう思うか?」
「池田勝正の首級を差し出せと脅されて、僚友:藤孝は細川の姓を捨てたいと悩んでいる様子ですが、聡明丸がどう動くか先行きを確かめてからでよいではないかと止めています」
「奴(藤孝)も、苦しい立場よな」
三淵家から、淡路細川家の猶子となり、細川の名を冠する立場ならば、惣領家である京兆家に従わなば、細川一門の資格と待遇を失う。
「我らは、天下の為に信長様に従います」
光秀は、藤孝と一心同体の様な関係であることを強調する。
「わかった」
翌日、将軍・義昭に「野村姉川合戦」の戦勝を報告。そして、明智光秀に命じて六条河原に朝倉家の大将首をずらりと並べ、民衆に将軍家とその主たる軍事力を率いる信長に逆らった者達の結末を世に宣伝する。
京都の都督的立場に引き立てられていた明智は、親織田派の町人頭:長谷川宗仁らの協力で、このような首都民衆を動員する催し事の手配を抜かりなくこなす。
「どうやら、朝倉さんは、大敗したらしいな」
「逃げる必要はなさそうやの」
町人たちが、六条河原で観たことを噂し、たちまちのうちに織田家の優位が全国津々浦々に知らされることになる。
都に戦火は及ばないだろうと、首都の民衆は安心し、再び日常生活に戻る。民心を掴むための動きを信長は心得ていた。
そして、すぐさま美濃に引き返し、京都と美濃の交通網が分断されず、織田家が実効支配していることを世に示してみせた。暗殺に怯え千草峠越えを行った時のような無様な退却はもうない。
7月8日。信長が美濃に帰還し、鎧を脱いだころ。
丁度、奇妙丸も無事に岐阜城に帰還し、信長に松姫との件と武田家の内情を話し、信玄からの内々の言伝を報告する。
「信玄入道の忠告は有り難いが・・、
良いか奇妙丸。余の見立てでは、大坂御坊のあの場所は龍脈の顕在する金玉の地。政治的にも、貿易港のある和泉堺、あの場所よりも将来は重要な場所となるだろう。
西国平定に向けて、絶対に我が手で抑えねばならぬところだ。顕如には他の土地で布教をするならば、咎めだてはせぬつもりだ。本拠地を移すのは、余自身はたいして苦ではないのだが・・。
顕如は、普請が嫌いなのか?」
父:信長の、根拠地に対する価値観と、顕如の価値観がかけ離れていることに気付く。
このままでは、お互いの正義がぶつかりあい、衝突は避けられないかもしれない・・。もっと話し合いが必要だ。
「信玄公は、もう少し丁寧に手順を踏むことを望まれているのでは?」
「うむ。そうかもな」
思案を巡らせようとしたところ、そこへ、万見仙千代と大津伝十郎が、早馬の情報を取り次ぐ。
「殿様、若様も、今井宗久殿から早馬が参りました! 畿内表で、上陸した四国三好軍が蠢動していると!」
「わかった。奇妙丸、家老供と手分けして国衆に出陣の触れを回せ、余は旗元を連れて先に出る!」
とりあえず、本願寺のことは後回しにする信長。
(予想通り、三好長逸が、引き込んでいた阿波から三好党を引き連れて出張ってきた。ここで三好党を粉砕して、天下の秩序を乱した三好の時代は終わり、織田家が畿内の覇者となることを示す!!!)
「あっ、父上! ・・・・ 行ってしまわれた・・・」
言伝は確かに伝えたが、結果が伴うか判らない。信玄入道に、自分を信じてほしいと言った言葉に嘘はないが、期待に添うことが出来たのだろうか・・。
「三好がもう少し休んでいてくれれば、父ともう少しゆっくり話ができたのに(怒)」
奇妙丸の義父の期待に応えたいという焦りと、やり場のない思いが、摂津に上陸した三好家に向いた。
摂津では、三好三人衆の首領:三好長逸が、一足先に阿波勢を率いて摂津に上陸し、天満の森に布陣。
昔からの拠点:野田砦と、福島砦を利用して、応急的に堀を深め、柵を補強し、城郭として使えるように城普請を始めていた。
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7月27日。摂津淀川河口、野田城と福島城。
「着岸したか。いよいよだな」
みるからに貴公子然とした若者が、舳先に乗り出し湾の雄大な景色を眺める。
「波の中の無事到着、祝着至極でございます」
聡明丸と同じ年頃の若者が横隣一歩さがって控えている。
彼も聡明丸に劣らぬ貴公子ぶりだ。その背後には更に同年代の煌びやかな衣装をまとう若者たちが控える。
「おう藤次、お主は船酔いは大丈夫か?」
「まだ、ぐらぐらしている感じで少し気分がすぐれませぬ。若様は流石に武家の棟梁なだけあってお強い」
「はっはっは まあな!」
褒められて素直に喜ぶ聡明丸。
お供の細川藤次は同族の細川典厩家から三好家に派遣(ほぼ人質)され兄弟のように育てられた。
ほかにも三好家に聡明丸の御供として集められた細川一族の若者達が聡明丸の親衛隊を形成している。
細川京兆家の若き大将:細川聡明丸(22歳、本来は将軍:義輝の偏移を受けて六郎輝元と名乗るはずだった)が、阿波から渡航し畿内入り、大坂湾沿岸の要衝「野田城」に入城したのだった。
聡明丸はかつての京兆家の栄華を取り戻したい。織田奇妙丸が足利義昭の猶子となり、管領家と同格の家格となるのに嫌悪感を覚える。それに、母:六角氏の実家を滅亡の窮地に追いやっていることも許せない。
「斯波の守護又代出の織田家ごときが(怒」
(正しくは又代の奉行出です)と心の中で突っ込む長逸。
上手く当主を擁立利用して、それを支える三好長逸・三好康長・安宅信康・十河在保・三好政勝の三好一門衆。
城門に居並んで聡明丸を出迎える、三好家の重臣である篠原長房・岩成友通・松本某・香西越後守といった実力者たち。
それに、客将である斎藤龍興、長井道利をはじめとする旧美濃衆。
「織田家憎し」の思いが一致する旧幕府方、その数、讃岐・阿波国勢の八千兵。
更に、摂津国伊丹城の守護:池田勝正を追い出して、池田知正、荒木村重、高山友照、中川清秀はじめとする親京兆家派の池田武断衆が従える一万兵も合流する。
幕府管領・細川京兆家の旗の下、彼らは摂津を実効支配し、四国から京都への足掛かりとして確保、淀川を遡って中央への返り咲きを狙うのだった。
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