372部:六月決戦
超絶遅筆ご容赦ください。
奇妙丸に、自身がたてた茶を出す信玄入道。
「婿殿、近江では六角入道承禎(義賢)殿が長光寺城に迫り、柴田・佐久間の両将が迎え撃って合戦に大勝利したそうだ。
それに、森と蒲生といった若手が活躍したそうだな。婿殿と同世代と聞いている。若い大将が育っているようじゃな、羨ましいことだ」
奇妙丸はお茶を頂いているので、信玄の独り言になりそうだったが、影武者(弟:信廉)も話題に乗る。
「織田家の柱:森三左衛門殿に、そのような立派な跡継ぎが居るというのは、織田家は安泰ですな」
信廉が素直な感想を述べる。
信玄兄弟は、森可成が信長にとって大切な股肱の臣であることを承知しているということだ。
「結構なお点前、美味しいお茶で御座います」
奇妙丸の言葉に満足した信玄が、もう一杯お代わりのお茶を点てる。
「先の越前では東美濃衆の坂井政尚殿の御子息:尚恒殿も抜群の軍功を立てたと聞いた」
信廉の話に、兄の信玄が応じる。
「織田家の両職家は御安泰の様子で羨ましいものだ。
我が家は親子三代、我が強く家督の揉め事が起きてしまったから、重臣共も心に迷いあるものは没落した」
自嘲気味に信玄入道が笑う。
「世に名の通った武田家の両職家:板垣、甘利の両家は御健在ではないですか、信憲と昌忠殿のお二方とも伊勢の海賊衆を見事に纏められた」
奇妙丸が面識ある二人を褒め上げた。
「ふうむ。海賊も桑名の瀧川一益殿や九鬼殿、奇妙丸殿に仕える服部や南蛮の山科殿と言った人材が織田家には居る。われらには急ごしらえの海賊衆。しかし、海に出るのは武田の悲願でもあった。これからは、駿河と尾張、それに伊勢、海の交通路を奇妙丸殿にも担って頂きたい」
それにしても、信玄の下には随時畿内の情勢が届けられている様子だった。
「そうでしたか・・、しかし、森と蒲生二人とも無事でなにより、我等兄弟の様に育ちました故、どこにいても心は繋がっております」
二人は奇妙丸にとって、兄弟同然と信頼を置いていることを思わず強調する。東美濃の森家と、南近江の蒲生家は、織田家にとっても街道の要所を制する重要な位置を抑える小名だ。武田家の調略の手が伸びる心配が湧いた。
「これからの柱になる若者が多くいるのは良いことだ。我が武田にも武藤や三枝といった若者が居る、儂は彼らの成長を楽しみにしておるのだ。それに、武勇誉れ高い柴田、佐久間の両将とも、奇妙丸殿の義父として相まみえることを楽しみにしていると伝えてくだされ」
「分りました」
「ところで、信長殿が頼りにしている織田家中の武将は他には誰がいますかな?」
義父・信玄はどこまでも情報を欲する方のようだ。どこまで正直に答えるか、どこまで話せば信を得られるか。奇妙丸にとっての甲斐滞在は、綱渡りが続く心地だ。
「巷では、織田四天王と呼ばれるのは先の二人に森殿、坂井殿、それに名前の挙がりました瀧川殿を含めて五大将。
丹羽殿、中川殿、蜂屋殿、木下殿がそれに続く武将でしょうか。一門衆の皆様も一角の人物です」
「ふうむ。では、将軍家ではどうだ?」
「義昭様が頼りにする方ですか? (これは自分の情報力も試されている?)」
「私の知るところでは、細川藤孝殿、一色藤長殿、明智光秀殿、武将ではありませんが朝山日乗殿あたりでしょうか」
「ふうむ、では・・、徳川のところでは如何かな?」
奇妙丸の面談は、信玄があきるまで延々と続くと予想された。
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6月17日 岐阜城城下。
織田家に出仕する多くの将兵が、街の外で待機している。お頭衆は、岐阜城の巨大馬出曲輪にて、信長の出陣を待っていた。
城の中から歓声が聞こえる。中馬出で馬廻衆が鬨の声をあげていたのだろう。
続いて、城門が開き、鎧武者の信長が騎乗の人となり、馬廻に前後を挟まれて出てきた。
びろうどのマントがゆらめき、まるで遠い異国の武将のようだ。
衆目が自分に集まる中、信長があらためて宣言する。
「六月決戦の招集によく駆け付けてくれた。越前から出張って来ていた朝倉景鏡は、我らの防御の高さに恐れをなし、昨日越前に引き返したようだ。
増援が引き揚げて、弱り果てた浅井を討つ好機到来。我ら織田家に対する裏切りは許さぬ。憎っくき浅井の小谷城攻めだ!!」
日輪を描いた大きな采配を掲げる信長。
「「おおおおー!」」
越前金ヶ崎の撤退戦で、三河・尾張・美濃勢の多くのものが、身内が負傷したり戦死した悲しみと怒りを抱いている。今こそ復讐の時節だ。
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駿河湾
奇妙丸が上陸して甲斐へとのぼっても、織田船団への見学者は絶えないので、服部政友達は沖の方へと艦隊を移動し、洋上から奇妙丸の帰還を待つこととした。
津田御坊丸は、御坊丸の気持ちを汲み取った奇妙丸に、艦に残るように指示されたので、ここぞとばかりに政友に弟子入りして、船乗りとしての教育を懸命に受けていた。
「政友殿は、海西郡荷之上の服部家の跡職を継承して、海賊衆を良くまとめてくれていると思います」
坊丸が錨の縄を結びながら、傍らで海賊流の紐縛り術を教えてくれている政友に船団の状況を褒める。
腕組みをして自信ありげに答える政友。
「かつて今川家にも属した蟹江服部水軍は、もう只の海賊ではありませんぞ。伊勢湾を制する織田水軍の一翼です。
奇妙丸様のお陰で織田水軍は増強され、紀伊の熊野水軍、雑賀水軍、瀬戸内の三好水軍、毛利水軍、河野水軍、大友水軍に見劣りしない規模に育ったと思います。しかし、東海地方の武田水軍も、北条水軍に備えて豊富な甲州金を背景に日々増強されていますから、我らもウカウカできませぬ」
「今の最強水軍は、瀬戸内海の毛利水軍ですか?」
「瀬戸内ではやはり毛利が最強でしょう、関東の方では北条よりも、里見水軍が優勢のようですね」
「九州には大友水軍や、鹿児島の島津、小弐氏配下の平戸松浦の海賊衆もいますね」
「ほかにも日本海側の出雲、若狭、越前、越後といった湊を拠点とする交易豪商の私設水軍衆も、蝦夷・陸奥といった北から南への交易で莫大な利益をあげて富強なのですよ」
「なるほど、あの上杉家も越後の湊に水軍を持つのですね」
「今は、どこの誰がこの国のドングリの背比べから抜け出し、呂左衛門殿が渡ってきた外洋へと漕ぎ出すかの競争です。我ら、目標を高く持ちましょう」
「そうですね。全くその通り。統一が成れば東のことは武田家に任せて、織田水軍は外洋へ漕ぎ出せるかもしれませんよね」
海から、富士山の雄姿をみて、まだ見ぬ異国の海へと乗り出すことを想像する。
将来への希望を高く持つ、政友と御坊丸だった。
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6月20日、近江国、横山城郊外
横山城の攻囲は西美濃衆が配置される、安藤守就と定治親子、それに郡上の遠藤一族:東遠藤の胤俊、守就の元娘婿の盛枝は一族と離れ前線の森可成の部隊に配属された。ある意味、織田家従属の洗礼だ。
氏家直元入道卜全と直通親子。稲葉良通入道一徹と、庶長子の重通、嫡子の貞通。それぞれ横山城をとり囲むように陣をしいた。
浅井軍の拠る雲雀山の砦を目指して。先行する森・坂井両大将の部隊には、信長の命で東美濃の遠山一族も従う。森・坂井は寄り親として、新参衆に織田軍の戦い方を示さねばならない。
森可成、坂井政尚の両部隊が協力し、柵や関所を作り、行く手を阻もうとする浅井軍を蹴散らしながら進行する。長可と尚恒は、父の傍でその采配を見届ける。
それに続いて、元美濃守護代家の斎藤長龍率いる美濃軍が従い、先行の両部隊が疲弊してきたところで交代し、浅井軍を撃退する。長龍後見の市橋長利と佐藤秀方が、尾張衆に負けじ、と奮戦する。
岐阜城衆、奇妙丸後見の塚本小大膳を大将とする軍が続いて入れ替わり、これには美濃衆の不破光治と丸毛長照が加わって、先行した弐軍と同等の戦力となっている。小大膳は奇妙丸の御名代的な地位なので、不破も丸毛も将来に繋がる名誉なことだと感じ奮闘を心に誓っている。
緒戦にて、先鋒軍が北進の道を切り開いたので、その後、信長は横山城を後に、西に八相山城、東に雲雀山砦を睨みながら行軍し、清水谷正面の虎御前山に登り、清水谷攻略の本陣を置いた。
山頂の信長本陣を背後に、前面の小谷城を牽制すべく、各将が自陣を配置した。
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