374部:八島の陣
6月22日
近江国、小谷城:浅井家本陣。
浅井久政が京極丸から戦況を見守る。
「雲雀山砦の浅見大学助景親親子は良く織田軍を迎撃しているの」
浅見家はもともと浅井家と同格だった程の豪族だ。今は質にとられた京極家の為に奮戦している。
「敵の付け入る隙も与えず、称賛に値します。いにしへの楠公のようなご活躍!」
久政の傍衆:脇坂久右衛門が褒めたたえる。大学助の戦いぶりに城中の士気もあがる。
「それに比べ長政、お主の頼りとしている磯野丹波守と新庄は、居城がどうなったとも、まだ何の連絡もよこさぬ。織田に内通しているのではないのか?」
「二人は忠義に厚い将、決して手のひらを反すようなことはしません。誰かの様に! 必ず後詰に来ますとも!」
「うぬぬぬぬ、ならば、一刻も早く奴らを招集することだ。分散していては織田の大軍との戦力差がありすぎる」
「磯野の居城佐和山城、新庄の居城朝妻城は、湖上支配の為の要衝。浅井家にとって無くてはならない拠点です。城を留守にするには備えもいります。彼等にも理由があるのでしょう」
そこに物見からの報告が入る。
「山頂の展望櫓からの報告です。湖岸付近に磯野と新庄らしき軍が北上してこちらに向かっていると」
「織田軍に囲まれているのか?」
「いえ、虎御前山周辺に動きはありません」
「ほれみろ、奴等織田に加わるのではないか」
「ならば、私が確かめて来ましょう」
「好きにしろ・・」
男として、息子に侮られていると感じる久政は、長政に対して冷酷だった。
小谷山、最深部の聖域。巨石に囲まれる洞窟の中にある浅井姫の祠。
長政が洞窟の中を覗き込む。
「阿古母様、よろしいですか?」
「長政、出陣するのですか? 私の為に、ごめんなさいね」
「阿古様に浅井の将来を、占って頂くことはできますか?」
「自分自身の事に関わるので、禁を犯すことはできません・・」
「そうですか・・・、ならば、磯野や新庄、それに我が子はこの戦を乗り切れるでしょうか?」
「大丈夫です、かの者らは命の炎を強く感じます。この一戦にて潰えることはないでしょう」
「ならば、安心しました」
「それに、貴方の子は、此ののち天下に寄り添い続けます、安心なさい。私は残された霊力で祈り続けます。浅井の業は私達で、いえ、私が背負い天に召されましょう。それで充分です」
「母上・・。ご苦労をおかけします」
(長政も・・、貴方に武運を・・)
阿古御前に背中を見送られ、浅井姫の祠洞窟を去る。
長政が戦神と一体となったかのような凛とした表情に戻り、自身の傍衆を率いて、清水谷の馬出へと向かった。
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6月22日近江国、田村。
磯野・新庄軍は、八島に入る直前で行軍を止める。
虎御前山、信長本陣。
「奴ら(磯野・新庄)の動き、どうやら織田方に付く気はない様子だな。小谷城へ抜ける道を探していると見える。
赤幌衆ども、それぞれの陣屋に伝えよ。小谷に向かう道に穴を開けるなと、雲雀山の浅見大学。国友の野村、宮部寺内町の宮部に三川城の田中、月ヶ瀬城の若狭守、丹後守。大井城の鈴木、それぞれの陣所の目の前の奴らの動きに注意せよ!!」
信長が矢継ぎ早に指示を出す。
「「はいっ!」」
本陣から、赤幌の騎馬武者が坂を駆け下りて、次々と各陣営めがけて伝令に走る。
「黒幌衆ども、田村から来る奴らを八島で撃退する。清水谷には入らせるな。傍衆、馬廻の者ども、虎御前山を降りるぞ! 敵の追撃に備えよ!」
「「ははっ!」」
黒幌衆筆頭、佐々成政の部隊が早速動き始めた。黒幌は私兵・従兵の足軽を従える領主層から選抜されているので、各個の率いる部隊が合わされば、小名級の軍団と戦っても引けを取らない。後ろを見せて移動の際の襲撃は、黒幌衆が迎え撃つことになる。
「月ヶ瀬城からの追尾に備えよ」
筆頭:佐々内蔵助成政が友軍の動きを見ながら、十二人の黒幌武将衆に指示を出す。
織田軍の移動に気づいた浅井方は、「敵が後退する」と狼煙をあげる。
小谷城に近接する月ヶ瀬城からは、素早く城門が開き。浅井方の足軽が攻め寄せる。
月ケ瀬丹後守頼次につづいて、狼煙を見た湖岸域の山本山城城主:阿閉貞征、貞大親子。下坂城城主の下坂某も織田軍追撃に動き始めた。
川尻の後の二代目黒幌筆頭:佐々内蔵助は、殿軍に鉄砲五百挺と弓衆三十余りを据え、三段(200.150.150)に組み分けをする、足りない部分は遠弓(大弓:強弓による)を得意とする弓衆が着いた。それを佐々内蔵助成政、簗田左衛門太郎広正、中条将監秀忠の三名が鉄砲奉行として指揮する。
簗田広正は中軍より少し左手を担当し後退していたが、月ヶ瀬軍が行軍の列の横腹に肉薄してきた、月ヶ瀬軍を引きつける広正。
「放てぇ!!」
(ドドーーーン!)
火縄銃を150並べて散々に応戦し、足軽数百を打ちとった。このとき簗田家与力の太田孫左衛門(のちの牛一:『信長公記』作者)は敵首を挙げて引き揚げ、のちに信長からの褒賞にあずかった。
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簗田が応戦するその頃、八相山城の東門に浅井長政が到着した。
また佐々内蔵助は、八相山城内の動きに気付き、襲撃に備える。
矢合神社前にて、長政軍に捕捉された。
「八相山に長政入城!」
気負いだって籠城していた足軽たちが西門を開けて打って出る。
「ドドーーーン!」
佐々軍の鉄砲隊200が火を噴き、これも見事に撃退してみせ、無事撤収に成功した。
浅井長政は、小谷より近く八相山から見下ろすように織田軍の動きを観察する。八相山城の将兵は長政の後詰に感激し、勢い打って出る。
麓で備えていた中条将監家忠の軍団は、八相山下の橋上で追撃する敵と衝突し、将監は敵勢の激しい攻撃により、自身負傷するほど激戦を展開された。
副将の中条又兵衛は、八相山に通じる橋を放火しようとして橋上で敵の大将と乱闘になり、双方とも橋から落ちた。しかし、又兵衛はひるまず、見事その敵の首を挙げたのだった。
殿軍部隊を助けようと踏みとどまる将卒もいた。その面々は故生駒御前の兄:生駒家長、古参の武辺者:織田順元。同じく武辺で鳴らす戸田勝成、平野甚右衛門、高木佐吉、土肥助次郎、山田半兵衛、塙喜三郎達といった歴戦の勇者だった。
彼らは今後も比類なき高名をあげることになる。
信長は、黒幌衆の奮戦により無事に虎御前山を撤収することができたが、姉川対岸の前方には、信長の進路を遮る大井城の鈴木三右衛門。
「織田軍は劣勢、しっかりと守り切れ!」
八相山と挟撃できる位置にいるが、鈴木は長政の動きを知らない。
「殿の御前にて槍働きを披露しようぞ!」
殿軍の撤退戦の軍功に嫉妬した信長の馬廻衆が奮い立つ。馬廻衆達は一気に堀を渡る。
「兼松正吉、一番首!」
「湯浅甚助、大井城!一番乗り!」
次々と馬廻衆が軍功を上げる。鈴木軍はひとたまりもなく飲み込まれ、鈴木は行方不明、大井城は落城した。
大井城に入城した信長が殿軍勢を迎える。
「姉川から北を捨てよ、姉川を堀として南側を抑える。また、琵琶湖の浅井水軍に備え、今井家の旧領、八島に陣を置く」
信長は馬廻りの者に大井城を任せ、諸将には八島を割り当て、自信は更に南下して拠点の今浜城に向う。
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田村から、織田軍の情勢を探る磯野、新庄の両将。
「姉川に沿って要害:国友村を中央に据えたこの防御線では、宮部寺内町への入城は無理だ、横山城に合流するか、三田村城に向かおうか」
磯野員昌が提案する。
「海賊衆を使って、船で姉川を上るのはどうだ?」
朝妻の新庄は、陸戦よりも水軍での戦いの方が得意だった。姉川を遡って行けば織田の大軍も関係ない。
「そうだな、招集をかけられるか?」
日頃から佐和山城に何かあった時は朝妻の新庄が湖上から救援する。両者は深い連携関係にあった。
「まかせよ、琵琶湖の全丸子舟を搔き集めてみせよう(笑)」
その日織田軍は、田村の磯野・新庄に備え、今浜城の周辺の姉川河口(狐の八尾の様に沢山の支流に切られて、堆積物が蓄積し出来たた無数の砂島がある)の八島の輪中に陣を置くが、これが思わぬ惨事を呼ぶことになる。
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24日早朝の八島の今浜城(のちの長浜)。
琵琶湖沿岸に浅井水軍が現れた。新庄直頼が朝妻・箕浦水軍だけでなく、弟のいる琵琶湖西岸打下城の水軍や堅田の水軍、海津・菅浦の水軍までも動員したのだ。
八島の湖岸は、丸子船と浅井の旗で埋め尽くされている。その数数千隻にも及ぼうか。
「これはいかん」
圧倒的な水軍の出現に驚く織田方の足軽、将兵たち。
((ドーーーン! ピシュン! ぴしゅん!))
水軍衆が備える国友銃の号砲が、幾千も重なって湖上に唸り、銃弾が水を跳ねる音がする。
「琵琶湖水軍はこれほどの数がいるのか、急ぎ陣払いをし、姉川に沿って横山城まで退却するぞ。(恐るべし浅井水軍)」
銃撃に追い立てられて、横山城に向かう織田軍。織田軍も黒幌衆の率いる軍団が各個に弓・銃隊の掃射で応戦するが、今度の陣払いでは、船を持たない織田軍は、混乱し焦って渡し橋から落ちる者など、多数の水死者を出すことになってしまった。
「好機到来だ!」
田村の磯野員昌が、織田軍の慌てぶりに狂喜する。
「水軍と共に織田軍を追撃せよ!」
「我らが追撃すれば、長政様が後詰して下さるはず!」
新庄兄弟も、これはいける! と船を下りて上陸する。
磯野・新庄の陸上兵が、銃声と共に動き出した。
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姉川北岸の八相山。
長政が織田軍の総退却を俯瞰している。浅井長政率いる軍勢が麓に集結していた。
「間諜は磯野が織田と通じているとしきりに連絡してきますが?」
戦奉行の海、北、雨の三大将が、磯野の動きは怪しいと進言する。
「磯野は織田軍を追撃に入る動きではないか?」
「しかし、佐和山城からのこの間、未だ戦火を交えていないというのはおかしくありませんか?」
「あれも織田軍の演技だとでも?」
「国友の要害村からも銃声はしません。信長は昔から村の有力な後援者です。今回は中立を保つという事で村人は戦火を免れているのでは? 村の動きにも注意せねばなりません」
と雨森。
「乱戦の中での返り忠は最も注意するべきこと。信長の計略により、堀秀村のように磯野が篭絡されていたとすれば」
と赤尾。
「うう、う~む」
長政は、信長の放った流言により、全軍の出陣を躊躇したため、磯野・新庄の策は空振りに終わった。
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今浜城を捨て、横山城がある東に向かう織田軍。
「竜ケ鼻砦に本陣を置き、後詰の徳川軍を迎える」
赤幌衆が駆けまわり、行軍の諸将に信長の行く先を伝える。
織田軍は、長政軍に行軍の横腹を突かれれば、その損害は尋常ではなかっただろうが、途中の大井城を確保していたことと、新庄と磯野が長政軍の動きが無いことをみて、追撃の途中で切り返したことで、この日の大乱戦を免れることとなった。
目的地の横山城には、高坂、三田村および野村肥後の勢が籠っていた。
織田勢は、この城に取り寄せて城を四方より囲んだ。
そして信長自身は横山城の北側、竜ケ鼻に陣を取り、長政がいるのであろう八相山城を見据えた。
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