382部:敵中突破
竜ケ鼻砦信長本陣の前面、佐久間信盛軍の陣前。
信長から信頼を寄せられる古くからの重臣:佐久間信盛が本陣前の最後の防衛線を請けおっている。
佐久間軍団与力衆の中から選抜された弓・鉄砲隊が信盛の息子:佐久間信栄に指揮されて先頭に出ている。すぐ後方に鉄砲除けの鉄板を張った盾が隙間なく並べられ、そのすぐ後ろには長槍歩兵部隊が待機し、ひとたび敵が近づけば、長槍が一斉にうねりをあげて振り下ろされる構えだ。
「撃てぇー!」
前線の攻防から撤退した坂井軍を完全収容し、佐久間信栄の号令で佐久間軍とその与力衆部隊の一斉掃射が始まる。
「雅楽助!あぶない!」
浅井雅楽助を庇い、弾丸の犠牲になる浅井斎宮助。二人は双子だ。
「うた、あとをまかせ・・」
「いつきぃー」
二人は十数年前に些細なことで兄弟喧嘩し、絶好状態だったが、昨晩の宴陣で久々に言葉を交わしたばかりだった。
雅楽助ほか、前線で指揮を執っていた浅井玄番允政澄が被弾したうえ、第二陣の侍大将格だった浅井一族の多くが佐久間軍の弾幕の餌食となった。
後陣:第三陣の大将:阿閉淡路守が代わりに指揮を執る。
「玄番様が、深手を負われた! 早く後方へ」
浅井家の者達が、木盾に玄蕃の身体を乗せて、長政の本陣へと駆けていく。
「撃てー!」
佐久間軍の銃声は途絶えることがない。浅井軍にとっては本陣前で急に織田軍の防御陣が分厚くなり、木盾、奪った兜、死んだ馬、岩陰に隠れて銃声の途切れるのを待つ。突撃しても、眼前の敵にたどり着くことすらできず、攻略の手掛かりさえない。
さらに後陣の大将:新庄直頼にも玄蕃負傷の連絡が入る。
「玄蕃殿の仇を討て!もう一押しで信長本陣だぁ!」
「「うらああああああー」」
佐久間軍を破り、なんとしても信長本陣まで、一途な執念で浅井軍の攻撃も更に激しくなるのだった。
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横山の頂上、横山城本丸曲輪。
「木下軍、本丸に一番乗りー!」
木下軍の小一郎(秀長)、青山一矩や、浅野、一柳、仙谷といった若手が、次々と山頂に到着する。
木下軍は本丸を占拠して、斜面を登ってくる安藤軍や美濃勢の面々を出迎えた。
「手柄を横取りするとは、何事だ!」
山の反対、道のない東斜面側から、崖から転落する者など、多くの犠牲を払いながら本丸を目指して来た安藤軍が不平をあげる。
「横山城一番乗りは、誰にも譲る訳にはいかぬ! ほれ、高坂の首級ならばくれてやろうぞ」
蜂須賀小六が、安藤勢に先に本丸を落としたのは自分達だと主張する。
「人の取った首などいらぬわ!」
安藤伊賀入道が苛立ちのあまり珍しく吠える。
「どうしますか?」
尚就が父に指示を仰ぐ。
「もうよい! さっさと敵を追いかけて、信長様の本陣前で我らの活躍ぶりをみせつけようぞ!」
「「ははっ」」
伊賀入道守就親子の動きをみて、さらに気を抜いてはならぬと秀吉が拳をあげる。
「草鞋の紐を締め直せ、俺達も追撃戦だ! 本丸の守備は小一郎に任せたぞ!」
「はい、兄上!」
後ろの歓声に気付いた伊賀入道が振り返る。
「秀吉!ついてくるな!」
「何をおっしゃる。これも半兵衛殿の命で御座るよ」
「フン。我らの邪魔をするなよ!」
半兵衛の名前を出されると、身内としても気持ちのやり場に困る。苦虫を噛み潰した表情で大手門を見下ろす入道。
三田村・野村軍が城を後にして、山麓の柴田・氏家軍と交戦中だ。
安藤軍・木下軍が大手門を出て挟み撃ちにする。さらに東の山腹では、氏家軍が反撃に出て、三田村・野村の横山城残党軍を追い立て始めた。
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竜ケ鼻砦、織田信長本陣。
側近の大津伝十郎が、山頂の異変に気が付いた。
「あれは木下の旗印。横山城が落ちたぞ!」
半兵衛がニヤリと微笑む。
「秀吉が一番乗りか、よし、敵に聞こえるように勝鬨の声をあげよ!!!」。
信長が納得した表情で傍衆に命じる。
「えい えい おー!」
最初に、万見仙千代が声も限りに叫ぶ。
「「えい えい おおおお!!」」
傍衆・馬廻衆がそれに応えて復唱する。
「「エイ エイ オオオオオオー!!」」
信長本陣からの勝鬨が、全軍に広がり、戦場の皆が、黒煙が登る横山城を見上げた。
「浅井家の後詰失敗、横山城陥落」
この戦は勝ったと認識する織田軍。友軍の手柄にも高揚し、自分もと奮起する面々。追撃戦に移れば巨額な恩賞が保証される大将首も狙える。
「目指すは信長の首だ、まだ負けてはいない」
勝利条件を絞る浅井軍。佐久間軍前の攻防はより激烈となる。
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朝倉軍本陣。
朝倉景健の傍衆達が俄かに騒ぎ出した。
「横山城が落ちた?!」
「横山陥落!!?」「後詰め失敗か?!」
悪い噂は駆け巡るのが早い。
「竜ケ鼻砦は健在のようだ」
「浅井がもう敗北したというのか?!」
「撤退の号令を!」
朝倉軍の本陣では総大将:景健に、次々と決断を即す進言があり、側近達が不安げな表情で顔を見合わせ、大将の心中を伺う。
「国友要塞村を落とし、その資産を略奪するつもりであったが・・。目的を達成する時間もないか。浅井長政め、不甲斐ない」
浅井軍の働きに期待をしていたが、朝倉軍が今から織田本陣を目指し加勢しても、後詰の目標達成は困難。
景健の中で算盤が弾かれ、撤退へと方針が固まる。
「敵の侍大将! 真柄直隆を討ち取ったりぃー!!」
小笠原軍に属す青木所左衛門が、大声を上げ戦功を誇った。
「同じく、真柄隆直を匂坂三兄弟が打ち取ったー」
同じく匂坂兄弟が、真柄の息子:隆直の首級をあげた。
景健の決断が遅かったのか、次々と第二陣の前波軍の侍大将達の訃報が舞い込み始めた。
前波自身も本陣を襲った一人の狂武者に、散々に追い掛け回されて指揮系統は混乱、越前譜代衆の第二軍の陣形は瓦解しはじめていた。
「これは、危ないぞ」
朝倉軍は俄かに浮足立ってきた。
「三田村城へ引き返す。全軍、後退!!!」
「全軍、一時後退だー。三田村城まで下がれ!!」
浅井軍よりも先に朝倉軍が、姉川を再び渡ることになった。
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織田本陣前の戦場。
「そろそろ潮時か。佐久間信盛の壁はぶ厚かったか。すっかり織田の大軍に囲まれてしまったな。奇跡は起こせなかった・・。
清綱よ、直経をしらないか?」
長政が、戦目付の赤尾清綱に話しかける。
「遠藤達は、敵中深く攻め入り、途中から姿がみえません」
赤尾は冷静に諸将の動きを観察していた。
「磯野とも乱戦の中ではぐれてしまったようですね」
「口惜しうございますな」
雨森が天を見上げ涙を流す。浅井家の僚友、多くの血が流れた。
「玄蕃允政澄様、お討死ぃー」
長政の本陣に早馬が駆け込んだ。
「そうか、玄番允も討たれてしまったか・・・」
「負傷されていたのですが、弟たちが討たれたと聞いて、引き返して戦死されたそうです・・」
「浅井家の一翼になられるお方だと、将来が楽しみだったのだが」
赤尾清綱が、従者に持たせていた自分の槍を受けとる。
「我等も、政澄殿のご立派な御最後に負けぬような働きをせねば、殿、先に行って参ります」
長政が頷く。
入れ替わりに長政に呼ばれた、磯野と新庄が、本陣の長政の下に馳せ参じた。
「直頼、員昌、よくやってくれた。長政への忠節見せて貰った。お主等はこのまま突き抜けて本領に帰るが良い。ここは私がお主達の進路を切り開こう」
「長政様!?我らは最後まで長政様のお供をするつもりでした。せめて、小谷を捨て、我々と一緒に湖西に行きませんか?」
員昌が、長政の本意は織田との戦いではなかったはず、今からでも久政と袂を分かつべきではと考えた。
「於市達が小谷に居る・・琵琶湖は渡らぬ。お主達の今までの忠義は生涯忘れぬ。ここで今生の別れだ、お主たちの思うように生きよ。 もし、織田家に従うならば、我と思って奇妙丸殿に忠義を尽くしてくれ!
信長に降服したくなくても奇妙丸殿にならできるだろう、半兵衛のように(笑」
「奇妙丸?!、 長政様!それでは!?」
長政は、浅井家が滅んでも仕方ないと決意を固めたように聞こえる。
「勝手だが、娘たちの行く末も、お主達に頼んだぞ! 」
自分達が生き残ることで、長政の思いを引き継ぐことが出来るかもしれない。今は生き残るために恥を忍んで・・。
思案する二人。
「敵は引き受けた。隙をみて突破せよ!」
二人の顔を交互に見て、頷いてから馬に飛び乗る。
「長政様―!!」
「行くぞ皆の衆!! うぉおおおー!」
ついに長政本陣が、竜ケ鼻砦に向かって動いた。決死の突撃だ。
「浅井長政ここにありー!!この首あげんと思う者は掛かって来い!!」
長政の雄姿を、心に焼き付ける二人。
「今ぞ」
磯野の肩を叩く新庄。
「我ら全力で敵軍を突破する。付いてくるものは一緒に参れぇー!」
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