383部:首実検
竜ケ鼻砦の後方の尾根。
「横山城主将、三田村左衛門尉国定を、打ち取ったりー!」
乱戦の中、大音声に功名を名乗る。
「浅野長政旗本、今村氏直の首、打ち取ったり―!!」
雑兵たちが敬意を表して道を開ける。ここは織田方の柴田勝家・氏家卜全 対 野村直隆・三田村国定の軍がぶつかる戦場だ。
「信長様は、何処におわす?!この大将首の実検を!!」
竜ケ鼻砦:本陣入り口にて、泥と血にまみれた武者達が砦の守備兵に聞く。
「横山城の三田村の首、我が取ったり!! 我が殿に御見せせん!」
横山城将:国定の首を捧げながら、猛る武者が信長を探す。
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「城主:三田村戦死」
横山の城将:三田村国定戦死の報が、戦場を駆け抜け、勝利の気配に気が緩む信長本陣。
「三田村の首級が届きました!功名者が持ち込んでまいりました!」
陣幕に搦手門からの伝令が駆け込んできた。
信長が傍衆達に命じる。
「本当かどうか確認せよ、それから褒賞の、うちアワビを用意しておけ」
陣幕の外から、勇士の声が聞こえる。
「三田村国定の首級を、持参致した。御大将に御面会をー!」
喉の渇きのせいなのか、声はしゃがれて、非常に聞き取りにくい。
「通せ、三田村を打ち取った勇者、余が自ら見分してくれる」
堀秀政が、信長に代わり大きな声で答える。
「通れ!」
その全身は泥と返り血で汚れ、先程まで戦場で斬り合ってきたとばかりと一目で分かる。足を引きずりながら、槍を杖に、小脇に武者首を抱え、全身から湯気が立ちのぼる武者が入ってきた
「それが三田村の首か、近う寄れ、褒美を取らす」
信長に声を掛けられ、目が輝きを取り戻す武者。
「この首、横山城将:三田村国定のものであります」
「こちらの首は旗本、今村掃部助!」
信長までの距離は、軍議に使用され地図の広げられた陣盾の机を挟んで4・5間(8m程)。
「うむ。生前の三田村には余も会ったことがあるぞ、そこに置け、どれどれ」
信長が床几から立ち上がる。
(ん?どうして自分の名を名乗らない。なにか・・おかしい)
自分を売り込まない武者の様子に違和感を覚え、その人相をじっくりとみる、竹中半兵衛の弟:久作。
「殿様、お待ちを!」
竹中久作が突然駆け出した。
兄の半兵衛は何かを察し、信長の前に立ちあがる。
久作が鎧武者に横からドン!!と当て身をして、馬乗りになる。
当て身の前に武者が信長にぶつけるように首を放り出したが、それは半兵衛が抜刀して落とした。
冨田才八は、陣机の上を走り信長に迫る。
「ていやっ!」
福富秀勝が抜刀し才八の懇親の一撃を受け止め、堀久太郎秀政が才八の脚を斬る。
倒れこんだところをすかさず、矢部善右衛門が止めをさした。
久作が倒れた遠藤の背中を押さえつける
「何をする!!」
突然の騒ぎに((どうした?))と訝る本陣詰めの一同。
「こやつは、敵将・遠藤喜右衛門です!」久作が叫ぶ。
「遠藤だと!?!!!」
驚く信長、武者の名を聞いて一瞬で、本陣の全員に緊張感が戻る。
兄と共に北近江山中で隠遁生活をして居る時に、遠藤喜右衛門は半兵衛の下に何度も足を運んで、浅井家への仕官を勧めに来ていた。
「兄は、今日は不在です」と、
久作は面会お断りという後味の悪い嫌な用事を、何度も何度もさせられたので、その来客相手の容姿をはっきりと覚えていた。
竹中兄弟が本陣に居たことが幸いし、信長は危機を未然に防ぐことが出来た。これ以降、信長本陣には縁起をかついで竹中党が呼ばれることとなる。
遠藤は長政の側近中の側近。織田家の誰もがその名を知っている。
「生け捕りに!! 取り抑えよ!」
大津・万見ほか、長谷川・菅屋、傍衆の面々が慌てて手足を押さえつける。
「おのれええええー」
まさに手負いの獅子と化し、もがく遠藤を、本陣の皆が四苦八苦しながら協力して捕縛した。
ここに至るまでの間に、遠藤直経と冨田才八は、磯野と組んだ最初の突撃から、織田武者との死闘を潜り抜け、横山城の本丸にたどり着いた。
三田村と落ち合ってからは、旗本の弓削に今村も合流して一緒に信長本陣を目指したが、弓削と今村が戦死し、負傷した三田村に自分に代わって信長を討ち果たすことを頼まれた。
国定の策を受け入れて介錯をし、その首を抱えて信長本陣まで乗り込んだ。
最後の力で、信長と刺し違えることだけを考えてやって来た、執念の暗殺者だった。
「くっ、放せ、我を生かしておけば後悔するぞ、さっさと殺せ」
思いを成し遂げられなかったうえに捕縛される屈辱に、遠藤は顔面を真っ赤にする。
「木に縛り付けておけぇ!自害させるな!!」
命を狙われた信長は激昂したが、よく来たなと感心もし、打ち取ることを躊躇った。
親衛隊長:福富平左衛門尉秀勝により猿轡を嵌められた直経。
「ぐ ぞ 、ご ろ ぜ ぇ」
皆の思いを背負い、事を成し遂げられなかった勇者:直経の目には悔し涙が浮かんでいた。
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浅井軍、本陣。
長政の元に、分隊を率いて攻撃を仕掛けていた弟の政之が戻ってきた。
「兄上、横山から直隆が合流しました。遠藤の姿を見た者は、冨田と共に信長本陣へ忍び込んだようだと申しております。佐久間軍は打ち破れません。これ以上の被害が出る前に撤退を!」
遠藤の動きを察する長政。
「そうか、あとのことは直経に託すか・・・、磯野・新庄はどうだ」
「横山城沿いをすり抜けて、箕浦方面へ逃走した様子」
合流した阿閉の息子:貞大が答える。
「そうか」
「直隆の鉄砲隊と共に、殿軍は私が引き受けます」
政之を見据える長政。
「生きて戻れよ」
「大丈夫です!」
政之に采配を渡し、旗本馬廻衆を呼ぶ。
「(赤尾)清綱、(雨森)清定はいるか? 全軍撤退だ!」
「大依山に退けぇー」
「退け、ひけぇ」
「撤退だ!」
「大依山に」
浅井軍全力の逃走が始まった。
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そして、立場替わって織田軍の追撃戦が始まった。
坂井軍に代わって、森軍が前線に立つ。
池田軍と丹羽軍。蜂屋、美濃衆の稲葉軍は陣の位置的に小笠原軍、酒井軍を支援して朝倉軍も追討することになる。
佐久間はそのまま居残り。柴田・氏家は追撃に出た。安藤と木下は横山城の各曲輪に残る浅井残党の掃討戦だ。
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「姉川」方面の軍、先に三田村城へと退却した朝倉景健。
すかさず小笠原長忠や、松平一門衆。そして酒井忠次が小城に殺到する。
朝倉景健は、最初に用心して堀・柵・門の強化を命じて、出発が遅れたのだったが、大軍の前にはせっかく整備した柵もほとんど役に立たなかった。
さらに後陣の石川数正。続いて温存されていた徳川家康の本軍、旗本衆の大久保・本多・榊原の面々が、ここで軍功を挙げねばと景紀の残る三田村城を力攻めで攻略した。
更に逃走した大将:景健は、彼らの執拗な追撃を受けながら、小谷城の大獄尾根へと退却した。
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織田軍は、撤退する浅井・朝倉軍を追って、大依山を越え、小谷城の東側、高山村周辺まで追撃を掛けた。
「長政旗本の安養寺を捕縛しました!」
「おう、安養寺か、久しいな」
於市姫の輿入れから仲介役として活躍してきた安養寺だ。彼はもともと親織田派だった。
「清水谷、小谷城の残兵は如何程だ?」
「小谷には、久政公配下の東野、西野といった湖北衆、それに旗本の両脇坂が守備しています。容易には落ちますまい」
正直に答える安養寺。
「ふむ。それは信に足るな。追撃兵は小谷前にて引き返させよ」
「ははー」
幌衆たちが急いで伝令に出る。
「遠藤、安養寺、どうだ、これからは寛大な余に仕えぬか?」
捕虜となった二人に声をかける信長。
「我が主は長政様ただお一人、それは、来世においてもありえませぬ」
「ふうむ」
「直経、お主達なら長政を説得できるであろう。このまま浅井が滅んでよいのか?」
「・・・・・」
黙して返事をしない。
「半兵衛はどう思う?」
「どちらかに、戦死者の首級を託し、この顛末を小谷にご報告頂くことが良いのではありませんか」
「ということだ、二人で決めよ」
「経世、俺の戦傷は深い、ここで永らえても、もう長くはないだろう。帰って長政様に伝えてくれ、共に生き楽しかったとな」
「うむ」
「介錯を頼む」直経が膝をつき、頭を前に出す。
「では私が」直経が処刑されるならば、旧縁のあった自分が介錯を務めるべきだと思い、久作が進み出る。
「うむ。久作、務めを果たせ」信長が申し出を了承する。
目を閉じ覚悟を決めた直経。
「セイヤ!」
長政の最も親しい、友とも兄とも呼べる武将が、ここに亡くなった。
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続いて、安養寺には首実検の立会が命ぜられ、首を清水谷に届ける使命が与えられた。
浅井方の戦死者は、殿軍の大将を引き受けた長政の弟:政之。
浅井一門の浅井玄蕃允政澄、浅井雅楽助に、浅井斎宮助。
織田軍の陣中を突破した弓削六郎左衛門家澄と、今村掃部助。
その他、安養寺の同僚だった長政直属の侍大将、狩野次郎左衛門と狩野三郎兵衛親子や、細江左馬介に早崎吉兵衛といった花も実もある武士が撤退戦で散った。
朝倉軍の被害も大きく、
朝倉方の主な戦死者は、第二軍の将:前波新八郎景則とその子息:前波新太郎。
譜代家老の小林入道端周軒。同じく一乗谷衆の魚住景固、魚住龍文寺。
一揆勢との戦いで勇名がとどろく黒坂備中守、山崎吉家、勝蓮華右京進、溝江長逸。
福岡吉清、鳥居景親、武田彦五信方、林兵衛三郎等の大将首が並んだ。
陣盾の上に整然と並べられた首級に、手を合わせる安養寺。
特に浅井家の同僚たちの目を見開いたままのものは、目を閉じるようにそっと手をそえた。
昨日、元気に話をしていた者、酒を酌み交わした者、以前けんかをした者、いろいろと思うところがあるが、今彼らを引き取り連れ帰ることが出来るのは自分だけだ。
浅井・朝倉の両軍あわせて、大将・足軽千百余兵を失った。特に侍大将格の歴々が多く散ったことは否めない。
織田軍にも多くの死傷者が続出し、坂井久蔵尚恒はじめ七百余人が戦死した。
両軍の戦死者の数がこの日の白兵戦の激闘を物語っている。
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花の散るのを惜しむ




